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2005年11月

2005年11月 7日 (月)

『主権在愚民』と『女系天皇』

三笠宮寛仁さま、女性天皇容認に疑問…会報にエッセー

先月よりロボット博士吉川某を座長とした小泉私的諮問による、一気に「女帝」「女系天皇制」容認に加速する流れに対して、間一髪で皇族の方の生のお声に触れることができたのは、まことに喜ばしいことだ。

寛仁さまはまず、「万世一系、一二五代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と強調。
〈1〉皇籍離脱した元皇族の皇統復帰
〈2〉女性皇族(内親王)に元皇族(男系)から養子を取れるようにし、その方に皇位継承権を与える
〈3〉廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀(さいし)を元皇族に継承してもらい、宮家を再興する
―などの方法を挙げられている。

その上で、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」とし、「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、二六六五年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴(いただ)かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論に迄(まで)発展するでしょう」と結ばれている。


さて、この一石が今後どのような波紋を広げていくであろうか.....?
小泉総理は今んとこ、ご静観か....?

「雅子さまがカワイソ〜」「愛子さまカワイ〜」という精薄な世論を追い風として、ご皇族方のご意見は必要なしとしたロボット吉川氏らのゴーマン見解に、直感的に意図的な悪意を感じてはいた。『女系天皇』『女帝』容認と結論を急ぐ一連の動きとは、我が国を根幹から引っくり返す、とんでもないクーデター行為ではないかと我々はまず、このカラクリに気付くべきである。
過去の『女帝』の例はアクまでも、ツナギ。一時的な『女帝』と『女系容認』は別物。『直系』と『傍系』にこだわる必要もない。遠くない将来、『女系』容認は天皇制廃止の議論に必ずに行き着くーどころか、『女系』容認した途端に、今までの日本の天皇と国のあり方が、過去と分断された、全く異質な国家となる可能性があると、渡部昇一氏代表の別系統の有識者グループ「皇室典範を考える会」は警鐘を鳴らしている。

先日の『文化の日』11月3日は、戦前は『明治節』と呼ばれ”明治天皇の遺徳を忍ぶ日”というのが本来の意義であった。これは大正期になって当時、絶大なる国民の希望によって制定され、明治神宮の造営と杜の植樹もされたそうだ。
例にもれず敗戦後の占領期に、GHQ内のコミュニストが推進した日本赤化アジェンダにより、国民と天皇との絆を断つのが狙いであったのだろう。それにしても、国家の大切な記念日、神道的意味合いを持つ祝日までも、他国によって名称を変えられ本来の趣旨を隠蔽されたとは、敗戦国故の悲劇か、嘆かわしい限り。昨今の東亜トリオが真似したがる気持ちもわかる。
まぁとにかく、11月22日は『いい夫婦の日』とか、6月4日は『虫歯の日』とか、ましてや『メーデー』は”イランデ〜”などとは、ノリも由来も重さも全く異なることは確かだ。

旧財閥、旧華族制度を廃止し宮家を解体し現ご皇族方を孤立させ、天皇を戴きながらがも、主権は国民に在りとした。更に政教分離、思想表現の自由の名の下に、開かれたご皇室と国民の好奇の対象とした。GHQは、まさに日本の歴史や伝統に基づく国体、国柄という概念を破壊する目的で、復興援助の笑顔の陰でありとあらゆる精神的暴力破壊工作を為しながら、代わりにいくつかの魔法の呪文を我らに与えたのだ。
『主権在民』『民主主義』ついでに『自由』『平等』
思考停止に陥りがちな絶対的善、真理とされがちなこれらの呪文に、オバサンはいつも首をかしげたくなる。日本では戦前でも民主主義は行われていた、一党独裁でも軍事政権でも北コリアともイラクとも違う。民主主義とて完全完璧ではないのは、超大国の現状を見るまでもない。

まずは『主権在民』とう呪文のいかがわしさヨォ〜ッ!

