« 2006年10月 | トップページ | 2007年2月 »

2006年11月

2006年11月15日 (水)

レンタル子宮とペット赤児 

赤ちゃんポストって。。遺棄された”赤児用のリサイクル箱”ってことネ。
熊本の病院が「赤ちゃん引き取りポスト」 賛否両論2006年11月09日 朝日新聞

リサイクル、リユーズ、リニューのエコロジー精神によって、そのうち山と集められた赤児は、ペットのように、子供に恵まれない夫婦に売り買いされるのだろう。また、子供を作れない性倒錯者カップルには特に重宝、裕福で慈善の気分に浸りたいカップルにも、最適!

グローバル化完成の果ての世界赤児リサイクルセンターでは、いろんな肌の色がストックされ、買い手のお好み次第。容姿、IQ、DNA、性格、血液型など、事細かな情報が一元管理され、価格決定される。もしかしたら、返品、お取り替え、なんてサービスも将来、考えているかもしれない。
飽食の時代の、次なる商品のトレンドは、『捨て子の養子斡旋産業』かも。

ーなんて、予想できる兆候もチラホラ。しかも、『人助け』『慈善』のWプレミア付き!お金のあり余ってるセレブ層に『聖人』のラベルは、きっと最後の勲章。そのうち、日本でも、セイコやアユクラスの大物タレントが、後追い慈善養子縁組発表なんて、あるかもしれないネ。

アメリカは芸能界でも慈善が流行:ブラピ
マドンナ養子議論過熱、2人目も!?

しかし、余った子供も有効利用されるんだろうね。売れ残りは、犬猫のように抹殺されないまでも更なるリユースを考える。例えば兵士、例えば献体、例えば性の玩具、例えば奴隷、例えば人権戦士。

これが神なき資本主義の成れの果て。

現代は、需要も供給も故意的な悪意で、創造、操作されるってのがミソ。舞台上で我々は、売り手が貧乏人、買い手は金持ちという二極に分けられ演じさせられる。ーで、誰が一番徳するかっていうと、仲買の商人たちという、”寄生ウイルス”。自らは何も生み出さない中間搾取層だ。

彼らには、貧富の格差が大きい世の中が最適の棲息条件。足下を見て買い取って、虚栄心をくすぐって売りつける。ニーズがなければ、無理矢理でもニーズを作りだす。

今後の仕入れの目玉はやっぱ、臓器売買?
そして、人間の生命の神秘に関わるもの。つまり、人間の赤ん坊と、生命の製造工場である子宮だ。
そういやかつて、飢饉の時に、髪や歯、血を売って生き延びた人たちいたもいたっけ。

人間をDNA単位まで分解する。女性の子宮をベビーベッドのようにいつでもレンタルできる状態にしておく。あとは、OK~!
顧客のニーズに応じ、養子縁組産業は「慈善」や『医療』の仮面をかぶった合法的な新種の奴隷売買ともなるだろう。貸し腹、子宮レンタルするのは、もちろん、貧乏人。買い主は金持ち。

代理出産の公表後の、マスコミ等の反応に対する私見 “代理出産に市民権を”

さてこれらが顰蹙を買いながらも、容認可能の方向に導いてきた思想的背景には、以下のふたつ。

(1)人間を”DNA”の方舟として捕える
(2)人間の死を”脳死”とする

かくしてヒトは機械のパーツからなり、機能が停止した時を死を呼ぶようになった。
更にマーケットのニーズは、フェミ運動の下、以下のように開拓された。

(1)非婚、離婚、不倫、少子化のすすめ(ディンクス)
(2)母性の否定<新たな労働奴隷階級として女性を徴用
(3)不妊の促進<フリーセックス、性病の蔓延、
(4)ゲイ、レズビアン、性同一障害など、性倒錯、ホモセクシュアルの肯定

さらに推進力は、”人権”という、飽くなき人間の欲望の肯定である。

巷の陰謀論の中に「タヴィストック研究所」というイギリスの洗脳機関がある。
あれやこれやと世の中の思考、トレンド、主義、気分を操り、ドラッグ、暴力、セックス、時には戦争のプロパガンダも操作するオソロシイ機関らしい。
その一連を眺めてると、どうしてもある方向へ向かう、何世紀にもわたる長期のアジェンダが見えてくる。つまり、”寄生種繁栄の永久機関システム”。

ならば、その作戦の裏をかけばいい。
物欲をコントロールし、勤勉に生産し、貞節を守り結婚をし、母性を養い、母と子の絆を強固なものとし、夫婦相和し、年寄りを大切にし、そんな家族を単位に共同体を形成し、国家の要因となし、個々が寛容可能な神々を持つ。

なんだ、これって、昔の日本人じゃん?

