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2010年3月

2010年3月12日 (金)

木の花咲けよと 弥生の空に・・・

3月3日のお雛さまも過ぎ、ぐんぐん気配も春めいて来た。

梅の季節が終わり、桃の節句、あとは桜の季節を待つばかり。
道すがらの沈丁花の匂いにふと足を止め、次々と蕾をつけては開花し移り行くさまに否応なく新しい季節の到来に気付かされる‥‥。
もしかしたらこの初春の木の花を愛でることにより、日本人が一年を通して一番優しくなれる季節かもしれない。

Sakura_2

桜といえば、日本神話に有名な話がある。
天孫ニニギノ尊(ミコト)の后となられた、桜のように美しい『コノハナサクヤ-ヒメ』(木花開耶・木花咲耶、当て字いろいろ)さま。

九州は日向の高千穂の峰に降臨したニニギノさまに見初められ、一夜で身籠ったはいいが、その胤の不実を疑われ、身の潔白を命を賭して証明されたという、あ・の、お話。
身重のヒメは自ら出口を塞いだ室屋(ムロヤ)にこもり、火を放つ。そして天に向かって誓願ー。

「もしも自分に非があるというなら、
このまま皆、炎にまかれ息絶えるであろう。
しかし、お腹の子がニニギノさまの子であるならー、、、、!!!」

ヒメはその時に三つ子をお産みになり、炎の中から、順次、おコらが這い出る。炎の中から生まれでた三つ子のうちのおふた方は、その後の海幸山幸‥‥と。(続く)

また、記紀に云う。

Ashituコノハナサクヤ-ヒメは、地元(火山地帯)の豪族”オオヤマツミ”(大山祇神)の次女。姉に正反対の容姿の(要するに醜女)、イワナガ-ヒメがおられた。
ニニギノさまとヒメは、ひと目で相愛になられたが、姉と妹をセットでーとのオオヤマツミの薦めを断る。よって、永遠の寿命を得られるイワナガ-ヒメを拒絶したがために、人間の寿命は花のようにはかなく有限になったという云々、、、。

う〜ん、、またぞろどこぞの外国の神話伝承からの借り物のような、とってつけたような説教付き。
ここからも当時の作者の、恣意的な意地悪な創作を感じてしまう。

だってこれ今風に読めば、高貴な身分の男にもてあそばれたオボコ女が、身重のまま捨てられそうになったので逆上し、赤ん坊まきぞえて狂言自殺ーで最後は、気迫と根性で勝利〜〜!?!
さらに天孫といえど色香を選び、その愚かな(?)選択故に人間味を帯びてしまったとー?

。。。。。。

ではこの神話のエピソードの歴史的真相をヲシテ文献に頼めばー、これまた、情緒たっぷりにアマカミ(スヘラギ)の意義と覚悟、ヤマトナデシコの雛型ともいうべき、一途で献身、清純、篤き信仰、そして毅然とした意志の強さと使命の自覚等、天(アメ)の徴しの不思議を肌理こまやかな伏線と正確な地理情報も携え伝えているのだ。

原文での忠実な味わいはヲシテ専門サイトでじっくりしていただくことにして、しばし、筋書きだけでもすべての日本人に知っておいていただきたい。日本人と桜を結ぶ、切っても切れないその縁しに感嘆せざるをえない、余りにも美しい、いち押しの歴史のエピソードであるからである。

◇◇◇

まずは予備知識として当時の背景を。

【時代背景】

◯ ニニギノさまのご本名は、ニニキネさま。
  コノハナサクヤ-ヒメは、アシツ-ヒメさま。(以後、こちらに統一)

◯ 時代は、8代アマカミ=アマテルさまがまだご存命の頃。
(おそらく3000年前、紀元前1000年頃?の縄文と弥生時代の端境期)

この時代のアマカミ(スヘラギ)は本拠地となる宮を開かれながらも、自ら各地に行幸され、民を直接啓蒙・技術指導(主に農耕)されている。いかに民を富ませ治安を守るかー政りごとによって聞こえ高く信任を得ていかれた。

