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2010年10月

2010年10月 1日 (金)

海ゆかば、七生報国

 皇居外苑にそびえ立つ、『大楠公(だいなんこう)』こと皇国勤王の士『楠 正成』像。
楠公精神は、愛国の範として明治以降、広く国民に浸透したという。

「忠に生き、忠を貫き、忠に絶える」、日本武士道の原点とも。

 また、大日本史を編纂した徳川光圀は正成を忠臣の鑑として、吉田松陰が最も尊敬すべき人物と褒めたたえたという。

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 時は14世紀の鎌倉時代末期、歴史教科書でも習う『建武の新政』と『南北朝の動乱』。本格的武家政権が到来するも、ほんのわずかな期間、時計の針が戻ったかのような瞬間があった

 元寇以降、荒れ果てた治世を武家の手から天皇の元へ奪還しようと、後醍醐天皇の下に足利尊氏、新田義貞らとともに集結した楠正成は、智謀にすぐれた奇襲奇策で倒幕を率先す。
暫しの王政復古調。。。しかし、公家優先の政策は士族らに不満を抱かせ、もろくも時代の激流に打ち砕かれることになったのだ。

”タミのこころは、キミに背いている”

ー正成が武家らとの和睦を天皇へ進言するも却下。

 そして朝廷側に反旗を翻し、不満分子の武士らを率いた足利尊氏の反撃の狼煙に、負け戦さを覚悟しつつも不利な情勢の中で、最後まで朝廷側(南朝)について”キミ”への忠を貫き通した。

 『湊川の決戦』ー現在の神戸を舞台に繰り広げられた日本史上最大の激戦。京都入城を目指す足利氏の大軍を前に、一族郎党自刃して果てたという。

 そのラストの、弟・正季と刺し違える、かの、名シーン。正成は刀を当てながら、弟正季に最期の願いは何かと問いかけたという。

   正季:「七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい」(七生滅敵)

   正成:「いつかこの本懐(ほんかい=本来の望み。本望)を達せん」

〜 七 生 報 国 〜

何度生まれても、この国から授かった恩に報じたいー。
そして、楠公の精神を抱き、また、65年前も多くの命が祖国に殉じて散って行った。

*参考
南木・楠正成サイト
楠木正成と七生報国:ねずきちのひとりごと
『七生報国』
室町・南北朝年表

◇◇◇

 愛国ってなんだろうと、深く考えられる一節です。

 その後の歴史の流れを見ると、時代の天意はどちらにあったかは明らか。
尊氏が立てた北朝系の室町幕府を主舞台に、南北朝の対立〜南北融和したかと思えば、武人たちによる、とてつもないカオスな戦国時代の国取り物語へと突入していく。

Mix79048 愛国主義の patriotizm が、paternal (父性・父権的な)から派生するなら、戦国時代の愛国とはまさに、父権色の強い、後天的な個人の領土、財産を守るーの意味合いが強い。

 そこには拡張性(進出、侵略性)があっても不思議ではないし、また下克上や後の帝国主義、覇権主義と称されるような一種のパワー・オブ・バランスの弱肉強食世界が展開することも否定できないであろう。

 一方、故郷、祖国愛のような先天的性質を帯びる既得的権益は、民族主義的な結束、母系的集団を意味する。naturalizm、また母国語は、mother toungue 、母国はmother landとも表現する。

 しかし、多民族移民国家では、母権的な民族主義は御法度だが、父権的な愛国なら奨励される。何故なら、民族主義は民族対立を深刻化させ、国家分裂にも通じるからだ。

 極めて人為的に生成された人工国家には、自然発生的な母権的愛国心などあるわけもないだろう。また、言語、慣習を一とする民族主義が共和国や植民地からの独立の核となり、利用されたこともしばしばで、忌み嫌われるのも理解できる。

 また、特殊例をいうなら、2000年も世界を彷徨ったユダヤ人は、強烈な母権母性的愛国心(=シオニズム)に貫かれて、祖国奪還に成功した例なのではないだろうか ... ?

