アマテラスサマハ何ヲ思フ?
神風吹いた日、紀子妃殿下第三子ご懐妊!(バンザ〜イ!遅ればせながら)
オバサンは決して忘れないヨォ〜!国会審議中、渡されたメモ、小泉首相の驚愕!顔面蒼白!場内拍手!
人智を超えた、余りもの劇的な展開に国中が一瞬、息を呑んだ日だった。
とうとうアマテラスさまは、愚鈍な我々にもわかるように、そのお力の不思議をお示しになったようだ。
古代より幾度となく国難に立ち会った日本人は、このような不思議から、”神国日本”と呼ぶようになったのかな〜?
なんとなく、ザワザワと、オバサンのオンナの感が騒ぐ。
おそらく今年の秋には、きっと、、、「男子の新宮さまご誕生で日本中が狂気乱舞する!」ってネ!
とりあえず、今国会の「皇室典範改変」案は見送りで一件落着......?
いやいや、あの”執念”の小泉将軍さまのことだから、いつ何時奇襲作戦をひっかけてくるかわからず、気が安まる時がない。ご慶事を受けたあとにもちゃっかり、
『梅咲けど 鶯鳴けど ひとりかな』
〜なんて歌詠んでるくらいだから、コワ〜ッ!
しかも今回垣間見えた、女系推進派のネットワークったら!!
コレ、つまり、、、手っ取り早くいうと、、、
元ノーパンしゃぶしゃぶ官僚の『羽毛田氏ー風間氏』のコンビが、
拝み屋学会に通じ、いわば御皇族らを幽閉し、
政治家や学者、左巻き女系容認推進外部勢力とつるんで、
一大クーデターを企んでいた?
ーということらしい。。。?
しかも、この女系容認案が、H8年の橋本総理の時代から極秘で進められていたとあっちゃネェ〜。
ま、、、マジに結果ありきで数年かけて、綿密に罠を張っていたということだ。
『Speak Easy』さんが指摘なさっていた、H12年歌会での不気味な”革命の歌”ってのも、意図的な選択だったのかと思うと、背筋がゾォ〜ッ。
言霊の国だもんね、日本は。
それを一番知ってるメンバーが、ご皇室に呪いの言葉で呪詛かけたって不思議ではないカモ。
また、小泉内閣以前の非公式の研究会と、現有識者会議の両方に名をつらねるのが、古川貞次郎(元官房副長官)、薗部逸夫(元最高裁判事)。よォ〜く名前覚えておこう!
後の世にこの事件が、日本国の大転機と記されるか、皇室乗っ取り一大スキャンダルとして歴史の波間に埋もれるのか、、、、わからない。。。
しかし、いい加減なマスコミの煽りに乗せられて、文化的歴史的価値も知らず、バーミアン遺跡を破壊したタリバン政権を後押しるすような、愚かな国民だけにはなりたくないものだと思う。
*参考:産経新聞では『皇室典範改正見送り公算 政局回避?真意は… 安倍氏ら説得』 |
さて、「皇室典範改正」という名の「皇位継承権争い」?
雑誌読んだりテレビでいろんな討論番組を見ていても、「男系女系」両論とも、”天皇”の宗教的祭祀的側面には、一切触れていないことに気付く。何故。。。。?
触れてはいけないのか....?
触れると、存在そのものが政教分離に反するとか.....?
お馬鹿な天皇制廃止論者を勢いづける危険性を回避するためとか.....?
触れても、”祭司”としての事務的仕事だけ。ただ、榊を振って祈りを捧げる行為をするだけなら、女性でも問題ないと、うそぶく専門家の教授もいた。
挙げ句の果てに、いまだにご皇室にまで”ジェンフリ”振りかざすバカコメンテーターも、山ほどいる。
先週の「サンプロ」で、アマテラスさまが女性なら、天皇だって女性でもいいじゃないかとのたまった田原総一郎氏には、「コイツ、ここまで馬鹿だったんだ〜!」と、心底、人間として軽蔑したくなった。「そのくらい、軽いんダ、皇位継承問題は!どうでもいいなら、エラそうに口出すなっ!」ってネ!
女系やむなし論者の中でも、唯一、傾聴の価値があると思ったのは、西部進先生だけだ。
西部先生は、天皇を日本的精神の象徴としてその”玉座”の大切を説かれていた。
そこにお座りになる方を、日本の文化歴史の継承者-日本的精神の体現者とするなら、極論として、女系でも構わないとおっしゃる。
ワタクシが感じてるのも、まさしく、コレ!
