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2010年1月

2010年1月20日 (水)

つわものどもの夢のあと

いよいよ、大波乱必至の通常国会が始まった。
昨年秋以来、さんざん売国的日本解体工作を続けて来た現革命政府に対して、陛下はにおかれましては御心中はさぞかしーと思いきや、、、ちょっと安心しました。

平成22年歌会始お題「光」

755komore

御製(天皇陛下のお歌)

ー木漏れ日の 光を受けて 落ち葉敷く 

 小道の真中(まなか) 草青みたり

His Majesty the Emperor

Where rays of sunlight Filter through the trees I see In the middle of the path Carpeted with fallen leaves A clump of green grass growing.


皇后陛下御歌

ー君とゆく 道の果たての 遠白(とほしろ)く 

 夕暮れてなほ 光あるらし

Her Majesty the Empress

As I walk by your side The path stretches far ahead Though 'tis now evening Yonder in the distance A glow of a lingering light.

『‥‥青草みたり』『‥‥光あるらし』か。ふむ。。。
また、"召人歌"にはこんなのもあった。

●-------------------------------------
召人 武川忠一

ー夕空に 赤き光をたもちつつ 
 雲ゆつくりと 廣がりてゆく
 -------------------------------------

う、う〜ん、ん、ん。
広がりゆく雲って、、、?
夕陽にまとわりつく不穏な気配か、それとも、、、?

Kokkai

一方、革命政府に占領中なるも国会始め。

つい先日、検察に高らかに宣戦布告した、
崖っぷちの朝敵『オ縄くん』に対しても、
さすが陛下はやさしくご慈愛たっぷりの反省のススメ。

Kokkai2
Kokkai3

オ縄くん、
世論の風向きの強さに一応しおらしくして見せていたが、
着々ちゃっかり『オ縄帝国』も造営中らしい。。。

岩手県の「平泉」の文化遺産と東京都の「小笠原諸島」を世界遺産に推薦へ
 (01/19 01:00)

政府は18日、岩手県の「平泉」の文化遺産と東京都の「小笠原諸島」を世界遺産に推薦することを正式に決定した。 外務省や文化庁などから構成される世界遺産条約関係省庁連絡会議は18日、奥州藤原氏の中尊寺金色堂などで知られる岩手県の「平泉」の文化遺産と、東京都の「小笠原諸島」の一部を世界遺産に推薦し、ユネスコに申請することを正式に決定した。 「平泉」は、ユネスコが2008年に世界遺産登録を延期して以来、2回目の挑戦となる。 また「小笠原諸島」は、島固有の動植物が多い貴重な生態系などが評価された。 2010年夏から秋にかけて現地調査が行われ、2011年夏に世界遺産に登録されるかどうか決定する。
◇◇◇
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Hira1

奥州平泉といえば、古代より歴史的にも文化的にも朝廷、
中央政府と因縁深いところ。

アラハバキ信仰、蝦夷、小碓の東征、アテルイ、、、。

ヲシテ文献によれば、”タ”ノミコト=タカムスビ系のご一族が、
ずっと代々『ヒタカミ』奥州を治められ豊かな国を
築いていたともいいます。

なんかしら独立指向の強いお国柄のDNAが災いしたのか、
それが土蜘蛛ら盗賊、ちんぴら、まつろわぬ民々と結託すれば、
はからずも朝廷に弓引く謀反の相を呈するのか。

今よりずっと暖かかった古代なら、さぞかし住みやすかっただろう、
縄文の遺跡が東北地方に多く発見されているのも何をか語る。

豊かな自然と水源、米、水運、金鉱ーと、
自然の要塞を持つ、桃源郷かのごとき幻想。

京の都になぞられ人をして、
ミニチュア版の国家内国家の都の、
模倣に駆り立てたるのか。

まあ、、、現代の帝国は、金塊でも水源でもなく、
公共事業のバラマキが支配原理らしいが、、、。

「小沢帝国」誕生の足音
 2009.12.28 07:01

しかし、" たけき者も遂には滅びぬーで、
盛者必衰の理 "ってやつ 。

3代100年にわたり栄華を誇った奥州藤原氏が、
平安末期に、やはり、
ならず者認定された悲劇のヒーロー”義経 "
かばったことにより滅びていくさまは、、、
あわれ、涙なしでは語れない。

