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2010年1月10日 (日)

国史『トコヨクニ』

日本にも過去にいろんな呼び名があった。
『大日本帝國』、、はまあ置いといて、、『やまと(大和)』『わ(倭)』とか。明治維新、大東亜戦争ー国名をリニューアルした背景には、やはりそれ相応の劇的な事件があったと考えるのは当然だろ。

対外的に『日本』と初めて名乗ったのは、7世紀の天武天皇の時代。
白村江の敗戦後、『ヤマト』から国号を『日本』と改め復興をはかった。

ちなみに『わ』や『やまと』に『倭』という漢字を当てるのは、支那・朝鮮から見た日本の蔑称。『倭』というのは、”背中が曲がっている小人”の意。古代から中華思想バリバリで、匈奴とか南蛮とかと同じで、東夷として日本を格下位置づけ。
日本人が「チョ○」とか、「チャン○○」とか「ロス○」、鬼畜米英、とか言うのと同じ感覚かな。

漢字表記の「日本書記」「古事記」を正史として編纂されたのも、この時期8世紀初旬。なのに、今でも『倭』とか『倭人』とかの表記を新聞雑誌等で見ると、こいつらわざとやってるな〜としか思えない。

で、さすが売国電波犬HK、朝鮮向けにラブラブアンコールか?
番組中でも『倭』『倭人』の大連発!日韓歴史共同プロジェクトとやらの一環で、お正月から再放送を数夜連続でやってくれてた。他国へはあれほど気を使うのに、自虐を通り越し○チガイ度ばりばり全開。
リポーターの女の子まで調子こいて

「〜で、倭はそこでどうしたんですか?」

バカか、おまえらは、、、。

あれで一応、日韓の良好関係を築くのが目的ってんだから、ヘソが茶を沸かすってもん。
広開土王碑改ざん説で任那(ミナマ)や加羅国否定の企てに失敗するや、元寇は棚上げ、倭冦や秀吉の「朝鮮侵略」の過度の強調!これまた更なる謝罪と賠償の伏線かと勘ぐりたくなる。クワバラクワバラ〜。

Etv
◇◇◇

また、古代支那の文献では、『倭』の他に『蓬莱(ほうらい)』とか『扶桑(ふそう)』かの呼称もある。

Jyohuku『蓬莱』は、秦の始皇帝の命を受け、仙人(方士)-徐福が不老不死の霊薬を求めて『蓬莱国(日本)』に数千人の大船団で渡来、そのまま帰化したとある。
徐福の足跡は現在でも日本の各地に残ってるし、大陸との往来はかなり古くからあったんだね。

、、といっても、紀元前2〜3世紀の、ほんの2300年前のできごとですが。

司馬遷の『史記』には、日本は海の彼方に蜃気楼のように存在する、不老不死の桃源郷(仙郷)として描かれていた。うふふん、、、。
『蓬莱山』とは支那がつけた富士山の別名、徐福が終の住処とした地でもある。

そういえば、昨昨年春、コキントウが不自然な笑顔ふりまき来日した時、ちらっと徐福にも触れていたっけ。支那人の中には、徐福が富士王朝を立て神武天皇となったと吹聴し、古代から日本は支那人が入植して造った国だと大法螺吹いてる学者もおります、、、。(宮下文書っつーのもある)

、、、ンとにもぉ、天皇朝鮮渡来説やら、どこの国にも妄想好きが跋扈してますな。。。

『扶桑』というのも支那の『山海経』にある”東方の桑の神木伝説”が元。エデンの園の、生命の樹と知恵なる樹のイメージにも似た、太陽が宿る神木が東の国にあるという。歴史書には自虐な「倭」よりも「扶桑」を好んで使っていた日本人の記録もある。現代でも社名にもよく使われている日本の別名。
魔除けのおまじない、”〜クワバラクワバラ〜”も、桑の樹には雷が落ちないという云いづたえから。
桑は上質な絹を得るために、それはそれは貴重な神木だっただろう。(『扶桑国記』っつーのもある)