◯ 稲作も低湿地での水田耕作の全国普及。人口増加が著しく社会構造にも劇的な変化。
それに伴いアマテルさまがなされたさまざまな社会改革には、税制の導入、刑法、暦の改良・水陸交通網の整備などなど。アマテルさまのご威光は列島全体に響きわたる絶大なものなり、中央集権国家がほぼ完成されていた。

◯ アマテルさまは現役時代の後半に政庁(宮)をハラミ(富士山)の宮から、志摩のイサワ(伊雑)に遷宮。ご引退後はイセの宮(現在の伊勢神宮)にて精神的導師としてご活躍。

◯ 息子の9代アマカミ=オシホミミさまは、ヒタカミ(宮城・東北地方)に宮を開かれている。
そして10代は、ご長男のホノアカリさまと、弟君のニニキネさまの、お二人のアマカミ時代である。

◯ アマカミふたりの擁立は、ニニキネさまのご威徳とご活躍が余りにも傑出されていたための異例の措置。ホノアカリさまは既に即位され、ナカクニ(奈良)に宮を開かれていた。(ニニキネさまは祖父であるアマテルさまから、特別に三種神器が授与)。以降、ニニキネさまに皇統が受け継がれていく。

◯ ニニキネさまは、まずは東国(つくば)のニイハリに宮を置き、高台での灌漑技術に成功。
その後、アマテルさまから八洲巡りのご許可が下り、新しい新田開発の技術を以て、春、梅の季節に全国御幸を開始。
(後にアマテルさま時代の前半に都のあった富士に再び、遷宮。富士裾野一帯を開墾される。富士のハラミ宮は、ホツマ(東国・関東〜東海地方)のクニの中心)

◯ 近畿〜北陸〜紀伊東海地方と廻られ、梅、桜、卯の花と季節も楽しまれる。この途中、ニニキネさまと、琵琶湖西岸にてサルタヒコさまとの出会いがある。
(サルタヒコさまは、琵琶湖周辺を本拠地とする初代アマカミ-クニトコタチさまからの別系統の直系)

サルタヒコ:天狗のモデル、ニニギ尊の道案内役とされた。
ニニギ尊の使いのウズメと恋仲になり、夫婦となる。

Saruta

◯ アシツ-ヒメさまは、伊豆の三島を本拠地とする名家・国守護オオヤマスミ(大山祇)の次女。姉上にイワナガ-ヒメさまがおられる。

おふたりの運命的な出会いは、大嘗祭(オオナメエ)のためにツクバのニイハリの宮にお戻りになる途中の、富士のハラミの宮での出来事である。

◇◇◇

オオヤマスミが取り仕切った富士山麓のサカオリの宮(酒折?)での、大々的な祝宴(ミアエ)。

前日、キミは信濃からハラミ山に登り国見をされ、裾野の湖に湛えられた豊富な水を用い、20年がかりでこの一帯を輝く瑞穂の田に変えようとと大いなる希望に満ちあふれていたそうな。
ニニキネさまとアシツ-ヒメの一夜の契りも、それはそれは運命的なものだったに違いない。

▼ハラミやま(富士山)
Sakura02

その後、ツクバの宮で無事、大嘗祭をすまされたニニキネさまは、ふたたびハラミの宮を訪れた折、アシツ-ヒメのご懐妊を知らされる。

アシツ-ヒメは后として、ご長老のアマテルさまがおわすイセ(伊勢)へ向かうことになるが、これに便乗し、こっそりイワナガ-ヒメをあしらったのは、オオヤマスミの妻(アシツの母)タキコさま。

アシツ-ヒメさまのご懐妊中を狙っての誘惑ー?(エロ、、)
姉妹セットで玉の輿〜というのも見え見え。

しかし、母上のタキコさま。
申し出をニニキネさまに拒絶された挙げ句、出過ぎた行為と夫からこっぴどく叱咤を受け、逆恨み。
そもそもこれが、アシツ-ヒメさま受難の発端だった。

「アマカミのお胤でないー」という、とんでも噂を流したのは、なんとあろうことか母上のタキコさまだったとは、、、、!!
この部分は一切、記紀では語られていない。

富士本宮浅間大社:ハラミ宮はこんな感じ?
Fujiasama

この噂をニニキネさまが耳にされたのは、お二人がイセに向かわれる道中の、シロコの舎でのことだった。

例えアマカミであろうと自分のコだと確信持てないのは男性のサガか?
いくらアマテルさまの御孫(天孫)とはいえ、たった一夜の契りで簡単にお子を授かるものかーとか、アマカミの后となる方に口さがない不埒な噂の穢れ、しかも生まれてくるのは皇子というお立場、もし心ない人々がそれを利用して将来、世の中の混乱を謀ることも、、、とかとか。