ま、そういうコト!
今後、いかなる流行りとか新しい思想、現象があらわれようと生活様式が変わろうと、価値観だけは普遍のものがあるんだよね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月13日 (月)

教育の"いろは”の”い”

教育基本法改正をめぐる争いも、天王山をむかえつつある。

自分殺しのウィルスは今も進行形。罹患した子供たちは、今日も命を賭けたゲームに興じている。
もはや国や教育機関に頼っている場合ではないだろ?緊急事態なのだ。まずは『自分の子供は自分で守れ!』が原則だ!

政府は緊急措置として、国民の各家庭に向かって直接メッセージを下せよ!
前総理のように劇場仕立てで、直接会見を行ってもいい。与党も野党も、自殺に関する見解をしっかり足並みを揃えて、今、自殺しようとしている人物に対して、統一見解を発するべきだ。愛国の態度だ心だと、いじってる場合ではない。自殺をいじめ問題に特化し、文科省だけに押しつけるのは辞めろ!これは、SARSや鳥インフルとも同じ、大人から子供まで日本国民を襲う”エピデミック”なのだ!

中1女子が8階の自室ベランダから飛び降り自殺…大阪 (読売新聞) - 11月12日
校長が自殺、児童のたかり行為を正確報告せず…北九州 (読売新聞) - 11月12日
「いじめ、いかに恥ずかしいか」=安倍首相、子どもたちに呼び掛け (時事通信) - 11月10日

まずは、家族で生と死について語りあう時間を持つこと。核家族化した家庭では、親でも漠然とした死生観しか持たないものが多い。昔みたいに”ご先祖さまに感謝する”という、こんな単純なことを教えてくれるおじいちゃん、おばあちゃんの姿もない。でも、まだかろうじてつながっている親子の糸で、過去のそして未来を結ぶ縦糸をイメージすることができるはずだ。

増える「いじめ自殺」 解決は子ども主体で(渋井 哲也=フリーライター)

何度でもいう、語り合うテーマは”いじめ”ではない。”自殺”だ!
”自殺”という”自分殺し”の罪について、徹底的に語り、自分と子供の生命力にワクチンを植え込むのだ。
自殺は子供だけの病気ではない。人生における辛い時、死にたくなった時、親や大人がどのように切り抜けたか、そんな実体験を語って聞かせるのだ。
その後、各学校で家庭での語りを元に感想文を書かせ、それを叩き台にして特別授業で共有し合う。

自殺は何故いけないのか。親や友人が悲しむから〜誰かに迷惑かけるから〜では、親も悲しむべき友人もいない人間は自殺してもいいのかって問題になる。大人ならいいのかってことにもなる。しかも、ほんとうにひとりぼっちで孤独を感じている人は、親や友人がいたところで誰もいないも同然だ。だから、自殺に走るのだ。どうせ自分ひとりこの世からいなくなったって、世の中何も変わらない。これは事実だから「命は大切に」ーとお題目も、何の効果も示さない。
いじめ 女優の志田未来さん「絶対にやめて。命を大切に」毎日新聞) - 11月12日

生半可な慰めではない、このような人に自殺を思い留まらせるにはどうするか、それを語り合うのだ。答えはなくても思考し続けることが大切なのだ。それは自分自身への問いかけにもなる。おそらく、各自が神の臨在を感得するまで、答えはないだろう。

それにしても、本来、死とあの世の専門である宗教が、黙しているのはおかしい。どん底の絶望を孤独の中でのたうちまわる人間を救済するのも、宗教の大切な役目だろ?寺や教会、社にこもり、自分の縄張り内で死人相手や金集めの親分やってても仕方がない。遠慮せずに、どんどん陽のあたる場所に進出し、「生きている者を済い、神仏の傍に導く」〜これが本来の宗教のあるべき姿だろ。

神や仏について、確信をもってもっともっと熱く語ってほしい。神仏と人間との関係を語ってほしい。神仏なしでは存在しえない宗教にとって、自殺が罪であるのは明白。”自殺ウイルス”を一掃するのは、宗教しかない。

メディアもバカなお笑いタレントとか、妖しげな霊能力者、アイドルの面ばかりさらしてないで、多くのプロの宗教家を一同に会させて、彼らの意見を聞く番組や特集を企画するといい。単なる道徳や倫理とは違う、宗教ならではの視点で、この根源的な問題に答えて、その力を示して欲しい。

