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2006年3月

2006年3月12日 (日)

天皇に祭祀王としての復権を(2)

アマテラスさまはいかにして皇祖神となりしか?

縦糸とは、時間軸における「ご先祖さま信仰」であるとした。
これは、そのルーツの気高さが誇りともなる反面、血の優位性は、えてして、排他、選民思想に陥りがちだ。

横糸を空間軸の「村社会」とした。
これは共同作業優先の農耕型民族だったら当然持っている調和の原理。しかし、これもすぎると、日本人お得意の「なあなあ」の慣れあい社会、怠惰な停滞をもたらすこともある。

排他と調和、進歩と停滞、この相矛盾する両糸で、しっかり織り物をなすよう”ハタ織り機”の役割をしてきたのが、日本という、森と水に富み海に抱かれた美しい国土だったのだろう。
その美しさゆえか、我々は太古の昔から、森羅万象にカミが宿るとして、畏れ、敬った。

この”畏れ”と”敬い”から、原初的な神のふたつの属性として、『荒魂』と『和魂』がある。
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『荒魂』(アラミタマ)とは、旧約聖書の神ヤハウエや、厳父の怒りのイメージ。
たたりや、血なまぐさい闘争や、天変地異をもたらすし、ヒトを善導する。云わば、一徹とうちゃんの卓袱台返し、のようなものか....?
古代より供物を捧げ、供儀、祭りを行ってきたのは、神の怒りを畏れ鎮めるためである。

『和魂』(ニギミタマ)とは、逆に母のような慈愛に満ちた、新約の神のイメージ。
ヒトはまた、神より授かった恵みに感謝し、更なる祝福を願ってやはり祭りを施してきた。
さらにこの和魂には、幸運をもたらす『幸魂』(サキミタマ)と、奇跡をもたらす『奇魂』(クシミタマ)があるという。
人智を超えた自然の脅威と恵みが、そもそも、ヒトと神を結ぶ、縦と横の糸を吐き出す繭だったのだろう。

八百万(ヤオヨロズ)の神々が住む、万華鏡のような多神教世界。
自然の営みは神の営み、その中で神の意思にそうようにヒトも生きる。山や泉、岩や樹木、自然界のいたるものが聖別され、特別な霊力が宿る、神の依り代、ご神体として崇められていた。

この、神々と共に生きることを神道では、『カンナガラ(惟神)』と、言うそうな。。。
”神のように””神を心に常に抱いて”、、、そういう意味であろうか?

また、全ての生命は神から分かれた『ワケミタマ(分霊)』とする。
ヒトは、土地の『ウブスナガミ(産土神)』の働きにより誕生しては祖霊の世界に還る。そのうち個性も失い自然の一部になり、また新たな生命を生み出す母体となる。
すべてが、生成流転の自然の法則の中に存在する。

しばしば、神は、神の胎のような大きな森の中の奥に鎮座し、村里を守る鎮守の神として各地で崇拝されていた。これが神社の始まりだ。

ここには、此岸と彼岸、あの世とこの世のような、対峙する世界観がない。ただ、神=自然の世界の中でエネルギーが循環するだけ。
リサイクル、リユース、リプロダクト、なんと、現在のエコロジー観にかなっているんだろう!
”死ねば、みな神さま”ーこの土地と結びついたシャーマニズム的宇宙観が、我々の無意識の根底にどっかっと、横たわっている。

これが稲作文化の始まりとともに、私有財産の格差が生じ、縦糸が芽生え、北方的父権社会へ移行する。
競争の原理が導入され、フラットな生者、死者、自然霊も、ヒエラルキーの中に編成されていく。

死者(先祖)、神々の世界でも、勇者、英雄の魂が、個性を持ち人格化され、祖霊の中でも特別なポジションを持ち、名も持たぬ自然の産土神を凌駕するようになる。

しかも、農耕作業は何よりも太陽のご機嫌に左右される。
One of spiritsだった太陽が、King of godsにへと、フラットな自然崇拝が、次第に階級を伴った太陽信仰に一元化されていく。