また、大尊敬する祖父のアマテルさまのご誕生は、それはそれは劇的なものだったことも思い起こされる。長くお子のできなかった7代アマカミのイサナギさまと、イサナミさま。
現在のご皇室を見てもわかりますが、次世代に皇統を繋ぐとはアマカミの神聖なる大きな仕事のひとつ。

時代の大変遷期の混乱の世を救う、民を幸福に導くアマキミの誕生を祈願し、ご老体の外祖父のトヨケさまが命を掛け8000日連続参拝をなさり、またイサナギさまご自身も、何日も何日もハラミ山(富士)に登り、血を流すような祈願の末に授かったアマキミが、アマテルさまだったとか。

一般民衆のお子だって、犬や猫がコを産むのとはワケが違う。
ましてやアマキミとなれば、”ヒ-ツギミコ”!!
初代アマカミ=クニトコタチさまの理念を受け継ぐ、民を富ませ幸福に導く大きな、それほど大きな使命と責任を背負う、無私なるヲヲヤケの、アマキミとなる存在ー。
授かる側も、それなりの気概と覚悟が必要とされるのだろう。

ニニキネさまは逡巡し、夜半にひとりイセに向かわれることを決意され出発。

Palace

目覚めてひとり残されたことに気付いた身重のヒメはすぐに後を追いかけるが、マツサカでお付きの者にせき止められ、シロコに戻される。

イセ入りの拒絶。何故ー?

理解不能の全くの晴天の霹靂。

ーが、ようやくすべてが母の謀り事だと悟ったヒメは愕然としながらも、己れににふりかかった恨みの穢れ(恥)をすすごうと、誓い(ウケイ)を立てる。だってお腹のコはアマキミーと、何がどう穢そうと、女性なら天地神妙に誓い100%の確信を持てるだろ。

ふと見ると、シロコの宿にはサクラの樹がある。
サクラは昔から、”メオト(イセ)のミチ”を映す力があり、祀りごとを占う橘の樹とともに宮にいつも植えられていたそうな。

ヒメはおもむろにその桜の樹から苗木を取りて植え、全身全霊をかけて、こう願掛けをされる。

▼ サクラ
Sakur3

◎frm.ホツマツタエ 地ノ巻24  コエクニ ハラミヤマノアヤ

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  サクラ イ アラバ  ワガ ハラミ

  アダタネ ナラバ   ハナ シホメ

  マサタネ ナラバ   ウム トキニ

  サケ ト チカヒテ  ココニ ウヱ

  サトニ カエマス

●-----------------------------------------------

 「サクラよ サクラ

  もしもアメ(天・宇宙の根源、摂理)のイ(意)あらば、聞いておくれ

  もしもお腹のコが、徒胤ならば、花 しぼめばいい 

  でもおまえも アマカミの御子だと この真実を知るのなら、

  サクラよ サクラ 産む時に

  めいいっぱいに花開き これを祝福しておくれ」(意訳)

▼梅(古名:ムメ)
Ume

数ヶ月後、月が満ちてヒメは、三島の実家にて三つ子をご出産。

それが不思議なことに、お子らの胞衣(エナ)には、梅・さくら・卯の花の模様が浮かび上がったという。これもまた、ニニキネさま縁りの花の吉祥ーと、喜びいさんですぐに使いを走らるが、、、。

ああ、、語るも涙のなんとも無情な。。。またしても梨のつぶて。

天は何故にこのような仕打ちをヒメに授けるのかー
御子らはニニキネさまの御子ーこれは否定しようもない真実なのに。
まだまだヒメがアマカミの后としての資格が授けられないというのか。。。?