内憂外患。この国の瓦解は、とうとうここまで来た、、という感がある。
61年間の戦後体制がすべてにおいて崩壊し始めたのだ。崩れおちそうな今、このまま滅亡するか、それとも固い外殻の中から、新しい命を生み出せるかの剣が峰。
しかし、新しい命は確かに息づいている。新しい時代を告げる鼓動が聞こえる。新憲法制定、核保有、教育基本法。そして、この秋の新宮さまのご誕生。日本に再び、神々の復活なるか、仏神を忘れた愚かな国民の無明を一気に打破するのは、今をおいて他はない。

まずはこの国家の一大事に、あらゆる教団、宗派は私利を超え団結し、自殺に対する統一メッセージを出せるようになったら、日本の宗教界も変わるだろう。
覚醒剤、万引き、売春防止と同じように、学校付近、駅構内、街中、コンビニetc、ありとあらゆる所にポスターを張り一丸となって、一大自殺防止キャンペーンを展開すべき。

しかも現与党には、公明党がいる。一応、日本最大の勢力をほこるという宗教団体を背景に持つ。日本の宗教団体すべてへの声かけは半ば、リーダー的使命ともいえるのに、私利私欲に走り他団体に対して何の協力もなさないとするならば、もはや、宗教ではないと断言する!他宗教との争いさえ解決できない団体に、世界平和を謳う資格もない!神仏の福音をしろしめる布教精神を失い、自教団勢力拡張のみに走る宗教は、もはや、宗教ではない。怠惰な既成宗教がこぞって守旧勢力となるなら、この61年間、自ら神仏殺しを率先してきたと断定しても過言ではない。

そういうものはとっとと滅びてくれ!私は、新しい神仏の登場を強く期待する。

教育の基本は、まずは神仏への無条件の信仰から始まる。
健全な精神の土壌なくして、どんな知識の種も根づかない。健全な精神とは、しっかとした神仏への信仰を指すのだ。自殺という”ウイルス”は、魂の癌ウィルスなのだ。この癌ウイルスを持つ精神に、いくら肥料を与え見事な花を咲かせたところで、癌が進行すれば突如、バッタリ倒れる。

教育基本法の改正の前提に、今こそ、宗教界自らによる神仏の復権を希求する。さらにいうなら、宗教の正邪、違い、邪教やカルトふるい落としも、宗教界自らが輝くことによって、やっとそこから始まるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月11日 (土)

ダライ-ラマ法王さまの平和主義

両国国技館が近所なもんで、当日券で講演会に行って来た。
お題は『やさしい心』 in English. 10~15分ほどの時間差で日本語訳される。英語まだまだ初心者の私には、聞き取りにくい発音だった。

宗教としてでなく、一般的な倫理としてのメンタルの重要性を語っておられた。曰く、愛と慈悲は、母と赤児の間に通う関係の如く。。。。
個人的にはもっと仏教色を全面に出されたものを期待していた。転生輪廻や、唯物主義の執着ゆえの苦しみを説かず、どうする。愛や慈悲をこの世的に解釈すると、どうしても目に見える行為に限られてしまうの。挙げ句、哺乳類の母子の接触を通じて、愛を常識的に説明されようとしていた。卵でかえる魚や鳥に、愛はないのか?

しかし、目に見える行為はまた、いまだマル経のひとたちに簡単に金銭に翻訳可能な労働価値として変換される。そのうち、親子の愛さえお金に換算される日が来るやも〜。

まあ、講義そのものはともかく、質疑応答の方がおもしろかった。
だって、世界のダライ-ラマ14世に向かって、「背後霊はいるのか?」「誰かに支配されている気がする」ーは、ないだろうて!

いかにも元気いっぱいのプロ市民風のオバサンも、
「世界の平和に向けて、現在の怒りとメッセージを!」

法王さま:「I don't know!」

オイオイ、現状のチベットとシナ政府の関係を知れば、政治的発言を控えざるを得ないのはトーゼンでしょうが!ましてや、つい2週間ほど前、雪山を超えインドへと亡命をはかった若い僧が、パンパン、兎のようにシナ兵に殺されたばかり。日本入りだって、半分命掛けだったに違いない。

中国、チベット亡命少年僧ら射殺映像が世界中に

法王さま、平和のためには”対話”の必要性を何度も強調される。(シナへの呼びかけネ)
そして、武器を捨てた例のコスタリカをモデルに武装解除、核廃絶、被爆した日本こそが強い発言力を持つと、またしても聞き飽きたドリーム。(会場拍手)
なんだコレ?もうひとりの、日野原重明氏か?それとも、単なるシナ政府へのリップサービス?

