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2007年4月

2007年4月11日 (水)

戦場の観音さま(4)

明治5年(1872)突然、『娼妓解放令』が発せられる。遊郭解散令だ。
「マリア・ルーズ号事件」がことの起こり。

折しも、奴隷貿易、人身売買が横行し、黒人のみならずシナ人や黄色人種の奴隷も、しっかり売買されてた時代。その中でいち早く、過去の奴隷売買足抜け反省モードに入った英国が後発国にいちゃもんをつけ、ブーメランが飛んで来たってワケだ。
ハショって云えば、人身売買を促進するような、一大売春ランド”遊郭”を政府が許可しているのは未開国の証し...進んだ西洋の仲間入りを目指す我が国としては、世間体(世界)が悪いからとりあえず閉館しようって。

*「マリア・ルーズ号事件」:江藤新平と我が国の近代法

この『娼妓解放令』、『牛馬解放令』とも。
一種の徳政令だ。彼女らを遊郭にしばっていたという鎖(前借り金)は解き放たれる(踏み倒される)。しかも、解放するにあたっての江藤新平の理屈が、ベニスの商人シャイロックも悶絶のスゴさ。

「彼女たちは牛馬のように売り買いされたのだから、
〜 汝ら、牛馬に借金の返済を迫るナカレ!」〜

で、野に放たれた牛馬のその後は、、、案の定、シャッター通りと化した廃墟街にえさを求めて右往左往。結局、政府は法令を緩めざるを得なくなる。新たな家畜小屋を設置し、『娼妓渡世』という政府の許可証つけられてしっかり管理、GJ!

生まれかわった近代的な売春ランドでは、非人道的な奴隷売買とはまったく無縁、労働者である娼妓さん本人の”自由意志”を尊重するってのが建て前。業者らも同じく、鑑札付きの『貸し座敷』と名を変え、箱ものリニューアル。そういや、以前、トルコ...から、ソープ...なんて名を変えたものもあったっけ。

早い話、ちょっと前まで混浴でワイワイ楽しくやってきた我が皆の衆だ、貞淑だ貞操だァ〜といくら政府が西洋産道徳を奨励しようと、そんじょそこらで頭の中(下半身)が入れ替わるわけない。これがいわゆる、戦前〜戦後、後々の昭和33年(1958)の『売春防止法』の施行まで続いた公娼制度だ。

それにしてもおよそ、一神教的な二元論の物差しほど、不可解なものはない。
彼らの物差しでは、規格外は折伏か虐殺の対象。イエスorノーは、即決、単純明瞭、バカでもわかりやすいと云えばわかりやすいんだろうが、異物排除のこの理屈を利益追求目的に用いれば、略奪、虐殺、十字軍、異端審問、魔女狩り、植民地獲得〜と、なんでも可能。 異端者は悪魔、異教者は人間に非ず、殺そうがいたぶろうが奴隷にしようが罪は問われない。西洋の神さまはナントモ都合のいい隠れ蓑になる。

まさしくこの、”進行性異端狩り”が、西洋から到来した新種ウィルスの正体だろう。牛馬志願の背景には、いかんともしがたい貧困があるにもかかわらず、背徳の”売女”ラベル張りで世間の憎悪の情を煽り、社会からの隔絶を促し、娼婦らを魔女認定するという 分断工作をするのだ。

幕末から明治以降、以下に示す通り、女は二種類の女性に種分けされた。

Mituko1まずは目指すは、天国の女神、良妻賢母の聖母マリア型。すべての女性の手本とする。中でも、あの、モルガン財閥の御曹司に見初められた『モルガンお雪』、欧州のサロンでも名を轟かしたクーデンホーフ伯爵夫人の『レディーミツコ』。あの時代、デヴィ夫人もおよびもつかない、聖なる結婚という形を取って海を渡ったセレブな日本人女性がいたことは記憶すべき。羨望とやっかみと軽蔑(?)と、異人さんに嫁いでいく日本女性を見て、あの頃の一般婦女子はいかなる思いで彼女らを見たのか。

Rasya一方、背徳部門の元祖魔女、マグダラのマリア型には、多額の奉公金で現地妻としてハリスに召し出された『唐人お吉』と、『らしゃめん』や『からゆきさん』がいる。『らしゃめん』と呼ばれた外人相手の洋娼たち。(鰐淵晴子が演じたラシャメンはドキッとするほど美しかった)
身売りしたり騙されたり、、、社会の最下層の貧しさ故に自ら志願し、経済勃興が著しい支那、ロシア、アフリカ、東南アジアへと売春出稼ぎに出た、名も無い『からゆきさん(唐行き)』がいた。東南アジアからの『ジャパユキさん』を彷彿させるが、、、彼女らのその後はどうなったんだろうと思いを馳せると、胸が痛む。

同じ頃、変異型ウィルス”red”も入ってきてた。
クリスチャンパワーが陣頭指揮した廃娼運動に、世界的に台頭し始めたマルクス型がさらに燃料投下。労働運動、女性解放、被差別部落解放と、現在おなじみの勢力ともシンクロ。ーならばと、これに負けじと在娼運動家も立ち上がり、ゴジラ対キングギドラのガチンコ勝負!