平泉から世界遺産を目指して

Hiraizumi02

平泉

「浄土思想や文化と平泉」

  • 奥州藤原氏の理想郷として作られた「要所に大寺院を配した都市平泉」
  • 三代で完成していった「中尊寺、毛越寺、無量光院」
  • 平安時代後期の建築物である「中尊寺金色堂」
  • 絶大な財力と権力を誇った、奥州藤原氏の100年史
  • 西行と平泉


「戦いの歴史」

  • 坂上田村麻呂とアテルイや蝦夷
  • 源義家を始めとする源氏と安倍氏・清原氏
  • 源義経と奥州藤原氏の滅亡の関係

「近世の平泉」

  • 松尾芭蕉と平泉
  • 伊達家と平泉

黄金の國、いわて。

松尾芭蕉は、この平泉にて
悲運の最後を遂げた義経の縁りの地を訪れ、
かつての奥州藤原氏の栄華を忍びこう記しています。

Basyo
◇◇◇

三代の栄耀(えよう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。

秀衡(ひでひら)が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。

先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。

衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。

泰衡(やすひら)らが旧跡は、衣が関を隔てて、

南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。

偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、巧妙一時の叢となる。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、

笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。

ー夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡
ー卯の花に 兼房(かねふさ)みゆる 白毛(しらが)かな
:曾良
◇◇◇
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兼て耳驚したる二堂開帳す。

経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。

七宝散うせて、珠の扉(とぼそ)風にやぶれ、金(こがね)の柱霜雪に朽て、

既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。

暫時(しばらく)千歳の記念(かたみ)とはなれり。

五月雨の 降のこしてや光堂
◇◇◇
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『奥の細道/平泉』:現代語訳

石巻から平泉へ

金鶏山は、三代目泰衡が富士を真似て、
黄金の二羽の鶏を山中に埋めて造った築山。

この泰衡、親族の確執に兄弟の不和、義経を裏切り、平泉に火を放ち逃走。
頼朝に命乞いにした挙げ句、家来にとどめをさされて、あえなくチーン。
奢者につきものの自業自得の自爆パターン。

芭蕉が涙したのは、義経を悼む中央政府の権力への抗議か、
それとも泰衡に見られる人間の愚かさか‥。

有名な「夏草や‥」は杜甫の詩を踏まえて読まれたという。
今一度、両陛下らのお歌とご一緒に、、、。

▷芭蕉 

ー国破れて 山河あり

 城 春にして 草青みたり
ー夏草や 兵どもが 夢のあと 

▷御製 皇后陛下御歌 

ー木漏れ日の 光を受けて 落ち葉敷く 

 小道の真中(まなか) 草青みたり
ー君とゆく 道の果たての 遠白(とほしろ)く 
 夕暮れてなほ 光あるらし
 -------------------------------------

あらら、、両陛下の御心は奥の小道を通って
どこぞの廃墟でもお散歩されていたのでしょうか。

大きな赤き夕陽の招命に。。。
お供も方もぞろぞろ連れ添います。

▷召人 

ー夕空に 赤き光をたもちつつ 

 雲ゆつくりと 廣がりてゆく
 -------------------------------------

更にホツマ(東)のくにでは赤富士の、
若くてちから強い大日霊の出現、、、。

▷皇太子殿下お歌 

ー雲の上(へ)に 太陽の光は いできたり 

 富士の山はだ 赤く照らせり
 -------------------------------------
Fujired

やはり、模造の偽せ富士とは訳が違うて。
何びともこの荘厳壮麗なる権威には自ずとひれ伏すだろう。

更に続きます。
親王、内親王殿下らは数多の星となって‥‥
オールスター総出演で水源を守る!

▷文仁親王殿下お歌 

ーイグアスの 蛍は数多(あまた) 光りつつ 

 散り交(か)ふ影は 星の如くに
 -------------------------------------

イグアス(アルゼンチンにある世界三大瀑布)、
北上川ともやはりスケールが、、。

ーなんてね。。。

◇◇◇

『日の丸』を引き裂いた上に『錦の御旗』を詐称するミンス党。
やってることはオー○真理教と同質、いやそのものか?
『オ縄王国』はもうひとつの上九一色村だ。

ポポやオザワ、若い頃、火炎瓶投げてたような党幹部の確信犯ならばいい。

だが、ー検察と闘う与党ーという、前代未聞のこの構図のいびつさ!
心あるミンス党議員は、早く逃げ出し投降した方がよかろう。

奴らが何を敵にまわし、何に抵抗しているのか、
その大きさとおそろしさに早く気付かれた方がよろしいぞ。

"夢のあと"には、屍拾うものもなし。
天の理りに逆らう、栄華もなしー。
赤い夕陽にいくばくかのご慈悲を感じとることができるなら。

芭蕉の涙は、
『朝敵』認定が、伊達や酔狂じゃないことを教えている。

王国 破れて 春来たりなば・・・

◇◇◇

Hiraizumi01

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2010年1月16日 (土)