日本の絹は上質で、、、確か古代の大昔に皇族のお姫さまが支那の南部に嫁がれ、そこで養蚕業を起こされたとも読んだ記憶がある。シルクロードとか、呉の絹産業とかも、発端はこれだったりしたら面白い。

徐福東渡2200周年に「徐福号」が日韓に出航
中日韓によるテレビドラマ「徐福」を制作
 2009年9月29日 人民日報

大昔、日本海は内海だった。
日本列島が大陸から完全分離したのは、約一万年前の洪積世の時代とか。
しかも自由に行き来できたものが、国家の概念が固まるにつれ、不自由になる。
日本に渡ってきた帰化人が、中央で重宝されていたのを見ると、祖国を追われた一種の頭脳流出だったのか。日本の朝廷に忠誠を誓って初めて帰化を許されたともいう。さぞかし土産も嵩んだことだろうな、かつてのソロモン王にシバの女王が謁見したように。

◇◇◇

さて時代をもっと遡ります。

「蓬莱」も「扶桑」も、、そして「日本」も所詮、漢字の洗礼を受けてからの呼び名。
漢字ファミリー家の支那というゴッドファーザーの軛は逃れられない。
じゃあそれ以前の、自らを自らが名乗った、純粋な”やまとことば”で記されていた日本は何だったのかというと、ハイー、もちろんありました。
ヲシテ文献では『ヤマト』ーより以前の、日本初の国名を

『トコヨクニ』

と記している。

『トコヨクニ』

これを『常世国』と、脊髄反射で漢字変換して納得するのは悲しき漢字脳。表意文字特有のサガか、翻訳時のロスト-イン-トランスレーションだけでなく、夾雑物が入ってしまうのが難。文節を区切るなら、『ト・コ・ヨ・クニ』かもしれない。

あえて言うなら、「のヲシエにより造られたくに」っつーところ。
「コ」は”凝る、固まる、引き締まる、集まって固くなる」とかの意味。
ああ、漢字ってめんどくさいね。要するに『ト』という理念に従い指導者を慕いて人々がまとまった国、、ってとこかな‥‥?

近年、三内丸遺跡など、我らの想像をも絶する高度な精神文明と文化があったとして、縄文時代が注目を浴びている。稲作の開始時期も千年は早まり、従来の時代区分も見直されつつある。
これまでのまるで前時代を否定したいがための否定、弥生マンセーが覆される!

  • 縄文=原始時代のような狩猟採集生活、呪術的
  • 弥生=定住型水稲耕作、文明的
従来の、半島より移住してきた弥生人が青銅器、鉄器、稲作など優れた文明をもたらし、暗黒の縄文時代から原始日本を解放したーとか、優れたものは何もかも半島大陸由来という定説には、以前から何かしらの意図的なものを感じて仕方がなかった。

縄文人or弥生人?
ーなどと <縄文vs弥生> の二項対立を煽ってきたのも、オザワの例の不敬演説@半島南と同様、現代の”渡来人”を肯定したいが故の工作っぽいと思うのだが、、、。

しかし、遺跡は語る。
気候や食物の大変化による縄文と弥生の共存と緩やかな移行。かつての縄文ー弥生の対立構図では全く、時代を計れなくなってしまったのだ。
そしてまさしくヲシテ文献とは、その縄文時代に起点を置く、日本の、日本人の、日本語の、一環した”ヤマト”の視点で記した、縄文〜弥生〜古代を貫く我が国の一大歴史叙事詩なのだ。

ヲシテ文献は伝えます。

日本は、今から6000年〜前ほどの縄文前期に、初代アマカミ『クニトコタチ』さまが、崇高なる理念『』ノヲシテ(ヲシエ・憲法)に沿ってと建国された『トコヨクニ』だと。
。。。

、、、6000年前〜?

えー、、っと。
6000年前と言えば、メソポタミア、シューメールの楔形文字が使われてた頃かな、、、?
モーゼが紀元前13〜4世紀、古代ギリシャがせいぜい紀元前2500年、古代ローマは紀元前600年建国。支那でも殷より前の幻の夏とか兎以前の、、、漢字の”カ”の字も生まれていない時代に『トコヨクニ』が建国されたと、、、、。

ド・ヒャ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!