よくよく考えれば、平等と格差、社会主義と自由主義、これらふたつの概念は、殊更、人間が近年思いついたものでもなく、自然界の横糸と縦糸として、アプリオリに包含されていたんだろう。
大木があれば、小さな花や地を覆う苔もある。肉食動物もいれば、蟻もいる。

要は、完全循環し完成された姿が、神の芸術としての”森”の中にあったのではないかということだ。
森の生命たちは、森の外にある太陽の存在にはぼんやり気付いていたけど、はっきり、その存在に気付いた人間が縦糸の牽引役となり、森から飛び出そうとした。
そして、、、逸脱しすぎてしまったのが現在の姿か。

ところで、太陽信仰は世界各地で見られるように、天孫族オリジナルのものではない。
現に日本の至る聖所に太陽祭祀の遺跡があるように、大和朝廷成立以前にも各豪族らは、それぞれに日の神(原アマテラス)を祀っていたのだ。
みなが森の中で銘々に太陽を祀る、、、小さな太陽が何個もあるかのよう。

一方、記紀によれば、生者の世界では、高天原出身の天津族(アマツ)と、土着の国津族(クニツ)の戦い。
国津族の各豪族たちの神宝、呪物が天津族に徴発され、産土神的国津神と英雄的天津神が、しのぎを削っては、次第に融合されていく。
土地の産土神や祖霊が、日の神の秩序に組み込まれる過程は、まさしく横糸が縦糸に編まれていく瞬間ともいえるだろう。

さらに、自然界における神々の頂点、日の神の祭祀をめぐる覇権争い。

いくつもあった森の中から見ていたオラの小さな太陽が、森の外にある巨大なひとつの太陽に、統合されていく。
そして、天皇はこの世の王となると同時に、天皇の祖先を天界=高天原を統べる太陽神”アマテラス”とすることによって、地も、天をも統べる、日嗣ぎの皇子(ヒツギノミコ)となったのだ!

では、どのように天孫は日嗣ぎ皇子となったのか....?

武力、、、それもある。
祈りや夢、占いを解く呪術的な霊力の強さもある。
特に祭政一致の時代には、神の心によく通ずるものが、王となるのだろう。
しかし、世界の例にもれず、農耕に欠かせない陽の道をよく知るもの、、、つまり冬至、夏至など、暦の秘密に通じたものが、この世の王としても、祭祀王としても、覇権を握ったのだ。

話はずれるが、聖地は、何かしら「太陽祭祀」と関与している。
日本にも、聖地を結ぶライン(レイラインと呼ばれる)が、太陽の通り道と、とても深い関係があることをご存知であろうか?
コレ、『ダビンチコード』も真っ青の鳥肌モンだ。。。!

例えば、国津神「大国主命」(オオクニヌシノミコト)の総本山「出雲大社」と、「富士山」は、同じ緯度上(北緯35度21〜23分)にあり、このラインは、『ご来光の道』と呼ばれる。
春分、秋分には、富士山の頂上から昇った太陽が天をわたり、富士山の真西にある出雲大社に沈むということだ。

さらに、このご来光ライン上には、日本列島の目印となる古い神社が並ぶ。
太陽が房総に上陸する場所に、「上総一宮=玉藻前神社」(千葉)、相模川と交わる場所に「寒川神社」(神奈川)、富士山頂の浅間神社などなど、一の宮と呼ばれる神社が多い。。。

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とどめが、やはり同じ「ご来光の道」上にある、伊吹山(滋賀)と、元伊勢の大江山(兵庫)!
春分秋分の日の神は、これらの地点を次々と訪れ、出雲に達し、日本海に抜ける。

伊吹山は、ヤマトタケルが神の化身である白イノシシと戦った山。
国津神系の荒神がひそんでいそうだ。

元伊勢とは、今から2000年程前の数年間、天津神の主神「天照大神」が現在の伊勢に鎮座される以前に、仮住まいをされた場所。
崇神天皇のご神託により、大和地方の笠縫邑(カサヌイムラ)を始めとし、京都は酒天童子で有名な大江山〜近辺と、点々と転居された場所だ。