本質を語らない議論はむなしい。
玉座は、ナニユエに玉座なのか.....?
玉座は、誰から与えられたものなのか.....?
玉座は国民が作ったものなのか.....?
玉座が長年にわたって維持されてきたのは、何故なのか.....?
玉座の意味や由来、価値を知らずして、誰が座るかばかり議論することは、全くのオロカ!
本質は、「靖国or無宗教追悼施設」とも同じで、我々の死生観そのものに関わってくる。
神や畏れを見失った我々が、今、この時、
「あなた、人間やめますか〜? それとも、獣になりますか〜?」ーという、”聖”なる精神を奪還するか否かの、問いかけをされているのだ。
アメリカでも昨年、ホワイトハウスなどパブリックスペースのクリスマスツリーが、違法か合法か、問題になっていた。多民族人造国家ゆえ、とても複雑。しかも、世界三大一神教同士が混在しているから、どれもが寛容性に欠け、反対のシュプレヒコールが撒き上がるのも想像できる。イエスさまの誕生のクリスマスだけを祝うなんてねネ、やっぱり。。。
ーだったら、紛争の種を避け、何も飾るのはやめましょうっが無難ってことになるのは、目に見えてる。
何も飾らないー? どの宗教にも、肩入れしないため。。。?
しかし、究極の政教分離とは、とどのつまり、簡単に国家が、”無宗教=唯物論国家”への転落コースが用意されているということでもある。
言語において、信条において、信仰において、教育において、異なる精神的文化的バックボーンを持つ、複数民族で成り立つ国を束ねるのは、ほんとに大変そうだ。
例えば、日本でも、正月の門松は神道っぽいから、官邸に飾ってはいけないとか、国葬にお坊さんや牧師、神父さまを呼んではいけないとか、国会答弁に宗教的言い回しは禁止とか。。。。?
アメリカでヒスパニック系の大統領が出たら、演説はスペイン語で行われる、、、なんてこともあるかもしれないし、熱心なムスリムの大統領が出たら、数時間ごとのお祈りが、個人の信仰の自由と政教分離で、議会で問題化するかもしれない。。。
しかし、考えても見よう。
あんな新しい国にだって建国の始まりにおいて、自由を求めた”プロテスタントの精神”があったはず、、、だ。(オバサン世代は、そう習った)
建国と独立の際に、単なる反抗期とか、母国英国からの親離れという単純動機ではなく、「キリスト教の神に裏打ちされた大義があった」〜という”神話”がなければ、今、竹島に不法占拠している半島の流れ者同様、彼らの歴史は、〜強制連行した奴隷とともに勝手に欧州から大陸に入植し、ほとんどの先住民族を虐殺陵辱し乗っ取った〜という、血も涙もない弱肉強食世界、単なる残虐な”ケダモノの国”の歴史となってしまうではないか。。。!
(実際、その通りかもしれないが、、、)
2月11日は、我が国の「建国記念日」であった。
これはかつては 『紀元節』と呼ばれた。
その昔、、、なんと、2666年前の2月11日(旧暦で元旦)に、初代天皇の神武天皇=『神日本磐余彦尊』(カムヤマトイワレビコノミコト)が、橿原宮で即位された日。
『日本書記』『古事記』の記述に基づく、貴い尊い日である。
神武天皇は、アマテラスさまが統治する高天原から、三種の神器を携えて降臨した天孫ニニギノミコトの子孫である。我らの神話は、オリンポスの神々から、半神半人〜人=現人神になる過程を経るように、大和朝廷世成立後の、なまぐさい権力闘争の歴史へとも、続いている。
国の起こりを、本物の神代の時代の神話に置くのが、我が国のれっきとした歴史であり、正史である。
国の歴史は、建国から始まる。
建国はある程度、神話的要素をもち、その”建国神話”が国の性格を決定する。
どの民族にとっても、どの国であっても、その起源において、それまでボワ〜としていた共同体への帰属意識が部族〜民族〜国家へ同心円を描きながらも、”建国神話”という”集団幻想”によって、ひとつの集合体=国民として、アイデンティティが、ガッチリ固められるのである。
それは、現在進行形でせっせと、建国神話を捏造している、もうひとつの人造国家『中国』を見てもわかる。
つい、50数年前の彼らの建国時に、同じ民族同士が血で血を洗う戦いをしたなどとは、絶対、書けないよな〜。
ましてや、数千万の人民を飢えさせ、粛正した「文革」の大悲劇なんてのも、絶対、ふせるべきだし、民主化求めて殺された天安門のかわいそうな学生たちのことも、絶対、口外してはならない。
そうそう、国民党と中共の同族同士が血を流し、台湾に追いやったことも、絶対、ヒミツ!