皇紀2670数年がいかに控えめか、、、!!アヘアヘ〜。(それでも世界最古だけど)

Jyomon

かつて記紀を原文で読もうと試みたけど、難解な漢文と当て字だらけーであえなく挫折。
特に神代は、宙船は飛ぶわ〜汚物は舞うわ〜ワニ人はでてくるわ〜モノノケは徘徊するわ、、、まるで漫画のオカルト・SFファンタジー。(楽しむにはいいけどね)
累々と漢字漢字の羅列を見れば、これ一体どこの書物か〜?って投げ出したくなる。「日本書紀」が異説を含めとりあえず諸説を列記した国史なら、「古事記」は筋に一貫性を持たせようとした壮大な創作神話と申しましょうか、、。

しかし『ヲシテ』は、違います。
より詳細でよりリアルで、格調が高く叙情的表現にあふれ、宇宙観、死生観、哲学的要素もバッチシ。特に神代、摩訶不思議な世界に閉じ込められた神々たちが人格を持ち血液がかよう、過去に実在した偉大な『トコヨ』の指導者たちの、感動の叙事詩なのだ!

国の始まりを知るとは、出生の秘密を知るにも似ている。
天孫という響きの、一歩間違えば狂気にも連なる神話ファンタジーに逃げ込むことなく、今までヴェールに隠されていた本当の我が国の歴史を伺い知ることができる。
自分の生が祝福の中で生まれたのか、略奪の果てに生まれたのか、そして産んでくれた親の気持ちを推し計ることにより、子孫のその後の人生に、多大なる影響を及ぼすに違いない。

◇◇◇

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ところで『ヲシテ文献』とは漢字以前の、日本固有の文字『ヲシテ(伊予文字)』で書かれた書物、正確には

  • 『ホツマツタエ』
  • 『ミカサフミ』
  • 『フトマニ』
の三冊を指します。

時代区分的には、初代『クニトコタチ』さまから、大和武尊(やまとたけ)さまのお父様である景行天皇(12代)の時代(大体2〜3世紀?)をカバー。全文七五調で書かれている。

この時代、大陸情勢も異常に騒々しい。
後漢滅亡から6世紀末の隋ができるまで、もうしっちゃかめっちゃか。政変が起こるたびに半島状勢も揺れる、人の出入りもやたら激しい。

渡来人が頻繁に往来しているのを見ると、仏典のためにしっかり漢字がインポートされたのも容易に想像できる。進取気取りのインテリ層には異国文化はさぞかし魅力的だったろうし、仏教を信望する者、朝廷にたてつくものも出てくる。

一方、寂しく脇に追いやられたのが『ヲシテ』。
ヲシテ時代の終焉がこの時期4世紀前後と重なるのは何とも、、、。(涙)

また、物部氏(排仏派)vs蘇我氏(崇仏派)の対立で象徴された仏教の国教化は、支那が混乱から隋〜唐の超大国化していくさなか、日本がかつてない国難に瀕していたからこそ成し遂げられたんだろう。
日本が国として生存していくためには、強力な中央集権国家システムと、仏教による理論武装、加護は必須。
秦河勝(始皇帝の末裔、ユダヤ人説もあり)、鞍作鳥(半島系)とか、聖徳太子の周囲にも渡来系がわんさか。今でいう太子は、かなりの親支那派だったのかな。(坂上田村麻呂も後漢の末裔だっけ)
太子亡き後も、大化の改新〜壬申の乱と、蘇我氏中心の支那寄り体制を天皇中心に揺り戻そうとし内乱状態は続き、最終章はやはり白村江、、、勝敗の結果はご存知の通り。