特に元伊勢の丹波地方は伊勢のひな型といわれ、神秘のヴェールに包まれた、一の宮、吉佐宮(ヨサノミヤ)籠(コモ)神社がある。
しかもこの神社の神宝である神鏡、『オキツ鏡』と『ヘツ鏡』は、日本最古の伝世鏡といわれ、2000年前以上の前漢から後漢時代のものと鑑定されている。

天孫より先に天下ったニギハヤヒの末裔、物部氏ともゆかり深いとされ、宮司の日本最古の海部氏の系図など、古代にまつわる謎の丹波王国伝説に満ちあふれている。

*物部氏の祖先、ニギハヤヒ尊は、天孫ニニギ尊の兄。 ニニギ尊に先立ち、天津神の命を受け「十種(トクサ)の神宝」を授けられ、天の磐舟(アマノイワフネ)に乗ってイカルガの峰に天降ったとされる。 この、死者をも蘇らせる霊験を持つ「十種の神宝」のうちのふたつが、「オキツ鏡」と「ヘツ鏡」である。

さて、この真東と真西を結ぶ春分、秋分の日の道に加え、さらにアマテラスさまのパワー全開の夏至のラインは、どうか?ーというと、、、アッと驚くのが、伊勢ー元伊勢ライン!

『レイラインプロジェクト』の内田一成さんによると、夏至には伊勢の海の彼方から昇った太陽が、元伊勢の日室岳の頂上に沈むという。
伊勢ー元伊勢ラインは、それこそ、一年中でも最強のパワーを持つアマテラスさまの通り道だというのだ!

しかも、伊勢の聖地『二見が浦』海岸にある自然の鳥居であるご神体夫婦岩の間には、遥か富士を望め、夏至の日、その頂上から昇る朝日は、まるで絵に描いたような「天孫降臨の構図」そのものだという!

夏至には、伊勢のから海を臨む鳥居の遥か富士の頂きより陽が昇り、元伊勢では人工のピラミッドのような日室山の頂上に日が沈む。。。。
なんと、幻想的で神秘に満ちあふれた絵であろうか?!
古代の先人たちは、現代の我々が計り知れないような天の知恵に満たされていたということか?!

ムムム、、、、鳥居って単なる聖地を聖別する神の領域への門だと思っていたけど、三角錐のピラミッドのような山、男神女神、太陽、、、と連想すれば、何やら、エジプトのイシス-オシリス-ホルスの神話を思い起こすではないかっ!!
注連縄をはられた天然の鳥居”夫婦岩”は、イザナギとイザナミの結合、つまり、オシリスとイシスの結合。鳥居の両柱は、男性原理と女性原理の象徴か?
ーとすれば、不気味なドル紙幣でも有名な、全知全能の目『ホルス』は、アマテラスさま=天孫ニニギノミコトってとこか!

さらに〜っ!!

神社の鳥居にも一の鳥居、二の鳥居とあるが、これらの縦柱を結ぶ、夫婦岩の注連縄である水平ラインに注目。
想像してみてみよう!
陽の光を真っ正面から受け止めた鳥居が、神社にアマテラスさまを導くようにその影を落として行く。。。
そう、鳥居の2本の水平ライン何かというと、日の神が高天原から降りてこられるための梯子、階段、、だったのだ!
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日の神は、高天原からこの階段を降り、富士山のてっぺんより、地上に降臨される。
しかも富士山頂にあるのが、天孫現人神ニニギノミコトの妻となった「木乃花咲耶媛(コノハナサクヤヒメ)」を祀る浅間神社だ。
この、名もうるわしい「コノハナサクヤ媛」は、山の神「オオヤマツミ」(大山津見神)の娘。火山である富士山と、「オオヤマツミ」が結びつけられるのも納得できる。
そしてニニギノミコトから不義を疑われ、炎の中で命を賭けて産んだ子が、ホデリ(海幸彦)、ホスセリ、ホオリ(山幸彦)の三人。
カインとアベルの兄弟争いのような、海幸、山幸の有名な物語の後、今度は海神「ワタツミ」の娘「豊玉崑売」(トヨタマヒメ)と、山幸彦の子が神武天皇の父となられた「ウガヤフキアエズノミコト」(鵜葺草葺不合)だ。

天津族がこのように山神「オオヤマツミ』と、海神「ワタツミ」の一族らと婚姻を重ね、後、国津神と天津神の両極を保ちながら、アマテラスさまの下に統合されていく。
縄文vs弥生の図式に比喩されることもあるが、我らの神話は、なんとも示唆に満ちているではないか。。。!