ロボット博士は、まるで大株主さま気取りだ。
”イチャモン=ヒルズ族”の如く、”会社は株主のモンだもんネ〜ッ”として経営陣にモノ申すだけでなく、畏れ多くも、会社の創始者一族の末裔であり永久殿堂入りされているご皇室のお世継ぎ認定法を決定しようという。”思い上がりもここまで極まれり”と、一株主オバサンとしてはウスラ寒い。

『国民』の衣を借りたワケのわからん一部の集合体に、今流行りの『人権』同様の『主権』なる魔力が与えられた途端、現憲法下でその気になれば、フランス革命同様のクーデターだって可能だってことに今更ながら気付く。
国民の総意なんてものは、今ほどマスゴミが力を持つ以前でも、いともたやすく操作されてきたのだろう。『主権天皇』から『主権国民』に看板をすげ変え、操作にたけた官僚や政治家が国民を操り、裏で実権を握ってきたのが戦前〜戦後の日本であろうて。
しかし、戦前の天皇を神近き徳の最高顕現者とするなら、それを慕う大半の臣民にはまだ道徳、大義があったろうが、現憲法の奥にお隠れになった今では、ただの利己的権利の化け物、獣化の一途を辿っている。

よって、現憲法は『主権在愚民』が正しい解釈であろう。

まあ、国民が愚民化すればするほど、黒幕にとっては都合がいいし、お陰で、国と地方合わせて1千兆円という財政赤字を積まれても、愚民は本気で怒ることもなくまだヘラヘラしていられる。

では、愚民である我々、天皇のなんたるかをどこまで知っているのだろう。
天皇は神道の最高宮司である。本業は国事行為というより、宗教的行為。四季のさまざま儀式を通して、我らには明らかにされねども、我が国の安泰と繁栄を切に祈りを捧げておられるそうな。
「エンペラー」と英語で訳されるように、相対的な国際的権威の位置づけは『皇帝』、もしくは『法王』と同じ位。世界の二大権威と云えば、『ローマ法王』と『日本天皇』ってことを日本国愚民の何%が知っているのだろうか?しかも、その歴史も2665年という世界最古を誇るとは、ギネスブックに登録されている。
この歴史の重み、、、実感がわくであろうか?
紀元前660年といえば、東洋では釈迦、孔子の出現以前。砂漠地帯では、南北に分裂した古代ユダヤが滅ぶ頃。ヨーロッパではトロヤ戦争で落ち延びた双子のギリシャ人がイタリア半島に流れ着き、狼に育てられながら、古代ローマを形成する伝説の時代だ。事実の信憑性は神話や古書の記述に頼るしかないが、それからずっと絶えることなく続くとする皇統譜の貴重さは世界遺産にも、匹敵するのではないかと思ったりする。
また、アメリカ大統領が最敬礼を示す三大権威は、これらに英国女王が加わり、英国女王が天皇と同席する場合、女王が天皇に上座を譲る、とある。

*参考 大人の無法地帯

例えるなら、天皇は日本における『ローマ法王』的位置づけ。
かっての日本史上、朝廷に矢を向けNO.1を狙ったのは、平清盛と織田信長のふたりだけとされる。『朝廷』vs『幕府』と同じく、『ローマ法王』vs『神聖ローマ帝国皇帝』の対立時代もあったが、”カエサルのものはカエサルに”のイエスさまの言葉にある通り、キリスト教世界において”聖と俗”が正位置にある時、秩序が保たれる。”聖”が権力を独占した時、十字軍が編成されたこともあったし、”聖”の富を巡って”俗”は”聖”を力で従えたり、時には結託したりもした。これらは”聖”の堕落であり、境界が曖昧となった”聖の俗化”が原因とも言えよう。
神に通じる”聖”は、本来”権威”をもって、”権力機関”である”俗”の上位概念にあり、道徳的感化のみを与えるのが本来の姿。そう思うと、今回の異常さがとても明確に見えてくる。
つまり、”聖”なる法王(=皇位)継承がヴァチカンの聖職者によるコンクラーベ(=皇族方の話し合い)ではなく、”俗”なる『私設有識者会議』なるものが、”聖”の継承を決定するという、不可思議な逆転現象!まさしく、”俗”が”聖”なるものの上位に位置し”聖”をも支配する構図だ。
そういえば、バベルの塔をおっ建て、神に挑戦しようとした物語もあったか。。。”馬鹿と煙は高いところに昇りたがる”とは、よく言ったもので”聖”をないがしろにした”愚民”の考えることは、古今東西いつも同じということなんだろう。