なんだか現在の日本の立ち位置が、明治維新というより、この古代の時代に重なって見えるのは、気のせいでしょうかね・・・。

国名を『日本』と改めた後、まもなくして新しく国史が漢字で編纂された。それ以降、代々天皇には漢風の諡号があてがわれ、過去のスメラミコトににまで遡り、漢字の冠も戴かせる。(淡海三船)我々にはそちらの方が馴染みあるから、これまた厄介だが、、、。

ちなみに(frm.WIKI)

天武天皇は、
◎天渟中原瀛真人天皇
(あまの・ぬなはら・おきの・まひとの・すめらみこと)

聖徳太子だって、
◎上宮之厩戸豊聡耳命
(かみつみやの・うまやど・とよさとみみの・みこと)

▼病弱な夫(仲哀天皇)の代わりに身重の身体で三韓征伐された神功皇后さま(3世紀)

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◇◇◇

今から60数年前、GHQにより焚書坑儒され国家の仕組みをめちゃくちゃいじくられ、メイドby U.S.Aの憲法を与えられた。
ーならば、古代の敗戦時も何かしらの政治的力学が働き、黒髪黒い目の傀儡師が暗躍してたって、、、まあ不思議ではない。

だって勝者の都合の悪いものはデリートする、そしてこっそり書き換える、焚書坑儒は古今東西、万国共通”世のトコ(常)”ってとこ。

しかし、困ったことにこの時、漢字と引き換えに植え付けられたのが、強烈なシナ・コンプレックス。書き文字をすべて漢字に依拠するとは、庶民の文盲化を推進し、知の独占階級も生じたことだろう。
しかもこれ、敗戦により植え付けられたアメリカ・コンプレックスより、よっぽどたちが悪く、今も日本人を呪縛している。

文字や文化、慣習、宗教、、すべてのルーツが借り物で、挙げ句、所詮、半島や大陸通じて渡ってきた移民の征服王朝の末裔だなんて言われた日にゃあ、、、。

”日本人はどこから来たのか?”という民族のルーツ探しに囚われ、永遠のラビリンスで遊ぶハツカネズミのよう。

だって、過去の漢字文献に求める限り、決してそこに解はないのだ。

*大化の改新で蘇我入鹿邸にて焼失したという「国記(くにつふみ)」と「天皇記」(聖徳太子が作らせた)が記紀以前の歴史書といわれる。

*9世紀初のという都の姓氏の出自を見ると、渡来系が1182氏中326氏の27%。
これって国会に例えれば衆議院議員の500人のうち、135人が帰化人ということになる。

氏姓は古い順に‥‥

ニニギノ尊以前=天神>〜3代以内 天孫 神武天皇>皇別
地祇(ニニギノ以前の土着)

なんだ、、天津と国津の対立構図は、単なる本家と分家の旧家自慢のお家騒動だったんですね。

『新撰姓氏録』

皇別

筆頭にあげられた「皇別」の姓氏とは、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族のことで、335氏が挙げられている。代表的なものは、清原、橘、源などがある。皇別氏族は、さらに、皇親(「真人」の姓(カバネ)をもつ氏族)とそれ以外の姓をもつ氏族に分かれる。

神別

「神別」の姓氏とは、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族のことで、404氏が挙げられている。神別姓氏は、さらに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した際に付き随った神々の子孫を「天神」とし、瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫を「天孫」とし、天孫降臨以前から土着していた神々の子孫を「地祇」として3分類している。
「天神」に分類された姓氏は藤原、大中臣など246氏、「天孫」は尾張、出雲など128氏(隼人系の氏族は天孫に分類される。)、「地祇」は安曇、弓削など30氏がある。

諸蕃

「諸蕃」の姓氏とは、渡来人系の氏族で、秦、大蔵など326氏が挙げられている。諸蕃氏族は、さらに5分類され、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。

また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。

◇◇◇

さてこの『ヲシテ文献』、再び日の目を見たのは実に1500年以上も経てからもことであった。

伝聞は支配者らの目をかすめながらも連綿と語り継がれていたんだろうか、あの、平田篤胤が遭遇を切望したが叶わなかったという「幻の書」としても有名。
写本が見つかったのは偶然にも、昭和40年代の古本屋だったとか。