お縄な夜のラヴ・レター

夕刻の備忘録さんより

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◇◇◇

昭ちゃん、聞こえますか? みんなの喜ぶ声が。

昭ちゃん、見えますか? みんなの涙が。


あなたの死は決して無駄ではなかった。

あなたは「一粒の麦」であった。

あの日あの時以来、どれだけ多くの人が決意を新たにしたことか。

どれだけ多くの実を結んだことか。


あなたの無念を想う時、居ても立ってもおられなくなる。

体中の血が逆流していくのを感じる。


公然と不正が行われ、国家が蔑ろにされ、陛下まで侮辱された。

自分自身の小ささに、

何をしていいのか、何が出来るのか、分からなかった。

唇を噛んで唯々屈辱に耐えることしか出来なかった。

今に見ていろ、と反発した。

全てが無駄に思える時もあった。


あなたの情熱でさえ通じない人達がいる。

あなたのあの努力を知らない人達がいる。

そして、絶望を煽る卑怯者もいる。


そんな時、あなたの笑顔が挫けそうになる心を励ましてくれた。


ファックスを送った。

メールを書いた。

電話をした。

動画を作った。

チラシを配った。

デモに加わった。

多くの人々が、自分のやり方で貢献しようと知恵を絞った。


日本が危ない!

昭一の最期の叫びだ 。

これを伝えなくては。

一人でも多くの日本人に伝えなくては。

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もうあなたは居ない。

同じ世界の住人ではない。

しかし、まだそれが信じられない。


枯れ果てるまで泣いたはずなのに。

新作動画を見る度に、また泣いてしまう。


昭一の仇を取れ!

一年前には、特捜部を激励するなんてことは夢にも思わなかった。

ドラマの中の世界だと思っていた。


出来ることをやろう。

諦めずに、挫けずに。

多くの人が互いに励まし合い、助け合い、

気持ちを高め合って、共に闘ってきた。

姿も見えず名も知らず。

中川昭一という一人の政治家の無念を晴らし、

私達の祖国日本を護るために。

一面識も無い人達が、互いに心を一つにしてきた。

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今宵、一つの結論が出た。

こんな小さなことで昭ちゃんの仇を取れたとは思わない。

でも、昭ちゃん、感じませんか?

あなたが震えるほど愛したこの祖国を、

今揺り動かしている無名の人々の働きを。


私達は感じていますよ、あなたの眼差しを。

靖国の空に、議事堂の中に、そして故郷帯広・十勝の大自然に、

溶け込んだあなたの魂を。


昭ちゃん、感じて下さい。

あなたを失うことが、私達にとってどれほど辛い経験だったか。

こんな時、あなたなら何て答えただろうか。

こんな時、あなたならどんな態度を取っただろうか。

こんな時、こんな時……


もし、検察が国民の支持を期待しているのなら。

それによって捜査が進むのなら。

そして、本当に力になれたのなら。

今、この日本を動かしているのは、あなたの志です。

その志を受け継いだ、多くの名も無き人々です。


昭ちゃん、ありがとう。


日本奪還の闘いはまだ始まったばかりです。

どうか最後の最後まで見守って下さい。

勝利の酒は、あなたと一緒に飲むために残しておきます。

今宵は日本茶で乾杯!