しかし、屈することなく、ならばこれでもかとヒメはやおら、大胆にも果敢に生命を賭けた行動に打ってでられる。

それが記紀にもある一連の出来事ーと続くのだ。

◇◇◇

富士の裾野で空洞の室(ムロ)を作り、周囲を柴垣で囲む。
中からは土で隙間を埋め三つ子と共にこもり、火でもって恨みの穢れを祓おうとなさったのだろう。

ーパチパチ、炎が音を立て熱気とともにどんどん炎がムロヤを包む。
御子らの泣きわめく声?もがき苦しみ、必死で這い出そうとする。

まるで御子らを奪えるものならで奪ってみろーと、挑みかかるかのようなヒメの気迫。やがて、ひたすら直訴にも似た祈りは、天(アメ)に通じたのだろうか。ハラミ山(富士)の湖(コノシロイケ)のタツが現れ、水を吹きかけ火をなだめながら、御子らを順に出口に運んだとの不思議の記述もある。

騒ぎに気付いた人々が助けに来る。熱さで這い出してきた三人のお子ら、そして気を失うまでムロに居たアシツ-ヒメ。

もう、感服ー。

最早、いかなるものもヒメを穢すこともないだろう。アシツ-ヒメこそアマカミの后にふさわしいと、民々は祝福し喜びいさんで神輿に担ぎ、ハラミの宮へヒメを送り届けたという。

▼ 卯の花
Unohana1

アマテルさまとともに、一部始終の報告をうけられたニニキネさま。イセより海路でオキツまで、お迎えにこられる。
しかし、、あのような一連の騒動の後、はいーそうですかとそう易々とは問屋がおろさない。今度はヒメが、恋しいはずがいじけモードにスイッチ。男女の機微はまことにデリケート。じっくり時間を掛けた濃厚なお二人だけの時間ときっかけが必要か。

この辺りのにくいニニキネさまの演出とお心遣いが、見事な歌のやり取りに託され、ヤマトのひとの粋を感じます。そして、涙、涙のハッピーエンドのカタルシスとともに、原文を検証しながら、じっくり真名さんの解説で味わってくだされ。

そうそう、すっかり忘れていました、例のシロコのサクラ。

モチロン、三つ子の御子らが生まれた日から、ずっとずっと花が絶えることがないと人口に膾炙。この部分を真名さんのところから転載いたします。

この花よ咲けとシロコの櫻(7):『真名の日本巡礼』

サカオリ ミヤで、諸々の臣、タミを前にして、ニニキネ様のお話が始まりました。

▲ モロカミ キケヨ ワレ サキニ
  ハナオ カザシテ カゲ トホル
  コレ ヱナノ アヤ イミナ ナス ▲

「私は、コシクニで、梅の花を頭上にかざして旅をし、タカシマのササナミでは桜を手折りてかざし、ウカワで、卯の花をかざして通行した。

この時の、梅、櫻、卯の花が、アシツヒメ様の胞衣(ヱナ)に文様(アヤ)として写し出されたようだ。これこそ、三人の御子が真正のアマキミのヒツギである証明であろう。これにちなんで、三人の御子にイミナをつけよう。」

といったところでしょうか。
三人のお名前です。

▲ ハツニ テル ナハ ホノアカリ
  イミナ ムメヒト ▲

オキツ-ハマのウツムロで、最初に炎の中から這い出した子は、ホノアカリ様で、イミナをムメヒトとしました。

▲ ツキノ コ ハ ナモ ホノススミ
  サクラギ ゾ ▲

次子の名は、ホノススミとし、イミナをサクラギとしました。火が少し燃え進んでいたということですね。

▲ スエハ ナモヒコ ホオデミ ノ
  イミナ ウツギネ ▲

最後に這いだした子は、ヒコ ホオデミとし、イミナをウツギネとしました。「ヒコ」は「火子」でしょうし、ホオデミは、火がウツムロから出るのが見えたということでしょう。

▲ マタ ヒメハ コオ ウム ヒ ヨリ ハナ タエス
  ユエニ コノハナ サクヤヒメ ▲

これにちなんでアシツ-ヒメに、『コノハナサクヤ-ヒメ』という讃え名が送られたのだそうです。

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 子を産む日より 花 絶えず

 故に コノハナ サクヤ-ヒメ

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ヒメは、自らのお乳で御子を育てられ、コヤスカミ(子安カミ)とも称されました。

▼ 堂本印象『木華開耶媛』(1929年) 京都府立堂本印象美術館

1929_5

◇◇◇

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