[新種の西洋型ウィルスの特徴的症状]

”〜独善性に立ち、異種に対し排他的な闘争性〜”を伴う

こう定義すれば、立ち位置が◯であるか、×であるかは、関係なし。背徳という名目で廃娼を唱えるキリスト教的モラルと、人権という名目で廃娼を推しすすめる左翼思想が、実は同根ウィルスであると容易に判断できよう。

しかし、よく考えてみよう。
性行為の主権は誰にあるんだ?(自分でしょ、ヤッパ)例えば金銭を伴わない性行為ならマルで、伴わないと罪の意識をあるのは何故だ?(例え、遊びでも)醒めた妻が生活のために夫と関係を持つのはやっぱバツ?
いや、、、そもそも売春がバツで地獄行きだなんて、誰が、いつ決めたんだ....? (肉体労働には含まれないのか?)

おっと。
決して売春を肯定し推奨しているわけではない。しかし、あの時代、貧しくて福祉が徹底していなかった時代における売春行為とは、いわゆる本人とその家族生存のための、最後のセーフティネットの手段として機能していたのではないのか? ....と、つくづく思うのだ。

女性史やリベラルな歴史観では、我が国の中世以降の公娼をそれこそ、”性奴隷”としてまとめて扱うものが多い。悲惨さばかりが強調されがちだが、少なくとも16世紀末、現在の公娼制度の原型ができた頃から、お上は同時に風紀の乱れ防止、治安維持上を理由に、詐欺やごまかし、非人道的な人さらいや売買はきびしく取り締まって来たはずだ。

法の編み目をぬうような悪行、官の腐敗、官民癒着が横行するのは、世の習いである。
現在でさえ、出会い系サイト、不法入国してくる風俗嬢や幼児の人身売買、麻薬にからんだ売春組織があるし、また世界中の大都市の片隅や後進国での性奴隷の実態は推して知るべし。いまだに売春は、極貧の者にとって最低限生存するための手段だったりするし(そうでない若者もいるが)、不法で暴力的な人さらいや幼児売買ネットワークも存在するという。
ゆえに公娼制度そのものを人権思想のなかった未開な時代の制度とするのも、また”性奴隷”の権化として扱うのも、余りにも乱暴な議論である。

さらに言うなら、貞淑&貞操観念の旗印のもと、魔女狩りを煽るかのような排他的な政治活動は、むしろ戦後の赤線青線のごとくグルリと線で囲んで世間から分離し、その実態を我々の視界や関心から遠ざけ、無法地帯の頭領に直轄権を与えるだけである。

では実際、新装開店した貸し座敷は、どうだったかというと。。。。
まずは政府高官、軍人さんから庶民にいたるまで、身近な社交サロンとして栄えていたようである。宴会お座敷の奥の襖をガラリと開け放てば、あらまぁ、こんなところにお布団が、、、ってヤツ。リーズナブルな待合もオノコの貴重な性教育実践の場としても活躍したことだろう。

Zegenさて、後の慰安婦さんたちの先駆隊となるのが、なんてったって『からゆきさん』だ。いや、むしろほとんど同義なのではないのかと思うんだが。慰安婦問題を語る時は、からゆきさんの果たした役割の検証するに限る。
今村昌平監督の映画『女衒』は、明治から昭和初期にかけ、島原出身の村岡伊平治という女衒の半生を描いたもの。海賊に捕まっていた多くのからゆきさんを引き連れマレーシア、シンガポールと、いくつもの娼館を経営する。野心家で調子のいい緒方拳扮する伊平治と倍賞ミツ子のコンビが、最高にコミカルだった。

「忠君愛国」をモットーに女衒業を展開し、あの頃ならではの時代のダイナミズムを体現する。そこで働くからゆきさんたちも、南国の潮風のなせるわざか、暗く不幸な過去を一掃するかのように底抜けに明るく金儲けに忙しい。ーがその後、時代の戦況の変化に翻弄されることになるのだが。。。

この映画、当時の個人の金銭欲と大義を考察するにも、とてもわかりやすい材料かもしれない。一攫千金を夢見て女衒らが国外に活路を見いだす。それも国策に叶っていれば、これを利用しないって手はない。
個人の欲得と、愛国。どんな欲得も、愛国なら無罪。肯定される。
このふたつのベクトルの方向が合致する時、十字軍の遠征時のように、想像を絶する拡大路線を取るのだろう。しかし、逆も真なり。ふたつのベクトルが相反する時、個人はたやすく、売国、恨み節ともなりがち。それでもラスト、海外で先行して廃娼制度が実施され店をたたまざるを得なくなった時に、個人の野心の赴くまま、「オ〜イ、兵隊しゃ〜ん、オンナはいらんか〜?」とひとり、荒野に兵隊さんの群れを追いかけていく伊平治は、どこまでも爽快で潔かった。