子供の頃、4月29日は『天皇誕生日』だった。
天皇の意味もまだよくわからない幼い頃、近所の軒先の天皇という方のお誕生日を讃え翻える日の丸の光景に、なんだかとてもおめでたい日であり、皆が喜んでいる日であることだけはわかった。
現在、わけのわからん「みどりの日」と呼ばれ2007年には『昭和の日』と設定されるとあるが、お気の毒に、今上天皇の12月23日は、街中がクリスマスイルミネーション真っ盛りのイブイブ、、、余りもの世の中の変わりように仕方ないとも思うが、せめてクリスマスツリーのてっぺんにはお星さまでなく、さりげなく日の丸掲げてあげたいネ。。。
ついでに言うなら、極東裁判のA級戦犯と呼ばれる方々の刑が決定されたのが、4月29日であり、執行されたのが、この12月23日である。まあ、何をか、イワンやである。。。

同様に11月23日『勤労感謝の日』は、本来、秋の収穫を神に感謝するための飛鳥時代に端を発するという『新嘗祭』、2月11日『建国記念日』とは、戦前にはそれこそ遥か神武天皇にまで遡れる『紀元節』だった。
いまや、我々は祝日休日の由来を知ることなく、”明日は休みだ、仕事サボレル、何しよう〜?”という単純な発想しかできない。祝日の意味を隠蔽されたことにより、ますます神仏への感謝知らずの”愚民”に成り下がったのだ。しかし、少なくとも戦前の日本人は、農耕民族のDNAを下に自然の恵みに感謝し恵みをもたらす神々を讃えながら暮らしていたんだな〜と伺える。その恵みをもたらす神々との仲介役に天皇を民族の長として全任し、戴いていたのだ。戦後、昭和天皇は、天皇の典拠を古書の記述にもとめることなく、ただ「国民との信頼と敬愛に基づく関係」ともおっしゃられたとも聞いた。

他人の身になって考えるのは、他人の痛みを感じる優しさの現れだとは思う。
もし、自由に外出が出来なかったら、自分が男の子を産めと責められたら、もし自分が人格否定されて世継ぎを産む道具のようにだけ扱われたら、、、と、いろいろ自分にあてはめて考えてみる女性も多いだろう。しかし、しかし、である。毎日自由に靖国参拝できない総理をかわいそうであると思うだろうか?結婚できないカソリックの神父さまの人権をどう思うか?肌見せをタブーとされるシスターはどうか?
”俗”なる我らが”俗”なる視点で、”聖”なるもののお心を計ることができるであろうか。。。?
さらに付け加えるなら、”聖”なるものと”俗”なるものが”信頼と敬愛”で結ばれるのは、”聖”と”俗”が、キッカリ境界を保つからではないのか....?

「〜何事の おはしますをば知らねども かたじけなさに 涙こぼるる〜」

これ、鎌倉初期の歌人にて仏僧、西行法師が伊勢神宮を参った時に作ったという、有名な歌。
数百年前の日本の姿と、畏れを知るには、現在のあり様は余りにも隔たりがあるか.....?

宗派は問わない。
イタリアを旅し荘厳な教会建築に言葉を失い、天使の歌声の賛美歌には天国を感じる。こだまする石造りのモスクのコーランの響きに宇宙の波動を感じ、文化財と化した寺院や仏像をも眼前にすると心に静寂が生じる。また、鳥居をくぐった途端、ピンと背筋が延びる。
小学生の時に登った立山連邦の雄山岳のご来光に、思わず、手を合わせてしまった経験がある。
”怖れ”ではない。”聖”なるものに”畏れ”を忘れた愚かな民だけにはなるまいと、強く誓うのだ。

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2005年11月 3日 (木)

新コイズミ組『靖国三人衆』と白洲次郎

『文化の日』とは、明治天皇のお誕生日『明治節』とな!