もちろん、他の神代文字や古文書と同様に、しばし、偽書扱いのそしりは免れなかった。
だが、記紀やその他の歴史文献と内容を比較検討するにつれ、身震いするほどの詳細さと圧倒的な情報量とその裏付けに、この『ヲシテ』こそが日本古来の文字で綴られた『記紀』ら歴史書の原資料であると、現在、第一『ヲシテ』研究者の池田満氏は確信を持って語っておられる。

しかもその奥深さ、、、、。

ここ数十年、『ナグ・ハマディ写本』『死海文書」など世紀の古書古文書の発見が続いた。つい最近では『ユダの福音書』とか。
真贋はさておき、この手の偶然も何かしら神の采配と、大きな時代の地層の蠢きを感じて仕方がない。
そして、『ヲシテ』が広く広く人々の関心を集め、考古学的裏付けをも得た時、それはシュリーマンのトロイ遺跡発見以来の驚嘆をもって、世界は溜め息つくだろうな。

日本は列島そのものが大英博物館のごとき歴史の揺籃のよう。至るところに1000年以上の由縁のある生き証人のような神社が存在する。
当時の(権力=傀儡師)にとって異端や外典とされ、闇に葬られた書物の封印が解かれる時、ようやく日本探しの旅が終わり、自らの根の確かさと深さに気づく。

そうすれば、高天原が朝鮮半島とか、天津と国津とか、邪馬台国論争とか、卑弥呼とか、騎馬民族襲来とか、日ユ同祖論とかの、、タワケ論争にもきっと終止符が打たれる。

その日を楽しみにして、余生、『ヲシテ』をじっくり学び味わっていきたいと思う。
ヤマトことばで綴られた『トコヨクニ』の歴史、建国の理念『ト』の示すところを実現するために。

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きっと、これが将来、日本再生の核となる。
うん、間違いない!?

◎8代アマテルさまがお若い頃に宮を構えられたハラミやま(富士)
:別名(かくやま・みかさやま)

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日本ヲシテ研究所
縄文文字ヲシテ を 復活!
国家再建は、縄文日本の建国の再認識から! ヲシテ文献・池田 満の、こぼれ話。
びーちぇの「ヲシテのクニ」

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君よ知るやヤマトの国」カテゴリの記事

コメント

神道系の高校に通っていましたが・・・
2割も読めませんでした。

まあ勉強は好きではなかったです。

博学・博識に脱帽です。

投稿: 日本を憂うもの | 2010年1月11日 (月) 23時11分

私も現代口語訳でしか読んでいません。
画数の多い漢字は目にきついですもん。

むずかしいこと言わずに、
左にある巨大肉球で遊んでいってくだされ。
なでなでして、くりっくすると、うちのコも大喜びです。

投稿: 紅りんご | 2010年1月12日 (火) 16時51分

( ^ω^)おっおっおっおもしろ~い

投稿: 日本を憂うもの | 2010年1月14日 (木) 11時47分

うーさま、、お好きそう。。。

いつでもプニプニしに来てくだされ。

ニャニャニャ〜ンlovely

投稿: 紅りんご | 2010年1月14日 (木) 19時35分

はじめまして。
「ヲシテのクニ」を書いております、びーちぇと申します。

拙ブログのご紹介有り難うございました。
本日、新記事をアップ致しました。
「アマテルカミのお馬」シリーズの2です。
下記リンクの1から、お読み頂けたら幸いです。
http://julian.way-nifty.com/woshite/2010/02/post-2ffc.html

今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: びーちぇ | 2010年2月19日 (金) 10時25分

びーちぇさま。
こちらこそ、はじめまして。
毎回、記事をそれは楽しみにいつも参考にさせていただいております。

当方、まだまだ原文を読み、読み込むなんてできませんが、
何冊か書籍は揃えておりますので、ぼちぼち、勉強して
いきたいと思っております。

よろしくご指導お願いいたしますね。

投稿: 紅りんご | 2010年2月21日 (日) 18時08分

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