Asou_nakagawa
◇◇◇

時に
メンズ同士のラヴに
女が入り込む余地もないのかとー

嫉妬すら覚えるくらいのー

固い絆でつながれた魂の
純粋で熱い熱いラブ・レター‥‥

この夜、飛び込んできたニュースに狂喜し拍手喝采!
そして静かに夜空を見上げ ”あのひと”に報告したのは、
きっとひとりやふたりじゃ‥‥

熱く震える想いは束ねられ向こう先はひとつ

日本という名の祖国

未来とそして悠久の昔からある『トコヨ』の先人たちとも
ひとつになれる瞬間。

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2010年1月14日 (木)

幸福実現党参院選出馬会見 1月12日

わたしたちは、現ミンス与党連立政権によってもたらされた、
日本が直面している様々な国難を打破すべく、
精神的支柱がきりっと立った
強くて豊かな日本の再興を目指して、
この夏の参院選に再挑戦いたします。

再始動に向け昨年9月に就任された木村智重(きむらともしげ)新党首を
ご紹介いたします。

Kimura_2

木村智重ブログ

1月12日 記者会見報告

記者会見では主要政策として「三つの柱」を発表いたしました。

それは、新しい『富国』『強兵』『学問のすすめ』です。
これは三つの国難、「経済の危機」「国防の危機」「教育の危機」
対応しています。

第一の『富国』とは「GDP世界一を目指すこと」です。

国を富まし、豊かにし、世界一のGDPを目指します。
幸福実現党は、規制緩和や減税、リニアモーターカー等の
未来産業投資によって、「高度経済成長」を
もう一度実現させます。

第二の『強兵』とは「日米同盟を強化し、防衛力を強化すること」です。

日米合意通り、普天間基地を速やかに辺野古沖に移転し、
日米安保50周年を迎える今年、日米同盟を確固たるものとします。

第三の『学問のすすめ』とは「公立学校の復権」です。

税金で運営している公立学校の学力向上、
切磋琢磨、いじめ防止法の制定等により、
公立学校の質を向上させます。

最後に「参院選の目玉政策」として、「参議院の廃止」を訴えます。

夏の参院選において、「参議院の廃止」を訴えます。
「ねじれ国会」で分かったように、
参議院は「政争の具」となっており、
「良識の府」としては機能していません。
「国政の遅延」を招いているだけです。
参議院を廃止し、一院制を導入することによって、
国政の効率化、迅速化をはかります。

私たち幸福実現党は「国難から日本の国民を守り、
繁栄の未来を築きます」。

そのために、夏の参院選において、
47都道府県すべてに、立候補者を擁立します。

私たちは、明治維新を起こした幕末の志士達と
同じ気概で立ち上がっております。

新しい『富国』『強兵』『学問のすすめ』によって
国民を救い、破滅への流れを逆流させます。

そして「世界のリーダー国・日本」を
建設していきたいと強く願っております。
それが「幸福維新」であり、
私たち志そのものであります。

今後とも、皆さまの多大なるご支援、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

◇◇◇

『幸福実現党』参院選出馬会見

◎1月12日 於)コンラッドホテルにて党首記者会見

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2010年1月10日 (日)

国史『トコヨクニ』

日本にも過去にいろんな呼び名があった。
『大日本帝國』、、はまあ置いといて、、『やまと(大和)』『わ(倭)』とか。明治維新、大東亜戦争ー国名をリニューアルした背景には、やはりそれ相応の劇的な事件があったと考えるのは当然だろ。

対外的に『日本』と初めて名乗ったのは、7世紀の天武天皇の時代。
白村江の敗戦後、『ヤマト』から国号を『日本』と改め復興をはかった。

ちなみに『わ』や『やまと』に『倭』という漢字を当てるのは、支那・朝鮮から見た日本の蔑称。『倭』というのは、”背中が曲がっている小人”の意。古代から中華思想バリバリで、匈奴とか南蛮とかと同じで、東夷として日本を格下位置づけ。
日本人が「チョ○」とか、「チャン○○」とか「ロス○」、鬼畜米英、とか言うのと同じ感覚かな。

漢字表記の「日本書記」「古事記」を正史として編纂されたのも、この時期8世紀初旬。なのに、今でも『倭』とか『倭人』とかの表記を新聞雑誌等で見ると、こいつらわざとやってるな〜としか思えない。

で、さすが売国電波犬HK、朝鮮向けにラブラブアンコールか?
番組中でも『倭』『倭人』の大連発!日韓歴史共同プロジェクトとやらの一環で、お正月から再放送を数夜連続でやってくれてた。他国へはあれほど気を使うのに、自虐を通り越し○チガイ度ばりばり全開。
リポーターの女の子まで調子こいて