待ちに待った新組閣。
jiro
安倍新官房長官を進行役として、次々と新小泉組のメンバーの会見に釘付けになっておりました。
中でも、大受けしたのが、麻生太郎外相の会見〜!

質問ごとに相手方を名乗らせる方法は、記者をも舞台上に引きづりあげて、政治家対マスゴミの対立構造を観る者に楽しみを与えてくれます。マスコミがマスゴミと揶揄されて久しく、かつてのマスゴミに簡単に誘導された馬鹿国民から脱皮しつつあることに、早く気づいて方向転換して欲しいもの。
テレビでも、得意満面に政治家論評する各局のコメンテーターこそが、いまや、まな板に上げられた鯉!ブログの普及で、一般人が彼らを肴に思い思いの言葉で痛烈に語り始めたからだ。

記者:「総裁選レースの一番のライバルは?」ーとの朝日新聞の記者の問いに、
太郎:「ン〜、、、マスコミ!」

一瞬、フリーズしたかのような会場裏で、何人の笑いをこらえた政治家と、画面の前で大爆笑した視聴者がいたことでしょう!朝日新聞を筆頭に政治家さんたちの発言の歪曲、悪意ある捏造に、どれだけ辟易していたか過去の経緯が伺い知れマスネ。

*記者会見の全容はこちらで! 他にもおもしろエピソードがいっぱい!

早速、翌朝の新聞、「朝日」=「内閣構造ーアジア外交が心配だ(11月1日社説)」を受けて、特定アジア方面(特亜)は、ざわめき始めたようだ。『日本の新内閣は、アジアに対する歴史的テロ』???、とかの表現もあった。ウ〜ン、相変わらずの意味不明の電波ぶり。。。
中央日報では、日本の新内閣を社民党党首フクシマオバ(福島)の言葉を借りて、「ネオコン推進」と呼んでいる。

*中央日報日本、内閣改造「ネオコン」前進配置…韓日摩擦懸念

しかしね、靖国は国内問題として、それ以外の麻生外相の発言の中の、

「中国と韓国への対応は別物、体制に共通点があるかなしかで、、、」

〜という意味を、深く考察して賢く立ち回った方がいいんではないかいなァ〜?これはある意味、彼ならではのお情けだヨ〜。

中朝韓の特亜反日トリオが、同じカードで日本叩きをすればするほど、嫌中嫌韓感情が日本国内の老若男女を問わず醸成されていく。朝日、毎日などの反日新聞電波を真に受けて調子こいてると、実態を見失うゾと、付け加えておく。
次の総理候補NO.1人気の安倍ちゃんをけなしたり、「改造後の小泉内閣支持率が5.6ポイント上昇」(東京新聞11日1日朝刊)ーという日本国民の総意を甘く見て反日抗日を振りかざすとは、イコール、我々、サイレントマジョリティーの日本人全てにケンカ売ってることになるのだから。
ここんとこ、ジャニー=マエハラ(前原誠司)くんも、ヨォ〜ク考えた方がいい。
新組閣に対する評価を一晩で手のひら返すのは、民主党内の混乱をそのまま露呈するようで見苦しい。若い党首には、党派を超えて先輩議員の良いところを尊敬し、見習う姿勢のスガスガしさがあって欲しい。その方が、共産、社民など、その他野党との差別化が計れて良いンではないか、ン?

今内閣の布陣は、明らかにサプライズは、”靖国三人衆”だ。そして、脇をユリコ女史(小池)と、ショーチャン(中川)が、しっかり固め、ダブルロック。その周囲を新人議員を含めた『靖国参拝をする議員の会』が取り巻いている。
次なる対立軸は、『靖国』が隠れたキィワードになる予感。。。
選からもれたフクチャン(福田氏)を核に、自民傍流と公明、野党が合流しながら、新たな対立構図が水面下で静かに編成され、第三の地殻変動へと結びついていくのだろう。
そう、日本に日本人が住む限り、靖国否定派が決して政権が取れないことに早く気付いて、賢く立ち回った方がお利口ってものだヨ、元○和推進委員長のマエハラくん!