「仏軍と独軍が合体したように、いつか、シナ半島日本軍の合体も.... 」
ここで一部(たぶん平和ドリーム重病の人)より、大きな拍手。ーが、それはいくつもの段階を経なければ、インポッシブルだとオチもつく。

そうだよね。国境超えた軍隊が出現した地には、新たな戦争形態が生まれるだけ。緩くなった国境故、ゲリラテロとの非対称型戦争に移行するなど、私だって予想がつくわ。

仏教の基本はまずは自分作りが、起点だ。自分の中に愛の種を見つけそれを育てていく過程で、智慧を蓄えていく。その智慧でもって対話し、相手の種にも水やりをする。家族>町>国>世界という、順序を違えてはならぬ。なのに、自分作りも完成せぬうちに、いきなり”世界平和”まで発想が飛んでしまう人たちと仏教の関係は、一体なんなんだろ???

やっぱり、左巻きと正統仏教は、相容れない、一部カルト化したものは除いて。

国を追い出され亡命政府で、ひとり対話を求める法王さま。シナ傀儡自治州で保護されるラマ僧との断絶。その間も迫害され、殺されていく修行僧たち。悲しすぎる。インド仏教も、イスラムの武力に屈して消滅したんだっけ。
そして、偉大なる魂”マハトマ-ガンジー”で有名なインドも、旧日本軍の協力と、偉大なる民族解放家闘士”チャンドラ-ボーズ”なしでは、独立も果たせなかったろ。

世界平和という崇高な理想のために自ら武器を捨て、多少の人柱も厭わない”忍”の字が、ノーベル平和賞受賞のコツなのか?

だったら、国民が好き勝手に拉致されても見てみぬふりをし、ミサイル打たれても反撃もせず、領地を犯されても、資源も略奪されても対話を求め、莫大なODAと米の援助と送金をし、我が国内に傀儡出先政府機関(北キムチ総連)には税金免除してきた日本国は、とっくに”ノーベル平和国家最優秀賞”もらったっていいんじゃないの?

悩ましいね。法王さまの悲願が叶う日まで、あとどれだけ犠牲が出るんだろう。
。。。せめてバチカンほど、経済力と軍隊があれば。。。

我々がしてあげることは、自らともに武力を捨て、唯一の被爆国の勲章を胸に「世界平和〜!」ーと、むなしく虚空に向かって叫び、一緒に心中してあげることなのか ..... ?

ここにも、宗教家でありながら政治に関わらざるを得ない国を追われた王さまがいらっしゃる。
やはり、神仏の愛や慈悲を説く宗教家にも、神や仏をお守りする軍隊は必要なのである。

ミカエルや、不動明王、スサノオ etc.....

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月10日 (金)

神々の狂気

488320211909_aa240_sclzzzzzzz_

『神々の軍隊』(澤田政彦)には、とっても興奮した。
戦前戦後を国際金融資本という記号を用い、徹底的にリアルな追求を暗部にあてることによって、見事に浮かび上がらせた、226事件で散華した青年将校たちの狂気。
しかしその狂気は”彼らの死=粛正”をもって、逆説的に、日本的精神の”純粋”として普遍化されたのだ。

一方、狂気が伝染したリアル世界の日本は、戦争にまみれ悲惨な結末に及ぶ。原爆投下、国体解体、すべて彼らの呪いがなせる業ではないのか。そして25年後、三島由起夫に蘇った青年将校らの魂は、三島のふたたびの死をもって、”純粋”を完璧な美にまで昇華させた。

呪いは続く。
人心荒廃、バブル崩壊、第二の敗戦ともいわれる15年にわたる深刻不況、教育の破壊、少子化、皇室の危機、シナの台頭による戦後安保体制の危機。
かってモーゼに導かれた砂漠の民は、約束のカナンの地を目指して40年も彷徨ったという。その間、幾度の試練を通じて、ヤハウエに服従を誓う民族のアイデンティティを堅牢なものにしていった。

よく、ユダヤと日本は比較して語られるが、先祖代々土着民族の我々は全く、彼らとは鏡像関係にあると思う。彼らが積極的な拡散の中で確認される民族なら、我らは守勢の凝縮の中にこそ民族性を育む。原罪説に立つ原初的な裁きの神を持つ彼らとは異なり、性善説に立つ我らは、裁き役の神を後天的に絶えず作り出さねばならなかったのではないか。逆説的ではあるが、自らを軌道修正しイノベーションし存続するために、祟りをもたらす存在をいつも必要としていたのではないかと思う。

現在でも、都市伝説で語られる祟り神は町のあちこちで、我らを見張ってらっしゃる。有名ドコロの平将門、菅原道真の天神さんも。もっと古くは、国津神の出雲大社や、伊勢神宮のルートも。
ビルの中に移動された鳥居や、都心の真ん中大手町にある将門の碑を見て、外人さんたちはどんな表情をするんだろう。くだらん低俗なアニミズムとして切ってしまえるのか?
ましてや、赤穂浪士の泉岳寺や、226事件の青年将校の碑、そして300万柱の英霊が眠る靖国神社。シナが執拗に靖国にこだわったのも、鬼と称する呪いの神々の封印が解かれるのを怖れているのではないのか?