「〜で、倭はそこでどうしたんですか?」

バカか、おまえらは、、、。

あれで一応、日韓の良好関係を築くのが目的ってんだから、ヘソが茶を沸かすってもん。
広開土王碑改ざん説で任那(ミナマ)や加羅国否定の企てに失敗するや、元寇は棚上げ、倭冦や秀吉の「朝鮮侵略」の過度の強調!これまた更なる謝罪と賠償の伏線かと勘ぐりたくなる。クワバラクワバラ〜。

Etv
◇◇◇

また、古代支那の文献では、『倭』の他に『蓬莱(ほうらい)』とか『扶桑(ふそう)』かの呼称もある。

Jyohuku『蓬莱』は、秦の始皇帝の命を受け、仙人(方士)-徐福が不老不死の霊薬を求めて『蓬莱国(日本)』に数千人の大船団で渡来、そのまま帰化したとある。
徐福の足跡は現在でも日本の各地に残ってるし、大陸との往来はかなり古くからあったんだね。

、、といっても、紀元前2〜3世紀の、ほんの2300年前のできごとですが。

司馬遷の『史記』には、日本は海の彼方に蜃気楼のように存在する、不老不死の桃源郷(仙郷)として描かれていた。うふふん、、、。
『蓬莱山』とは支那がつけた富士山の別名、徐福が終の住処とした地でもある。

そういえば、昨昨年春、コキントウが不自然な笑顔ふりまき来日した時、ちらっと徐福にも触れていたっけ。支那人の中には、徐福が富士王朝を立て神武天皇となったと吹聴し、古代から日本は支那人が入植して造った国だと大法螺吹いてる学者もおります、、、。(宮下文書っつーのもある)

、、、ンとにもぉ、天皇朝鮮渡来説やら、どこの国にも妄想好きが跋扈してますな。。。

『扶桑』というのも支那の『山海経』にある”東方の桑の神木伝説”が元。エデンの園の、生命の樹と知恵なる樹のイメージにも似た、太陽が宿る神木が東の国にあるという。歴史書には自虐な「倭」よりも「扶桑」を好んで使っていた日本人の記録もある。現代でも社名にもよく使われている日本の別名。
魔除けのおまじない、”〜クワバラクワバラ〜”も、桑の樹には雷が落ちないという云いづたえから。
桑は上質な絹を得るために、それはそれは貴重な神木だっただろう。(『扶桑国記』っつーのもある)

日本の絹は上質で、、、確か古代の大昔に皇族のお姫さまが支那の南部に嫁がれ、そこで養蚕業を起こされたとも読んだ記憶がある。シルクロードとか、呉の絹産業とかも、発端はこれだったりしたら面白い。

徐福東渡2200周年に「徐福号」が日韓に出航
中日韓によるテレビドラマ「徐福」を制作
 2009年9月29日 人民日報

大昔、日本海は内海だった。
日本列島が大陸から完全分離したのは、約一万年前の洪積世の時代とか。
しかも自由に行き来できたものが、国家の概念が固まるにつれ、不自由になる。
日本に渡ってきた帰化人が、中央で重宝されていたのを見ると、祖国を追われた一種の頭脳流出だったのか。日本の朝廷に忠誠を誓って初めて帰化を許されたともいう。さぞかし土産も嵩んだことだろうな、かつてのソロモン王にシバの女王が謁見したように。

◇◇◇

さて時代をもっと遡ります。

「蓬莱」も「扶桑」も、、そして「日本」も所詮、漢字の洗礼を受けてからの呼び名。
漢字ファミリー家の支那というゴッドファーザーの軛は逃れられない。
じゃあそれ以前の、自らを自らが名乗った、純粋な”やまとことば”で記されていた日本は何だったのかというと、ハイー、もちろんありました。
ヲシテ文献では『ヤマト』ーより以前の、日本初の国名を

『トコヨクニ』

と記している。

『トコヨクニ』

これを『常世国』と、脊髄反射で漢字変換して納得するのは悲しき漢字脳。表意文字特有のサガか、翻訳時のロスト-イン-トランスレーションだけでなく、夾雑物が入ってしまうのが難。文節を区切るなら、『ト・コ・ヨ・クニ』かもしれない。

あえて言うなら、「のヲシエにより造られたくに」っつーところ。
「コ」は”凝る、固まる、引き締まる、集まって固くなる」とかの意味。
ああ、漢字ってめんどくさいね。要するに『ト』という理念に従い指導者を慕いて人々がまとまった国、、ってとこかな‥‥?