それにしても、最近の自爆寸前の半島事情ったら、、、!
北は、シナからの資本投入と引き換えに鉱物資源という身売りを始め、経済的にはすっかりシナの傀儡政権だそうな。更にシナの魔の手は南にも延び、鮮民族食のキムチ輸出攻撃を仕掛け、そこに鉛が含有されているという狡猾さ!おまけに寄生虫まで仕込まれているとあっては、”オーマイガァ〜ッツのアマテラスさま!”

今、一番ホットな話題は、ナンテッタッテ、『中韓キムチ戦争』だ!

互いに「寄生虫入りキムチ爆弾」を送り合っているというから、スゴイ!
これこそ、我々、日本民族には逆立ちしたって真似のできない発想だ!!!
汚染された河川水と、人糞有機農法で作った野菜のコラボか、虎の威を借りるのは半島伝統芸のひとつ”事大主義”としても、いくら宗主国さまの命令だからって、やっぱ、ウ○コ付きのキムチは食べたくないよな〜。
ちなみに日本にもこれらは送りつけられている。韓国産キムチの蓋を開けたら、芋虫が入っていたと『桜チャンネル』で、とある”お嬢”が証言していたから、背筋が寒くなる。故意的に日本向けのものには、唾を入れてるとか、糞尿を入れてるとかは以前からあった都市伝説だが、まあ、、、、あの真っ赤な唐辛子味噌、、、、ナニが入ってても不思議はないかも。。。。
*朝鮮日報-「中国 韓国産キムチに輸入禁止措置」〜コチジヤン、プルコギ用醤油などからも寄生虫が!!!

。。。心しよう〜! 怖いのは、決してBSE牛だけではない!。。。。。
生ゴミギョウザ、ミ○ドの肉まんなんてのもあったし、鳥インフルは、アジアからヨーロッパへとも既に上陸済みだし、香港も厳戒体制を敷いている。国家転覆を計るには、あの手この手があったりするのだ。
くれぐれも、産地に気をつけ、半島〜大陸系の外食、出来合いもの食べる機会も極力なくすよう、努力しよう!

再び中国産キムチから寄生虫卵を検出
中国産キムチからべん虫卵発見

反日、抗日がないと、共食いし延々続けるというのが彼らの歴史。民族間のアイデンティティ戦争は、密かな政治工作としても進行中のようだ。

まずは南北の関係。
ひとつの民族にふたつの憲法。統一されるに矛盾はあってはいけない。垣根を開放するには、矛盾を取り除かねばならない。しかし、今、領土問題を含めてもめている上に、将軍さまんちの規約「南の赤化計画」には何の変更も予定されていない。北にイニシアティブを取られ降り回されっぱなしで、北の工作員との噂のノムタンの指導の下、日本人の倍の数もいる韓国人拉致家族の心情はいかばかりかと思う。半島の歴史が宗主国なしでは常に百済、新羅、高句麗など分裂していたことを考えれば、同じ民族だと云って無理矢理統一した暁の、夢破れし不幸、災難が予測されてしまう。

大韓民国の領土まで譲歩するつもりか

以前の韓国メディアの記事に、半島の高句麗史を「中国の少数地方政権」と捕えた中国外交部のHPの表示について、「他国にああしろこうしろという指示は内政干渉ニダ」「他国の歴史を歪曲捏造するものニダ」と糾弾するものがあった。
ネエ、、、なんでネ。。。。コノ民族、この自己矛盾に気づかないんだろうか。"他人のフリ見て、我がフリ直せ〜"という、謙虚と素直さとは、永遠に無縁の生き物なのだろうか。
歴史認識を各国で一致できないのは仕方ないとしても、歴史上の事実は事実。
捏造はいかんよ、事実の捏造は〜!我田引水の解釈はお互いさまとしても、捏造の歴史を学ぶことに何の意味があるというのだ?
歴史を学んで、『歴史に学ぶ』とは、真実の歴史が前提。失敗や成功の教訓を得るためのものだろう。真実を知らぬば、同じ間違いを何度も繰り返す永遠の、ただの馬鹿!