有名な『島原の子守り唄』(作詞作曲/宮崎康平)は、そんなからゆきさんの唄だ。
からゆきさんの半分が天草、島原地方の漁村、貧農出身といわれる。こんなに何番もあったなんて知らなかったが、娘たちがどのようにそそのかされ、どのようにハイリスクハイリターンの夢を見、どのように売られて運ばれていったか伺い知ることができる。(歌詞の内容は、下記参照)

う〜ん、娘たちは本能的に知ってたんだろうね、時折里に現れる人相の悪い男の正体を。あれは人さらいか、人買いか。村はずれに住む怪しげな仙女のような世話焼きばばあが、絶望的な貧困から逃れられる唯一の禁断の方法をそれとなく年頃の娘に囁く。背徳のススメだ。
そして、悪魔の指南に従った先輩ネエさんたちの金銀をまとい帰郷した姿に確信を覚え、自ら地獄の門を叩き魔法の薬を手に入れる。お城に憧れた人魚姫は、そして美しい脚を手にいれ、陸の物いわぬ娼婦となった。

それはバテレン祭りの喧噪の、夜陰にまぎれて決行されたのか?
またはわざと山火事をおこした。人目や警察の目を逃れる必要があったのは、何か事情があったのか?
小舟を漕ぐのは、与論人?与論島の住民は女衒の仲間、取引にからんでいたのか?
それから、女たちは口之津港でバッタンフルという英国籍の石炭輸送船に牛馬のように詰め変えられる。遠ざかる祖国。遠ざかる灯。糞尿垂れ流しの真っ暗な船底で、初めて食べた銀シャリの握り飯は、どんなトツ国の夢の味がしたのだろう。

それにしても、からゆきさんの故郷が、よりによってキリシタンと関係の深い島原天草地方だったり、被差別部落が多かったってのも、なんだかな〜。まず、これが第一の論点。
次にからゆきさんたちが、ほんとに全員正規の公娼だったのかって疑問が第二の論点。

何より、秀吉家康の時代に禁教令が敷かれたのは、キリシタン大名らの銃武装化の牽制が目的だったであろうが、その裏で彼らが武器の代価として、その数5〜60万人、日本娘を奴隷として海外勢力との取引に売買していた背景があったという。。。!!
いやいや鎖国時代も、長崎出島など限定的に支那船や南蛮船が行き来していたし、ルートはとっくに確保され。。。そもそも尊王攘夷〜明治維新〜鳥羽伏見〜開国の怒濤の流れの中で暗躍した維新や草莽の志士たちと海外勢とのつながりは。。。。勝海舟、坂本龍魔、亀山社中、海援隊、岩崎弥太郎、三菱財閥。。。
そしてグラバーさん。あ、また妄想が。。。。Ishi

..... からゆきさんの歴史、
もしかしてもっと以前まで遡れる....?

伏せられている歴史、かなりあったりしてネ。。。彼女らはちゃんとした売春賃金労働者であったのだろうが、他のアジアの植民地諸国の奴隷と同じく牛馬のように移送されたことは確かなようだ。


『島原の子守唄』

おどみゃ島原の おどみゃ島原の 梨の木育ちよ
何のなしやら 何のなしやら 色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい 鬼の池ん久助どんの 連れんこらるばい 

帰りにゃ寄っちょくれんか 帰りにゃ寄っちょくれんか あばら家じゃけんど 
唐芋飯や 粟ん飯 唐芋飯や 粟ん飯 黄金飯ばよ しょうかいな 
おろろんおろろん おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい

山ん家はかん火事げなばい 山ん家はかん火事げなばい サンパン船はよろん人
姉しゃんなにぎん飯で 姉しゃんなにぎん飯で 船ん底ばよ しょうかいな
泣く子はガネかむ おろろんばい アメガタこうて ひっぱらしゅう

姉しゃんなどけいたろうかい 姉しゃんなどけいたろうかい 
青煙突のバッタンフル 
唐はどこんねき 唐はどこんねき 海のはてばよ しょうかいな 
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい

あん人たちゃ二つも あん人たちゃ二つも 金の指輪はめとらす
金はどこん金 金はどこん金 唐金げなばい しょうかいな
嫁ごんべんな だがくれた つばつけたら あったかろ

沖の不知火 沖の不知火 燃えては消える
バテレン祭りの バテレン祭りの 笛や太鼓も鳴りやんだ
おろろんおろろん おろろんばい おろろんおろろん おろろんばい



参考
からゆきさんのふるさと 島原紀行
貧困の悲劇”からゆきさんを歌う

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