それにしても、西洋的資本の権化神である隣立する高層ビルと、日本的狂気の神々は、なんと、今も隣り合わせで、睨みあっている。

さて、この”呪い”という”純粋”は、現代の我々にも作用しつづけ、無意識下でマグマのように沈殿されている。そして現在、この”純粋”は、”ナショナリズム”、時には”右傾化”、時には”民族主義”などという、都合の良い仮面で覆われているが...... イズムや一過性現象で語られるようなまがい物でないことは、そのうち、証明されると思う。

誰が火消しにまわろうとも、おそらくこの噴出を止めることは無理。
臨界点に達した時、『英霊の聲』にトリガーされた第二の三島的なものがきっと、近いうちに排出される。しかも次なる英霊の依り代は、目前にした”カナンの地”を目指す。

それが”核保有”という選択ではないかと、密かに思っている。剣を取り戻した日本の姿だ。

そして、もうひとつ、戦後ずっとリアル世界で日本を覆って来た狂気イズムの「平和主義」。
中には、キリスト教的犠牲精神で”日本人自らがすすんで、ホロコーストで屠られたユダヤ人たれ”と、世界平和ヘ究極の貢献のために多少の犠牲も我慢しろと、ご教示なさる、かの聖路加病院名誉委員長の日野原重明氏(95)。
そう、”愛の実践のために犠牲はつきもの”然り、然り。しかしそれは犠牲とは呼ばず、喜びの伴う献身であろう。

犠牲になるのは、年寄りかもしれない、子供かも知れない、生まれたての赤ん坊かもしれない。偉大な日野原先生おひとりならできても、おそらくほとんどの国民は、納得もできず訳も分からず、分不相応な愛の実践を強要されて、ただただ困惑するばかりだ。それこそ、無差別の”平和特攻”の強制である。その精神はまた、自分が死ぬほどの虐めを受ければ、善なるクラスメートが反省して虐めがなくなるとの、自虐的な構造にある。
私には、全くもってして、カルトとして見えない日野原先生の狂気である。

”核武装”と”非武装平和国家”。
このふたつのどちらが、ホンモノの神々の”狂気”であるか、しばし見物していよう。ーが、もしかして日野原先生のご発言ってただの釣り..... ?

全世界に核の脅威を知らしめるために我が身を核の被害に捧げた方々。その後の歴史を思えば、犠牲が報われるどころか、まったく反対の方向に世界が向かっているのは、誰が見ても明らかだろうに。いじめは絶対、なくならない。大きな犠牲となる前の、小競り合いのうちに個々が強さを蓄えるのが先だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 7日 (火)

”自分殺し”という強迫

いわんこっちゃない!

いじめ苦の自殺予告手紙、文科相宛て届く(読売新聞) - 11月7日3時3分更新

”自殺”と”いじめ”をちゃんと別々に扱わないから。これじゃあ、いくらでもこのような”自殺テロ”が横行する。
学校は混乱、教師は混乱。親も錯乱。これが続けば、日本の教育現場は簡単に崩壊する。
文面、段落、漢字の使い方などから、たぶん、あの脅迫状は、大人の入れ知恵よる釣りだと思うが。。。

でも、万が一、自殺をちらっとでも考えている人に、敢えて言います。
自殺は”自分殺し”という殺人行為。 罪です。最も重い犯罪なのです。そして、自殺をした時点で、

あなたを虐めていたどんな”いじめっ子”の悪質な行為よりも、

自殺をしてしまった自分の、罪の方が重くなるのです。

さらに自殺で死ぬくらいなら、事故や病気や戦争で死んだり、他人に殺された方が、
ずっと、ずっと、まし。

それなら、あなたの罪は、神さまに問われないから。

自殺は大人であろうが、子供であろうが、同じ罪です。子供だから許してもらえると思ったら、大間違い。
この世でいろんな辛くて楽しい人生を送りながらも、その中で成長し幸せをいっぱい見つけるために、ひとりひとりが、みんな、神さまから、ひとしく命をいただいて、生まれてきたのです。
その命を自分勝手に自分のものだと思って、いじめたり、終わらせたりすることを神さまは、絶対、許さない。それこそ、あの世にも旅立てず、この世に戻ることもできず、地獄にすら、行けません。真っ暗闇で死んだ瞬間の状態の金縛りのまま、ひとりで永遠に苦しむことになるでしょう。