〜どこの国でも、どの時代も、世界中で歴史が現在進行形で、
歪曲、捏造され続けている〜

まずはこれを前提に、既成の歴史は疑って眺めることを基本としよう!
これには戦後のみならず、我が国の有史以来の歴史も含まれる。真実の歴史とは何であるか、深く深く考察し続けるのが、我々の永遠の使命。歴史の狭間で、埋もれた文献、発禁処分になった文献、焚書された文献は、いくらでもあるのだから、受け身では決して真実には辿りつけない。

現在、米韓同盟も風前の灯の、末期症状。
朝鮮戦争をアメリカの侵略、民族分裂さえも日本、アメリカのせいとし、マッカーサー像を撤去しようとする国内の動きは、つい先日、あの、アメリカ民主党のヒラリー=クリントンからも、「コノ、恩知らず!」という意味で『歴史的健忘症民族』と罵られた。
これが、アメリカ国民の一般常識として認識されていく意味を彼らは考えたことがあるのであろうか。このままゆけば、アメリカからも完全に見捨てられ、昔のように南北まとめて宗主国さまに仕える日もそんな遠くはない。しかし、事態は深刻を極める。『日本の併合あってこその、韓国の繁栄あり』と訴える韓国内の親日刈りは更に進み、一般人の親日サイトまで摘発し、言論統制を敷く始末。
第二の『白村江の戦い』がすぐそこに。。。?!

〜クワバラクワバラ〜、
『脱亜入欧』!
 我々は、まさに我が国の先人たちの尊き歴史的言質に学び、
今回は絶対、情に流されず他人のフリしようネ!
コレが我々が、最近の歴史に学ぶということだ。

「中国の目には、大韓民国はどう映っているのか」

再び、話をタロタン(麻生太郎)外相に戻そう。jiro2

女性の方が引いてしまいそうなコワモテのお顔とベランメエ調だけど、記者陣をキリキリ煙に巻く手際に、なんだかオバサン、日本のジェームズ=ディーンこと、吉田茂元首相の懐刀、『白洲次郎 占領を背負った男』白州次郎さんを重ねてしまいました。(ハ、ハ、ハ、クルシイ?)
お育ちも、かつての筑豊地帯一帯の『麻生炭坑』という経済的基盤に、大久保利通を曾祖父に、吉田茂を祖父に、親戚筋が三笠宮とご成婚という皇族方ともご縁があるという、一般庶民感覚とはかけ離れた雲上のお家柄である。
その反動か、余裕のワルぶりっコ、ってトコロが、もしかして子供の頃から白洲氏にナニかしら影響受けてたのかな、、と勘ぐりたくなる。お育ちのヨロシイ方は、ヨロシイなりに、それが逆コンプレックスとなったりするし。

白洲次郎さんは、英国留学中、英国スーツに身をくるみ、英貴族子弟に負けず外車(当たり前か!)2台を乗り回し、お国の一大事には、スワ、帰国した。敗戦後の占領下ではそれは堪能なクイーンズイングリッシュでGHQの粗野さ加減をからかい、日本国憲法制定時に大活躍!
カウボーイの粗暴な国には、これで充分〜と、ジーンズとTシャツで、アメリカに乗り込んだ男だ。
きっと男性からも、女性から見ても、文句なくホレてしまいそうな”日本一美しくイカス男”ではなかろうかと、思う。(上写真)
過去にNHKで、『憲法はまだか』というドラマがあったが、GHQが示した憲法案を下に三日三晩で、壮絶な論争を繰り返しながら、現在の日本語の『日本国憲法』に翻訳したのが、彼なのだ!