台湾において、それまで日本統治下で恩恵を受けていた本省人を皆殺ししたことも、やっぱり、内緒だ。
中共が、自らの政権を正当化し、シナ大陸と台湾の両方を治めるためには、同じ民族以外の敵=悪魔が必要なるのは、とっても、納得できる!
そこで、宿命の敵役として大抜擢されたのが、日本、ーというわけだったのだ。
民族を大虐殺し侵略してきた、憎っくき悪魔のような日本を追い払ったという、偉大な中共政権による”建国神話”を作ろうと、徹底的な反日教育を人民に施している。
また、これに便乗してやはり、新たな神話を作ろうとしている国がある。
毎度おなじみの、半島姉妹。
カレらも、長年、シナの朝貢国の季朝に奴隷のように搾取されていたとか、日本に併合されてやっと人間らしさを取り戻したとか、民族同士が南と北に分かれて血を流した過去の戦争なんて、絶対、葬りさりたい記憶であるに違いない。
ーで、中共と同様に、南北がひとつに統一するために一緒に手をたずさえ、鬼畜日本により生き別れにされた姉妹を演じ、力を合わせて日本と闘い、再び、一つになるっ、、、という、感動的な倒錯神話をコソコソと考案中。
東亜トリオが反日でまとまり、日本国内のメディア、工作員を通じて、我ら日本人さえも、彼らの神話につじつま合わせに無理矢理、つきあわせようとしている。
北と南の朝鮮戦争も、北による南の拉致問題も、すべて”なかったことにして、日本に罪をかぶせよー”って!
。。。。。。
さて、この民族神話と建国神話。
いかにボロを隠し、いかに普遍的な説得力を持つか、その物語の出来不出来が、後々の民族、国家の運命をも決定するだろう。
我らを夢に誘う、壮大な”始まり”の物語り。
しかし、その内容が、侵略とか征服の、アメリカンヒーロー的な英雄譚ばかりだと、これは”始まり”とともに、既に”終わり”をプログラミングされていることになるだろう。
これは、”プロテスタントの精神”を忘れ、「アメリカンドリーム」や「アメリカ イズ NO.1」のみを旗印に、移民を呼び寄せた結果、結局はそれを維持するために、アメリカは、国内では弱肉強食の格差社会、国外的には戦争相手を探し続けないと、国家維持は不可能という、自縄自縛のジレンマに陥ってしまったのを見ればわかる。
同様に、どんなに日本を悪者に仕立て上げ正義をぶちかましたところで、、、。
神話の始まりには、絶対、天の神々に裏付けされた大義が必要なのだ。
そして、信望する神の属性が、そのまま民族や国家のアイデンティティを決定するのだ。
神の崇高さは、民族や国の崇高さにずるし、その神が長い時代の変遷にも耐えるには、科学や合理性をも凌駕するようなものでなければならない。
また、慈愛や叡智や寛容さなど、より普遍的な精神を示す神は、民族や国家の枠を超え、世界的な宗教となる。
さらに、”始まり”の物語は、歴史という形で、今を生きる我々が引き継ぐ。
悪の枢軸国、テロ国家、イスラエル、イラン、チャイナ、台湾、北朝鮮、アメリカetc.....
現在、世界中で火花を散らす情報戦争とは、各国の”神話”が大義を求めて進行しているってコト。
しかし、伏線の張り方を間違えば、いつか、物語にホコロビが出ることもあるだろう。
見え見えの工作がすぎれば洗脳に失敗し、反動も推して知るべし。
では、我らの”神話”はいかに、、、、?
それは、やはり、我らのルーツを知り、建国神話をよく学ぶことにある。
我らの建国は、アマテラスさまを主宰神とする、天皇とともにあったのは、まぎれもない事実である。
数多くおわした日本の神々の中から、アマテラスさまが何故、我らの主宰神となったのか...?
アマテラスさまに導かれた大和の民は、どんな夢を託されたのか....?
天皇という『玉座』が何故、設けられたのか.....?
天皇は、いかなる使命を帯びた存在なのか....?
万世一系の意味とは何なのか....?
そして、我らはいかなる”精神性”をもつ民族だったのか....?
2666年とされる歴史を鑑みながら、そして今後、どこに行くのか、ボチボチ、学んでていきたいな、、と思う。
とっても、オモシロイ!
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