神話的要素を他民族の神話の中に類似性を探すと、何かしらの我ら民族のルーツが伺い知れる。
例えば、男女神による国生み神話は、南方系海洋民族の伝承を根に、大陸南方系と北方系内陸アジアの農耕民族型の伝承が複雑に絡み合っているという。

母権集団的な縄文式価値観から、父権集団的な弥生式価値観。
ふたつが対峙して結果、弥生が勝ち、縄文に取って代わったというよりも、いくつかのルーツの異なる民族伝承が、根底に縄文的な神の概念を抱きながら、多彩な重奏をなしてきたのだろう。

本来、太陽信仰は海洋民族のものであるという。
しかも太陽神は、世界的にも男神であるのが普通だ。
また、天津族の皇室は、父権的北方シャーマニズ文化に属し、その主宰神はもともとは、タカミムスビ神(高皇産霊神)とする学者さんもいる。
その説に立ちまとめると、以下のようになる。

アマテラス>母権的村落共同体、祖先崇拝、アニミズム、人身供儀

タカミムスビ>父権的氏族社会、英雄神祖先信仰、軍隊組織

ーともあれ、紆余曲折の果てに7世紀、天武天皇の治世に国名を”ヤマト”から”日本”と改め、皇祖神を太陽神とし日の本の国として、部族国家から民族国家として統一されたことは事実だ。

これ、父権的縦糸が、母権的縄文的な日神アマテラスとすることで、ひとつの編み目が完成したと見てもいいのではないだろうか。

そして、その後(おそらく持統天皇の世)に、世紀の大発明(ーとワタクシは思っている!)、この男神アマテルを女神アマテラスーと、神の性転換ともいうべきノーベル賞的大事業をなしとげたことによって、権威と権力の住み分けがスムーズになされ、その後の時代、再び、繭は横糸を紡ぎ始めることができたのだ。

国が安定した中世以降、天皇は、我らが住む里のはずれにある鎮守の森の大きなお社で、神=太陽を祀る祭司として、また民族の産土神をも祀る祭司として、ずっとつい最近まで千数百年にわたり、祭祀王としてのお役目を果たされてきたのだ。

我々も、無意識であれ意識的であれ、しっかりとその恵みを享受し、それこそ”カムナガラ(惟神)”に日本という大きな繭の中で生きてきた。
まさに、これが、民とともにあった天皇、天皇とともにあった民の姿なのではないだろうか?

そう考えれば、戦後”国民とともに歩む皇室”とか、”開かれた皇室”などの耳障りのいい謳い文句は、いかに馬鹿げたものであるかとわかる。

祭司の衣装を脱ぎ捨てた天皇が、神を失い森を捨てた馬鹿国民にすり寄ることに、何の価値があるというのか?
さらに言うなら、鳥居をただのコンクリートの柱とし、車で境内に乗り込んだ上に、神社のご神体を暴くような真似を「開かれた」と勘違いしている畏れを知らぬ我らに、いつまでも神の『荒魂』が作用しないわけないだろう。

我々が今方向転換すべきなのは、我ら自身が、神々の住まう森に還ることであり、神の社に集う共同体を築き直すことである。
それがすなわち、本来の天皇の在り方、祭祀王としての復権をなすことになると思うし、そのお姿は、日本のみならず、地球規模で自然破壊が進む現在、自然との共生に立脚した発展という、世界で最も必要とされる規範にもなりえるはずだ。

ひとえに『和魂』(ミギミタマ)を象徴する〜女神である太陽=アマテラス〜を戴く国。。。
これが世界でも稀な、長い歴史を持つ日本民族を特徴づけてきたのだと、思う。(〜続く〜)

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2006年3月 5日 (日)

天皇に祭祀王としての復権を(1)

フェミと女系推進論

sizukaNHK、またやってくれましたナ〜。(怒!)
よりによって、アマテラスさまに祝福されたかのような金色の太陽をまとった氷上の女神、”荒川選手”の、一番、神々しいウイニングランの中継をカットするとは!
しかも、表彰台で『君が代』を口ずさむ荒川選手も、軽くスルー!