近年、三内丸遺跡など、我らの想像をも絶する高度な精神文明と文化があったとして、縄文時代が注目を浴びている。稲作の開始時期も千年は早まり、従来の時代区分も見直されつつある。
これまでのまるで前時代を否定したいがための否定、弥生マンセーが覆される!

  • 縄文=原始時代のような狩猟採集生活、呪術的
  • 弥生=定住型水稲耕作、文明的
従来の、半島より移住してきた弥生人が青銅器、鉄器、稲作など優れた文明をもたらし、暗黒の縄文時代から原始日本を解放したーとか、優れたものは何もかも半島大陸由来という定説には、以前から何かしらの意図的なものを感じて仕方がなかった。

縄文人or弥生人?
ーなどと <縄文vs弥生> の二項対立を煽ってきたのも、オザワの例の不敬演説@半島南と同様、現代の”渡来人”を肯定したいが故の工作っぽいと思うのだが、、、。

しかし、遺跡は語る。
気候や食物の大変化による縄文と弥生の共存と緩やかな移行。かつての縄文ー弥生の対立構図では全く、時代を計れなくなってしまったのだ。
そしてまさしくヲシテ文献とは、その縄文時代に起点を置く、日本の、日本人の、日本語の、一環した”ヤマト”の視点で記した、縄文〜弥生〜古代を貫く我が国の一大歴史叙事詩なのだ。

ヲシテ文献は伝えます。

日本は、今から6000年〜前ほどの縄文前期に、初代アマカミ『クニトコタチ』さまが、崇高なる理念『』ノヲシテ(ヲシエ・憲法)に沿ってと建国された『トコヨクニ』だと。
。。。

、、、6000年前〜?

えー、、っと。
6000年前と言えば、メソポタミア、シューメールの楔形文字が使われてた頃かな、、、?
モーゼが紀元前13〜4世紀、古代ギリシャがせいぜい紀元前2500年、古代ローマは紀元前600年建国。支那でも殷より前の幻の夏とか兎以前の、、、漢字の”カ”の字も生まれていない時代に『トコヨクニ』が建国されたと、、、、。

ド・ヒャ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!

皇紀2670数年がいかに控えめか、、、!!アヘアヘ〜。(それでも世界最古だけど)

Jyomon

かつて記紀を原文で読もうと試みたけど、難解な漢文と当て字だらけーであえなく挫折。
特に神代は、宙船は飛ぶわ〜汚物は舞うわ〜ワニ人はでてくるわ〜モノノケは徘徊するわ、、、まるで漫画のオカルト・SFファンタジー。(楽しむにはいいけどね)
累々と漢字漢字の羅列を見れば、これ一体どこの書物か〜?って投げ出したくなる。「日本書紀」が異説を含めとりあえず諸説を列記した国史なら、「古事記」は筋に一貫性を持たせようとした壮大な創作神話と申しましょうか、、。

しかし『ヲシテ』は、違います。
より詳細でよりリアルで、格調が高く叙情的表現にあふれ、宇宙観、死生観、哲学的要素もバッチシ。特に神代、摩訶不思議な世界に閉じ込められた神々たちが人格を持ち血液がかよう、過去に実在した偉大な『トコヨ』の指導者たちの、感動の叙事詩なのだ!

国の始まりを知るとは、出生の秘密を知るにも似ている。
天孫という響きの、一歩間違えば狂気にも連なる神話ファンタジーに逃げ込むことなく、今までヴェールに隠されていた本当の我が国の歴史を伺い知ることができる。
自分の生が祝福の中で生まれたのか、略奪の果てに生まれたのか、そして産んでくれた親の気持ちを推し計ることにより、子孫のその後の人生に、多大なる影響を及ぼすに違いない。

◇◇◇

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ところで『ヲシテ文献』とは漢字以前の、日本固有の文字『ヲシテ(伊予文字)』で書かれた書物、正確には

  • 『ホツマツタエ』
  • 『ミカサフミ』
  • 『フトマニ』
の三冊を指します。

時代区分的には、初代『クニトコタチ』さまから、大和武尊(やまとたけ)さまのお父様である景行天皇(12代)の時代(大体2〜3世紀?)をカバー。全文七五調で書かれている。

この時代、大陸情勢も異常に騒々しい。
後漢滅亡から6世紀末の隋ができるまで、もうしっちゃかめっちゃか。政変が起こるたびに半島状勢も揺れる、人の出入りもやたら激しい。