「我こそが太陽〜」と太陽を背に座ったアメちゃん等に、敗戦国故、日の元の国の臣民がかしづかなければならない定命。昭和天皇陛下からの贈り物を「床に置いとけ」との命令に、踵を返して抗議したエピソードなど、その気骨、迫力、国際感覚を取り入れても尚、誇り高き日本人として生きる彼の姿は、まるでマンガの中のヒーローを見るかのよう。また、プライベートにおいても、ジョン=レノンとオノ=ヨーコを遥かにしのぐ。正子さんとの出会い、生活は、日本人男女のあるべき姿か、今でも充分憧れのカップル!
オシャレで見栄えも良く、権力にすり寄ることもなく、しかもお金持ちで、疾風のように表舞台に現れて疾風のように去って行くその生き方は、確立した個と公けの精神の見事な融合、最高度に個性を輝かせるとは何かーと、どの時代にも通用するお手本となるのでなかろうか。

庶民や小金持ちは、どんなに強がっても所詮、”卑屈で権威、権力に弱く、小銭で転ぶスノッブな生き物”になりがちであるが、一方、桁はずれの生まれや育ちの良さには、そんな七面倒くささ全てを吹っ飛ばす、痛快さと豪快さがある。例え、階級社会、差別社会の中にあっても、与えられた環境を生かしながらの自由な精神の発揮は枠内に留まらず、本来、誰にでもその気になれば到達できるものであったのだ。

麻生氏の公式HPには、プロフィーにあるクレー射撃の経歴や、週に何十冊と読みこなすマンガオタク度など、オモシロエピソード満載!特に、世界一の大富豪をビル=ゲイツを議員会館に呼び寄せ、安いカレーをご馳走するくだりは、愉快痛快である。

右翼、保守、右傾、タカ派など、ありとあらゆる言葉が、ヒダリ巻き系メディアからレッテル張りされ、今までの『愛国』即『軍国主義』が、『右翼』『保守』に結びつけられ、過激派左翼と同じ「危ない人たち」と、括弧でくくられてきた。
しかし、単純に自分の母国、故郷、言語、文化、伝統を愛する『愛国者』像を、ものものしい戦車のごとき街宣車を乗り回す直情径行型の短気なマイナスイメージとは、なんとしても差別化をはかり、一掃したいものだ。
その時、この、現代の保守像の究極の理想の姿に、『白洲次郎』像を使わないって手はないと思う。

今、『白洲次郎』が新しい!
『風の男 白洲次郎 裕次郎よりも、JIRO SHIRASU』とか、
『白洲次郎に学ぶ 男の美学』『国際派日本人の原型 白洲次郎』〜とか、

ファッション誌、生き方マガジン、クラスマガジン、女性誌、ビジュアル的にもかなりの二重丸なので、いくらでもこのようなアオリを入れれば、日本国中に、たやすく『白洲次郎』ブームが作られるのではないか?
また、これは戦前〜戦後の日本の真実の姿を知るきっかけにもなりえるので、戦後の歪曲された歴史洗脳を解くにも有効となるだろう。

更にその奥にある精神、個人と国家の関係、個と公の関係に、どちらにも偏ることなく、決して対立軸がないこと、自分の所属する家庭>地域>社会>国家の順に絶えず利益を考えながら、果ては世界の一員として生きることもできる。
自由に生きながらも国益という大義と矛盾しないという、現在の過った自己中心的個人主義という肥大化した個の方向転換を我々に示してくれるだろう。そう、本来、”愛国に満ちた国家の一国民であると同時に、地球市民である”、という概念は、対立したり、矛盾したりしないものであるはずなのだ。

ますは「己れの足下から耕す」〜これが基本中の基本姿勢。
国家の概念を否定し、ただ地球市民のみを標榜する者たちは、自分の頭の上のハエも追わず、自分以外の他人のハエを老い続ける永遠の愚かもの集団だ!

さて、『新憲法草案』の自民党案が提出され、次なる国会では、憲法改正に向けて論議が活発となり、ますます目に見える形で、大きな車輪が廻り始める。
懸案の『人権擁護法案』の見直しという、ラッキーなニュースも飛び込んできた。

『白洲次郎』と『新憲法』、こんなタイムリーな時期があろうか?
平和ぼけした日本人が『日本』という『国家観』に目覚め、押しつけの憲法ではなく自らの手で新憲法制定できる瞬間に立ち会える幸福を、白洲次郎の想いを重ねながら、つくづく、味わってみたいと思う。

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