 このように愛国心の性質を母権-母性と、父権-父性のふたつの要素に分解すると、日本は、父権的愛国精神に導かれアジアに活路を見いだし進出し、母権的愛国精神で一億総火の玉となって祖国を守った希有な”くに”ーといえるのかもしれない。

 満州国の立国を持って日本の父権的権益が、アジアを植民地化した欧米諸国の父権的権益とぶつかり、そして戦争へと突入していったのだろう。

 戦前の日本をアーリア純血主義のドイツも羨む単一民族国家とすれば(朝鮮を合併していたけど)、守備においては、そりゃアメリカを悩ますほどに堅牢だっただろうとも思う。

◇◇◇

 さて、”くに”という概念にも、nation , state, country ,land etc. と何種類かの意味合いがあるようだ。

 統治領域を規定する領地的な国土を意味する”國”(state, country)が父権的な”くに”なら、故国を意味する”郷”(land?)が母権的な”くに”を意味する。

 ひとは、生まれ落ちた”くに”(=郷)に愛着や郷愁を抱き、成長するにつれ”くに”(=國)を意識してさまざまな営みを重ねていく。

Mishima_3 そしてもうひとつの”くに”が、日本には存在する。

 それが歴史的民族共同体としての”くに”であり、楠公が報いようとした”くに”でなかったのだろうか。

 それは第二の国歌ともいわれた『海ゆかば』〜の出典:万葉集にも歌われた”くに”の姿であり、領土という即物的な空間=”國”をも超える”くに”の概念だ。

 また個の故郷への憧憬をも超越する有機的な”くに”であり、更にいうなら、三島由紀夫の『憂国3部作」でも描かれたところのもの。

 恋にも似た、一方的な片思いのような不思議な感覚で結ばれた”クニ”であり、これは収斂してやがて”クニ”は、唯ひとつの”キミ”と同化する。

 そう、侍スピリッツ=武士道の原点とされる大楠公の精神とは、領地を功労の代償として結ばれた単なる、土地を媒介とした主従関係ではなかったんだろう。

”忠”とは、心の真ん中と綴る。
日本語の”国を愛する”の国という文字には、四角く囲んだ領土の真ん中に、玉が存在するのだ。

 玉とは何か、、、?

 問うまでもない。

玉の周囲をトミ(オミ)が囲む。トミ(オミ)の中心にキミが在る。

臣下と主君の関係とは、つまり”トミ・オミ(臣下)”が”キミ(玉)”を慕う、誠心誠意の私心のない”まごころ”〜忠の心を差し出すことなのではないのだろうか。

しかし、主が何故にそこまで尊いのかと問われれば、、、涙が出て来そうだ。

恩に報いる‥‥

この領地も故郷も”キミ”が与えしものならば...。
海に死すとも山に死すとも、朝な夕な、心は”キミ”の傍らで。

なんと信仰に似ているんだろう。
何度生まれ変わっても師弟の契りは永遠に、時空を超える。

Umi

◇◇◇

 さて尖閣問題。

 支那漁船船長の屈辱的な釈放に続き、日本人人質3人の解放。騒ぎの陰で支那のガス田の掘削開始、中露の連帯に北方領土に迫る露西亜の脅威、イランからの油田開発撤退。
どこもかしこも水漏れ状態、事態はますます混迷を極め、犬猫が空から大量に降ってきたかのような国難のど真ん中に置かれている。

 国を愛するとは、領土を守り故郷を守ることだけではない。
それはとどのつまり、日の丸を愛し、皇室を守ることでもあるとー。

我々の愛国心。日の丸を愛し、皇室を守るとは、、、。

現在の日本を守ろうと震い立つ心の源泉に、今ほど大楠公の精神が希求されることもないんだろうなと、つらつら考えこんでしまった。

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