辛くても、生きてる限りにおいては、きっとどこかにあなたの味方になる人がいます。見つかるまで探して求め続けることです。神さまが、きっと誰かをあなたの味方として、つかわしてくれるでしょう。

けど、自殺をしてしまったら、全く、同情にも値しない。何とかしてあげたかったと自分のことを悔やむことはあっても、死んでしまったあなたにはもう関係ないこと。
友達が死んでもせせら笑っている”いじめっ子”の犯人たちも、生きてる限り、どこかで自分の過ちに気付き、反省する機会があるという意味で、神さまはその存在を許してらっしゃる。

何故なら、いじめっ子も、いじめられっ子も、神さまから見たら、等しく愛おしい存在。太陽や雨のように誰にも等しく注がれるのが、神さもの愛。
この愛に気付くまで、あなたは、きっとずっと苦しみます。いじめられている時も、死んでしまったあとも。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年11月 5日 (日)

亡国の護憲教団体出動開始

そろそろ来年夏の熱い戦いに向けて、出動でしょうか?
明治天皇のご誕生日である文化の日に合わせて、最後の悪あがきに必死のようですね。
しかし、なんで日本の憲法新制定に向けて、”日本、韓国、中国の専門家”が”愛国心や侵略戦争、9条改正”について議論するんでしょうね〜、今更だけど。

*憲法9条の重要性を訴え 公布60年、各地で集会

日本国憲法が公布されて3日で60年。安倍晋三政権が誕生し、改憲や教育基本法改正の流れが強まる中、「今こそ憲法の原点を見つめ直そう」と、市民団体や平和団体が戦争放棄をうたった憲法九条の理念を伝えたり、教育基本法改正を考える集会を各地で開く。 「フォーラム平和・人権・環境」(東京)は、大分県別府市で3日から5日まで護憲大会を開催。教育基本法改正に対する危機感を背景に「憲法60年と東アジアの平和」と題したシンポジウムで、日本、韓国、中国の専門家が愛国心や侵略戦争、9条改正について議論する。 担当者は「安倍政権批判にとどまらず、小泉政権の総決算をしたい」と話す。 「許すな!憲法改悪・市民連絡会」(東京)などは「とめよう『戦争をする国』づくり11・3憲法集会」を東京都内で開く。教育基本法改正や防衛庁の防衛省への昇格、共謀罪の新設などに反対し、集会後、都内をパレードする。 広島市では、弁護士や宗教者らが呼び掛け、参加者1万人を目標に「9条ピースフェスタ」が開催される。翻訳家の池田香代子さんや作家の小田実さんらのトークも交え、憲法9条の重要性を訴える。 このほか、大阪や岐阜、神戸などでも集会やイベントが開かれる予定。

今一番興味深いのは、お花畑満開の護憲教団体の新憲法制定された後の行く末だ。

9条に殉死するんだろうか?9条レンジャーとして、反戦ゲリラ活動するんだろうか?それとも何事もなかったように、議員とか続けるんだろうか?ファビョった挙げ句に、半島とか大陸に亡命したりしないんだろうか?

まあ、何でもアリなのかな。
そういえば、自衛隊を認めないってつい最近まで言ってたし、未だに天皇制(共産党用語)反対とかいってるし、そうそう、拉致はありえないって、ず〜っと否定しながらも、存続してたりするもんね。
ところで、共産党の志位さんと小池さんて、血のつながりあるのかな。話し方も余りにも似てて、テレビじゃ区別つかんわ。

片岡先生の新書、注文した。届くの楽しみだわん。482841304901_aa240_sclzzzzzzz_v37001688_

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 2日 (木)

溶解する壁

書いた矢先。。。絶句してしまった。ココ!『アンチキムチ団』さんのとこで昨夜拾ったネタ。元公安調査庁の菅沼光宏氏 外国特派員協会での講演での発言。
日本の裏組織についてって.... エッ?
動画完全版

「ヤクザ=犯罪組織として認定 この6割が同和、3割が在日」

すごいね、これ、ついに爆弾投下〜?!
企業とヤクザの関係だけでなく、竹下元総理や中川幹事長の周辺にうごめくヤクザ謀略、朝鮮総連果ては統一教会や覚醒剤の流れまで、、、今まで陰でささやかれていた事をすべて網羅〜!
......もしかして、何かが大きく動き始めてる.......?

思えば、1995年、地下鉄サリンが日本テロの始まり。あれだけ、半島がらみが噂されたのに、同和のドン議員のせいで破防法が適用されなかった。ーで、在日コリのセンベイドンに行き着くのはまぁだ〜?