渡来人が頻繁に往来しているのを見ると、仏典のためにしっかり漢字がインポートされたのも容易に想像できる。進取気取りのインテリ層には異国文化はさぞかし魅力的だったろうし、仏教を信望する者、朝廷にたてつくものも出てくる。

一方、寂しく脇に追いやられたのが『ヲシテ』。
ヲシテ時代の終焉がこの時期4世紀前後と重なるのは何とも、、、。(涙)

また、物部氏(排仏派)vs蘇我氏(崇仏派)の対立で象徴された仏教の国教化は、支那が混乱から隋〜唐の超大国化していくさなか、日本がかつてない国難に瀕していたからこそ成し遂げられたんだろう。
日本が国として生存していくためには、強力な中央集権国家システムと、仏教による理論武装、加護は必須。
秦河勝(始皇帝の末裔、ユダヤ人説もあり)、鞍作鳥(半島系)とか、聖徳太子の周囲にも渡来系がわんさか。今でいう太子は、かなりの親支那派だったのかな。(坂上田村麻呂も後漢の末裔だっけ)
太子亡き後も、大化の改新〜壬申の乱と、蘇我氏中心の支那寄り体制を天皇中心に揺り戻そうとし内乱状態は続き、最終章はやはり白村江、、、勝敗の結果はご存知の通り。

なんだか現在の日本の立ち位置が、明治維新というより、この古代の時代に重なって見えるのは、気のせいでしょうかね・・・。

国名を『日本』と改めた後、まもなくして新しく国史が漢字で編纂された。それ以降、代々天皇には漢風の諡号があてがわれ、過去のスメラミコトににまで遡り、漢字の冠も戴かせる。(淡海三船)我々にはそちらの方が馴染みあるから、これまた厄介だが、、、。

ちなみに(frm.WIKI)

天武天皇は、
◎天渟中原瀛真人天皇
(あまの・ぬなはら・おきの・まひとの・すめらみこと)

聖徳太子だって、
◎上宮之厩戸豊聡耳命
(かみつみやの・うまやど・とよさとみみの・みこと)

▼病弱な夫(仲哀天皇)の代わりに身重の身体で三韓征伐された神功皇后さま(3世紀)

Jingu_8

◇◇◇

今から60数年前、GHQにより焚書坑儒され国家の仕組みをめちゃくちゃいじくられ、メイドby U.S.Aの憲法を与えられた。
ーならば、古代の敗戦時も何かしらの政治的力学が働き、黒髪黒い目の傀儡師が暗躍してたって、、、まあ不思議ではない。

だって勝者の都合の悪いものはデリートする、そしてこっそり書き換える、焚書坑儒は古今東西、万国共通”世のトコ(常)”ってとこ。

しかし、困ったことにこの時、漢字と引き換えに植え付けられたのが、強烈なシナ・コンプレックス。書き文字をすべて漢字に依拠するとは、庶民の文盲化を推進し、知の独占階級も生じたことだろう。
しかもこれ、敗戦により植え付けられたアメリカ・コンプレックスより、よっぽどたちが悪く、今も日本人を呪縛している。

文字や文化、慣習、宗教、、すべてのルーツが借り物で、挙げ句、所詮、半島や大陸通じて渡ってきた移民の征服王朝の末裔だなんて言われた日にゃあ、、、。

”日本人はどこから来たのか?”という民族のルーツ探しに囚われ、永遠のラビリンスで遊ぶハツカネズミのよう。

だって、過去の漢字文献に求める限り、決してそこに解はないのだ。

*大化の改新で蘇我入鹿邸にて焼失したという「国記(くにつふみ)」と「天皇記」(聖徳太子が作らせた)が記紀以前の歴史書といわれる。

*9世紀初のという都の姓氏の出自を見ると、渡来系が1182氏中326氏の27%。
これって国会に例えれば衆議院議員の500人のうち、135人が帰化人ということになる。

氏姓は古い順に‥‥

ニニギノ尊以前=天神>〜3代以内 天孫 神武天皇>皇別
地祇(ニニギノ以前の土着)

なんだ、、天津と国津の対立構図は、単なる本家と分家の旧家自慢のお家騒動だったんですね。

『新撰姓氏録』

皇別

筆頭にあげられた「皇別」の姓氏とは、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族のことで、335氏が挙げられている。代表的なものは、清原、橘、源などがある。皇別氏族は、さらに、皇親(「真人」の姓(カバネ)をもつ氏族)とそれ以外の姓をもつ氏族に分かれる。