許せませぬネ、、、!
皆さまと同様、不遜なNHKにそのうち、天誅下されることを願ってやまぬ。

話は再び、皇位継承問題。
先月末(2月)の「朝生」、テーマが「天皇」とあれば、田原、今度は何を企んでるのかと、注意深く見ていらっしゃった方も多いのではないかと思う。
メンバーを一見するだけであらかた筋は読めていたけど、それにしてもダントツに無知と無教養のオーラを発散してたのは、小沢遼子と、小宮山洋子(民主党議員)のバカオバ代表2名だった。

昨年夏の「旧帝国軍人」を扱った時の出演者、ナニワ芸人『遥洋子』といい、パネラーの質の低下はそのまま、番組の質と比例。もはや、番組の存在価値そのものを疑うが、この危機感、、、番組スタッフは気付いていないのだろうか?
そう、、、知識、認識レベルにおいて、完全に、視聴者とパネラーの逆転現象が起こっているのだ!

リョウコオバ(小沢氏)は、
「三年、子なきは(皇室から)去れ!」の『石女(ウマズメ)追放令』を発射。
明治〜昭和初期の小説に出てくる、鬼姑役を買ってでる。

小沢:「だからネ、そういうのカワイソウでしょ〜?そんなこと、できないでしょ〜?」
「アナタもね、時代が変わったの。もっとお嫁さんにかわいがられる、ものワカリのいい姑にならなくっちゃ!
同じ孫なのに、女孫に家を継がせてどうして悪いのヨ〜?デショ?デショ?
男の子にこだわる必要ないのよ!ホラ、あんなに息子にそっくりじゃない〜?カワイイじゃない〜?
あなたの血も流れているのよ〜っ!」

まあ、昔ながらの近所には必ずひとりいる、”ご意見番”タイプだが、昨年の総選挙工作秘密文書になぞれば、”B層-高齢オバサン”担当だ。
この手は、言うだけ言えば本人的には満足するので無視して放っておけるが、一番タチの悪いのが、 ”B層-共働き中年オバサン”担当の小宮山オバ!。ミズホ(福島)、バイブ辻本、アベトモらも、背後霊として控えてソウロウ〜。
このオバ、皇位継承を長男次男の、しかも嫁対決に貶める、悪質なタイプだ。紀子妃殿下のご懐妊に対しても、、、

「雅子さまがカワイソ〜!」

。。。「今時、アエラを読むバカオンナ」丸出し、思わず座ったままイナバウアーしたくなる。
同じ女性でありながら、何故、紀子妃のご懐妊を素直に祝福できないのか〜?
あんな記事(アエラ)を持ち出して、まるですべての女性の総意であるかのように話す小宮山オバ、しかもコイツ、確信犯で紀子さまのご懐妊にイチャモンつけてるぞ〜!

コミュニズム「フェミ担当」の彼女ら=『♀プロレタリアート』にとって、ホントの打倒すべき対象は『♀ブルジョワジー』なのだ。
つまり、夫の給料だけで優雅に暮らせる、今や特権階級と化した「専業主婦」を撲滅し、いかに多く新たな”労働力”を ”家庭”というお城から市場へと調達するかが、彼女らの至上使命。

一見、華やかな女性の社会進出を応援するふりをして、その分、男の手足を法で縛り、男の自由度を奪う。ゼロサム市場では女の取り分が増えた分、男の取り分が減る。
ー結果、それが男の所帯の収入減となり、妻が取り分を取り返すべく、戦場に赴かざるを得ない。

80年代中頃が、いわゆる、専業主婦にとっては最高に幸せな時期だったんだろう。
しかし、あの頃、余裕こいた主婦らが「わたしの生き甲斐って何?」ーと、ブラブラ”自分探し”のお散歩してる間にバブルがはじけ、「小遣い稼ぎ」が、いつのまにか生涯マラソン「家計を支える」になっちゃった。
こうして、かっての”良妻賢母”は、フェミの目論み通り、見事、パートだ正規雇用だと武装して、続々、戦場の”女奴隷募集”の門に下ったのだ。

このフェミ軍団にとって、最後の打倒すべき砦が『ご皇室』。
ならば、「雅子さま派」vs「紀子さま派」の構図を利用しないってワケはない!