武富士、過払い金引き当てで1442億円赤字・9月中間NIKKEI NET (2006年10月30日)
武富士、100店舗を統廃合・年度内にNIKKEI NET 006/11/02
消費者金融中間決算:大手3社、大幅赤字に…上場以来初毎日新聞 2006年10月30日 21時00分 (最終更新時間 10月31日 0時51分)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 1日 (水)

夜明けの晩のレミング

なんか毎日、ビョーキな事件ばかり。
子供はいじめらて首吊り、大人はいじめられる前に首吊り、もうなす術もない、自殺するなと教えるべき大人が首吊っちゃあ〜!

必修漏れ高校、校長が自殺 保護者説明会前に 茨城 2006年10月31日
女性教諭が自殺、パワハラ訴える文書残す 鹿児島県 2006年10月31日

岡っ引きマスゴミは相変わらず犯人当てを嬉々として、馬鹿教師やいじめっ子を吊るし上げ。これじゃあ、自殺したらマスゴミが復讐してくれると勘違いする子供が出て来たりして、ますます自殺のススメになちゃうのではないのかしらん?
謝罪は遺族にはなんらかのカタルシスの足しになったとしても、校長の土下座シーンなんか悪趣味そのもの、当事者以外は絶対、見るもんじゃない。
いじめ認め、校長が全校集会で謝罪…岐阜の中2自殺

なんか似てるね、この構図。”反省しろ、謝罪しろ”罪を認めて”いじめの全くない学校を目指す”? 
ネ、マジ。。。?

そもそも<犯人=自分>である自殺に対し動機を探り犯人を特定したがるのは、いかにも他力本願大好きの日本人らしい発想だ。しかし、自殺こそが自己責任ーと、これまた自力門型原則に立ち戻って、ホメオパシー的自己責任論を展開しないと片手落ち、いつまでたっても自殺は後を絶たないだろう。
そのうち”自殺してやる〜”が過保護で肥大化した子供たちの脅し文句になり、日夜、子供自殺テロにビクビク過剰反応する教育現場が目に浮かぶ。

よく、考えてみよう。他傷と自傷は表裏一体の、鏡像関係だ。
最近なれっこになってしまった殺人事件報道の裏で、自傷行為に快感を感じる子供や、手首に痛々しい何重もの傷を残すリストカッターの話も後を絶たない。いまやメモリアルサイトになってしまった『南条あやの保護室』なんてのも、「ファイトクラブ」を地でいく、全く不可解で痛ましい自傷ワールドが展開されている。

『自殺』とは、自傷行為の延長戦上にある、”生存本能の慢性的衰弱シンドロームの最終ステージ”と定義したい。
そもそも自傷や突発的リストカット、潜在的な自殺衝動を抱いてる時点で、とっくに健常な状態とは言えないのではないか。何かの拍子でトリガーされ顕在化するだけ。致死に至る怖れのある、深刻な”精神の病い”と認定するべきだ。
戦時中や生存に大変な後進国ほど自殺が少ないともいう。トリガーにはなっても外因が自殺の直接原因なんてありえない。自殺者を憐れむ情緒ばかりに流されていると、この、”魂の慢性的衰弱”ーという病いの本質は、絶対、見えてこない。

我が国特有とも云われるこの流行り病、欧米諸国の先進国では類を見ない異常現象ともよく言われる。
幸か不幸か、自殺者は教会から破門され、残された家族も村八分に合う。教会を通じてしか天国に入れない彼らは破門されたら、地獄行き決定、お家断絶にも等しい。”自分殺しは、ヒト殺しと同じ罪悪”ーと簡単明瞭、このキリスト教的精神基盤が「自分殺し」のワクチンとして作用する。

ーでは、日本的精神土壌はどうであろうか?

遠因を探れば、1000年近く前の浄土思想に思いあたる。この世を穢土、あの世を浄土とし、神も仏もいないと見まごう如き、争いと混乱にあけくれ末法思想が蔓延った世紀末。その絶望の中でも、生きていくための痛みを緩和する処方であったのが『浄土思想』。
しかし、「辛くても頑張って仏の慈悲を信じて生きたなら、あの世では阿弥陀仏がおわす極楽に辿りつける」という麻酔剤は、いつしか「辛くなったらとっとと死んで、阿弥陀さんのおわす極楽で幸せになるのがいい」ーという、致死性のドラッグ=麻薬に成り下がってしまった。更に平和で豊かな近現代においては、ちょっとのつもりが”常時の服用”になり、依存体質ができあがってしまったのではないか。

中でも道行きなどの心中、悲恋ものを美化する独特のメンタリティに、カルト化した西方浄土信仰の完成を見る。一体、世界中のどこの国に心中ものに憧れる民がいるんだろう。心優しき日本人は、死者に鞭打ち非難することをはばかる。それ故、いつしか、自分殺しをした自殺者さえも悲劇のヒロインになっちゃったのだ。