神別

「神別」の姓氏とは、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族のことで、404氏が挙げられている。神別姓氏は、さらに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した際に付き随った神々の子孫を「天神」とし、瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫を「天孫」とし、天孫降臨以前から土着していた神々の子孫を「地祇」として3分類している。
「天神」に分類された姓氏は藤原、大中臣など246氏、「天孫」は尾張、出雲など128氏(隼人系の氏族は天孫に分類される。)、「地祇」は安曇、弓削など30氏がある。

諸蕃

「諸蕃」の姓氏とは、渡来人系の氏族で、秦、大蔵など326氏が挙げられている。諸蕃氏族は、さらに5分類され、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。

また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。

◇◇◇

さてこの『ヲシテ文献』、再び日の目を見たのは実に1500年以上も経てからもことであった。

伝聞は支配者らの目をかすめながらも連綿と語り継がれていたんだろうか、あの、平田篤胤が遭遇を切望したが叶わなかったという「幻の書」としても有名。
写本が見つかったのは偶然にも、昭和40年代の古本屋だったとか。

もちろん、他の神代文字や古文書と同様に、しばし、偽書扱いのそしりは免れなかった。
だが、記紀やその他の歴史文献と内容を比較検討するにつれ、身震いするほどの詳細さと圧倒的な情報量とその裏付けに、この『ヲシテ』こそが日本古来の文字で綴られた『記紀』ら歴史書の原資料であると、現在、第一『ヲシテ』研究者の池田満氏は確信を持って語っておられる。

しかもその奥深さ、、、、。

ここ数十年、『ナグ・ハマディ写本』『死海文書」など世紀の古書古文書の発見が続いた。つい最近では『ユダの福音書』とか。
真贋はさておき、この手の偶然も何かしら神の采配と、大きな時代の地層の蠢きを感じて仕方がない。
そして、『ヲシテ』が広く広く人々の関心を集め、考古学的裏付けをも得た時、それはシュリーマンのトロイ遺跡発見以来の驚嘆をもって、世界は溜め息つくだろうな。

日本は列島そのものが大英博物館のごとき歴史の揺籃のよう。至るところに1000年以上の由縁のある生き証人のような神社が存在する。
当時の(権力=傀儡師)にとって異端や外典とされ、闇に葬られた書物の封印が解かれる時、ようやく日本探しの旅が終わり、自らの根の確かさと深さに気づく。

そうすれば、高天原が朝鮮半島とか、天津と国津とか、邪馬台国論争とか、卑弥呼とか、騎馬民族襲来とか、日ユ同祖論とかの、、タワケ論争にもきっと終止符が打たれる。

その日を楽しみにして、余生、『ヲシテ』をじっくり学び味わっていきたいと思う。
ヤマトことばで綴られた『トコヨクニ』の歴史、建国の理念『ト』の示すところを実現するために。

To

きっと、これが将来、日本再生の核となる。
うん、間違いない!?

◎8代アマテルさまがお若い頃に宮を構えられたハラミやま(富士)
:別名(かくやま・みかさやま)

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2010年1月 1日 (金)

とほかみえみため(4)ーFOLLOW ME

攻殻機動隊名(迷)台詞の世界

ー「人間は なぜ自分の似姿を
それもその理想型において 
創造しようとするのか」ー
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   生死去来  生死の去来するは
   棚頭傀儡  棚頭(ほうとう)の傀儡(かいらい)たり
   一線断時  一線断ゆる時
   落々磊々  落々磊々(らくらくらいらい)

◎出典:「月菴和尚法語」

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ー孤独に歩め
悪をなさず
求めるところは少なく
林の中の象のように・・・ー

◎出典:仏陀の真理のことば

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FOLLOW ME frm.『イノセンス』

Follow Me
(Lyric: Herbert Kretzmer/Hal Shapey)

 Follow me to a land across the shining sea
 Waiting beyond the world that we have known
 Beyond the world the dream could be
 And the joy we have tasted

 Follow me along the road that only love can see
 Rising above the fun years of the night
 Into the light beyond the tears
 And all the years we have wasted

 Follow me to a distant land this mountain high
 Where all the music that we always kept inside will fill the sky
 Singing in the silent swerve a heart is free
 While the world goes on turning and turning
 Turning and falling

 Follow me...
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