環境に順応し、つつがなくお勤めを果たされる紀子妃殿下を目の敵にし、彼女らの憧れ=輝かしいキャリアを持つ”雅子妃殿下を神輿に乗せ”かわいそうな雅子妃”をフェミの楯として利用する。

「紀子さま派」とは、日本古来の伝統的な、先祖と土地に結びついた縦横、両方の糸で編まれた強固な共同体。我々、民草も、つい数十年前までは、ご皇室と同じ、世代を超えた大家族構成で先祖を代々祀るという共同体をずっとなしてきた。

「雅子さま派」は、言うまでもなく、縦糸がぶち切れ、かろうじてつながる”フェミ系横糸核家族共同体”。この横糸も、離婚、母子家庭、シングルマザー、ニート、パラサイト、、、昨今のマスコミの煽りようによっては、かなり危なさそうであるが。。。

よって、”雅子さまカワイソウ論”とは、

”家庭(皇室)とは、
オンナに家事や子産み、子育ての強制労働(ご公務、祭祀)を強く監獄”

ーの最大なるイメージ工作であると共に、宮中行事より発生した文化、儀式、伝統をも破壊できるし、一石二鳥だ。

ご皇室に対する解体工作は、実は美智子皇后、妃殿下時代のバッシング時代から始まっていたのだろう。
そしてワンパターンを繰り返す。名前だけ入れ替えた「雅子妃バッシング」から、「雅子さまカワイソ〜」への世論の形成。かつての「美智子さまカワイソ〜」は、皇后となられた今では「美智子さま、ヒッド〜イ!」に姿も変える。

我々は、決してこのような記事のご皇族方の分断工作に、乗せられてはならない!
すべては、いつものアレ!マスコミ自作自演のマッチポンプなのだ!

雅子さまも、紀子さまも、そして美智子皇后も、貴い使命を背負われた同じ女性皇族。我々が、どなたかを贔屓、批判したり、カワイソウ〜になればなるほど、皇室批判、非難に役立つってわけナンだから。

しかも今回の、”時を得た”かのような皇位継承問題。

彼らのアジェンダは、とっくに次なる段階、現在進行中の「東宮孤立化作戦」に入っていると見る。
天皇皇后と東宮という世代の縦糸をぶちきり、秋篠宮さまやその他のご皇族との横糸も、ぶち切る。
孤立化させられた後の、皇太子殿下から愛子内親王へと女系の流れは、皇太神やご皇族方とも、完全に縦糸横糸の切れた別モノとなり、仕上げの最終段階へと移行する。

そこでは、女系天皇がもたらす果実が熟し落ちるのを寝て待つだけ。。。
なんともラクチンである。
女系容認の行く末は、皇室解体、皇統廃絶、土地と先祖にとつながる”伝統的な日本的精神の完全破壊”。
何度も繰り返すが、日本神話の終焉であり、我々、大和の民族解体である、、、!

今更ながら、天皇とご皇室が、日本を日本、日本人を日本人として、精神的特色ある共同体たらしめた核なる存在であったと、感嘆する。
そして、我々と先祖とをつなぐ縦糸も、皇統とずっとシンクロして紡がれてきた。

結論から、いこう!

我々の民族幻想は、”縦糸と横糸の大調和=大和”である。
縦糸は、”ご先祖さま信仰”である。
横糸は、”村社会”である。


sizuka2そして、この両糸は、大地=自然という繭から、生まれたものである。つまり、

”生者と死者が自然の中で共存する社会”

これが、我々、大和の民がずっと抱いて来た民族幻想ではないかと思うのだ。(続く)

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