なんだか、我々は死出の旅路をプログラミングされたネズミのような気がしてくる。
地図上の陸の果てに横たわるという、遥かなる海。海洋民族のDNAゆえか、ニライカナイの幻想にでも駆られるのだろうか。ある日レミングが突然、集団で海を目指すように、我らもいつしか死出の船路に誘なわれるのだろうか。

現実と虚構の壁が壊れ、虚構の海への旅立ち、”世界の涯まで連れてって”ーと叫んだのは、寺山修司だった。

地球市民の行く末を見るようでもある。ひと続きの陸地で麻薬依存の他力思考型のいくつもの団子がひしめき混在しているうちに、個と個の垣根は限りなくあいまいになる。
そして、ある日突然、垣根の崩壊、トリガーの合図。自と他がともに溶解し流出し始める連鎖反応。ひとつひとつの団子が元の小麦粉の生地に戻るように融合という個の消失にいたる。単なる小麦粉のひと固まりとなった我らは、笛吹きがいなくともおのずと海に向かい終焉を迎えるのだろう。

無国籍で透明な自分....?
海を目前に、ギリギリのラインで流出し拡散しきった崩壊寸前の自己の再構築を、”通り魔殺人”という手段で謀ったのは、あの、酒鬼薔薇聖斗だった。

なんというパラドックス!
辿り着いた世界の果てに、死という狂気の海が広がっているとは!

つまり、”自分殺し”と”ヒト殺し”とは、陸と海のまさにボーダーの波打ち際でせめぎあうネズミの姿なのではないか。
しかもこの病いにおいて、境界を実感として自己認識する唯一の手段が、自分の、もしくは他人の、痛みでしかない。痛みを拒絶する場合は、永遠の狂気へと向かわざるを得ないのだろう。

”無機質で空っぽでニュートラルなー”と表現したのは三島由紀夫だった。

かつて三島の随想(私の中の25年)の中で語られた日本の姿は、、なんと我らが現在患う病いと似ていることヨ。三島事件から35年以上たった現在、彼の警告の偉大さに驚く。

生きているのか死んでいるのかもわからない、ただ貨幣という餌に釣られて膨張し繁殖を続けてきた個人。
”主権在愚民と極楽往生平和主義”ってことか?この病いを”戦後民主主義とそこから生じる偽善というウイルス”によるものーと彼は看破していた。

そう、今更いうまでもなく、敗戦による国家改造、これが我らの病いのトリガー!

敗戦によって否定された天皇の神性。民族の核となる中心を失った日本。神との紐帯をうしなった民族は、餌のみ求めるネズミの集団と化した。
そして今なら、理解できる。中心という求心力のもとに形成される個体と、他との境界を形造っていたものが、軍隊という名の免疫力だったのだと!そして、この生命体本来の免疫力を呼び起こすために取った三島の自害こそが、自殺に向かう我らに対する最大のホメオパシー療法だったのだ。

”自害”と”自殺”!
この似て非なるものヨ!

「自殺は悪、自殺は罪悪」と、皆で声高に叫ばねば、ならない。
父や母など、誰かが悲しむからではない。生命は神仏から授かったもの。東西を問わない、自殺は生命を与えてくれた神仏への最大の裏切り行為なのだ。誕生と死の決定は神仏の采配に委ねられ、そして、その二点間の人生だけが我らの自由裁量に任されている。その中でも最低限、我らのすべきことは、神も仏もいないと思われるほどの逆境の中でも、いかに阿弥陀仏を見いだし生き続けるということ。
しかし、常時垂らされていた蜘蛛の糸を掴むのも、我々個人の意思の力なのだ。ここにこそ、自力の出発点がある。
まさに自力と他力が結ばれる瞬間ー  そこには最早、自力と他力の区別もないだろう。
そしてこの糸を掴んだら、一生はなさず、生命体としての免疫力を養うことだ。

とりあえず宗派は問わない。ただ獏としても、自己の中心に神の存在をしっかと打ち立てる。
これは我々ひとりひとりに課せられた最優先課題でもあり、最重要課題でもある。
ならば、中心に確固と天と結ばれる大黒柱を建てたならば、あとは憲法、教育基本法、軍備など肉付けも可能だ。ゆめゆめ、餌(金)のみで生きる亡者となることなかれ。

西方浄土は遠い彼方の別世界ではない。今、現在、現実の中に続く通路が我々の足下にあるのだ。そんな大地に根ざした確固とした信仰を復活させずして、この病いのの伝染に終止符は決して打てないと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2006年10月 | トップページ | 2007年2月 »