君よ知るやヤマトの国

2010年10月 1日 (金)

海ゆかば、七生報国

 皇居外苑にそびえ立つ、『大楠公(だいなんこう)』こと皇国勤王の士『楠 正成』像。
楠公精神は、愛国の範として明治以降、広く国民に浸透したという。

「忠に生き、忠を貫き、忠に絶える」、日本武士道の原点とも。

 また、大日本史を編纂した徳川光圀は正成を忠臣の鑑として、吉田松陰が最も尊敬すべき人物と褒めたたえたという。

Maashige01


 時は14世紀の鎌倉時代末期、歴史教科書でも習う『建武の新政』と『南北朝の動乱』。本格的武家政権が到来するも、ほんのわずかな期間、時計の針が戻ったかのような瞬間があった

 元寇以降、荒れ果てた治世を武家の手から天皇の元へ奪還しようと、後醍醐天皇の下に足利尊氏、新田義貞らとともに集結した楠正成は、智謀にすぐれた奇襲奇策で倒幕を率先す。
暫しの王政復古調。。。しかし、公家優先の政策は士族らに不満を抱かせ、もろくも時代の激流に打ち砕かれることになったのだ。

”タミのこころは、キミに背いている”

ー正成が武家らとの和睦を天皇へ進言するも却下。

 そして朝廷側に反旗を翻し、不満分子の武士らを率いた足利尊氏の反撃の狼煙に、負け戦さを覚悟しつつも不利な情勢の中で、最後まで朝廷側(南朝)について”キミ”への忠を貫き通した。

 『湊川の決戦』ー現在の神戸を舞台に繰り広げられた日本史上最大の激戦。京都入城を目指す足利氏の大軍を前に、一族郎党自刃して果てたという。

 そのラストの、弟・正季と刺し違える、かの、名シーン。正成は刀を当てながら、弟正季に最期の願いは何かと問いかけたという。

   正季:「七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい」(七生滅敵)

   正成:「いつかこの本懐(ほんかい=本来の望み。本望)を達せん」

〜 七 生 報 国 〜

何度生まれても、この国から授かった恩に報じたいー。
そして、楠公の精神を抱き、また、65年前も多くの命が祖国に殉じて散って行った。

*参考
南木・楠正成サイト
楠木正成と七生報国:ねずきちのひとりごと
『七生報国』
室町・南北朝年表

◇◇◇

 愛国ってなんだろうと、深く考えられる一節です。

 その後の歴史の流れを見ると、時代の天意はどちらにあったかは明らか。
尊氏が立てた北朝系の室町幕府を主舞台に、南北朝の対立〜南北融和したかと思えば、武人たちによる、とてつもないカオスな戦国時代の国取り物語へと突入していく。

Mix79048 愛国主義の patriotizm が、paternal (父性・父権的な)から派生するなら、戦国時代の愛国とはまさに、父権色の強い、後天的な個人の領土、財産を守るーの意味合いが強い。

 そこには拡張性(進出、侵略性)があっても不思議ではないし、また下克上や後の帝国主義、覇権主義と称されるような一種のパワー・オブ・バランスの弱肉強食世界が展開することも否定できないであろう。

 一方、故郷、祖国愛のような先天的性質を帯びる既得的権益は、民族主義的な結束、母系的集団を意味する。naturalizm、また母国語は、mother toungue 、母国はmother landとも表現する。

 しかし、多民族移民国家では、母権的な民族主義は御法度だが、父権的な愛国なら奨励される。何故なら、民族主義は民族対立を深刻化させ、国家分裂にも通じるからだ。

 極めて人為的に生成された人工国家には、自然発生的な母権的愛国心などあるわけもないだろう。また、言語、慣習を一とする民族主義が共和国や植民地からの独立の核となり、利用されたこともしばしばで、忌み嫌われるのも理解できる。

 また、特殊例をいうなら、2000年も世界を彷徨ったユダヤ人は、強烈な母権母性的愛国心(=シオニズム)に貫かれて、祖国奪還に成功した例なのではないだろうか ... ?

 このように愛国心の性質を母権-母性と、父権-父性のふたつの要素に分解すると、日本は、父権的愛国精神に導かれアジアに活路を見いだし進出し、母権的愛国精神で一億総火の玉となって祖国を守った希有な”くに”ーといえるのかもしれない。

 満州国の立国を持って日本の父権的権益が、アジアを植民地化した欧米諸国の父権的権益とぶつかり、そして戦争へと突入していったのだろう。

 戦前の日本をアーリア純血主義のドイツも羨む単一民族国家とすれば(朝鮮を合併していたけど)、守備においては、そりゃアメリカを悩ますほどに堅牢だっただろうとも思う。

◇◇◇

 さて、”くに”という概念にも、nation , state, country ,land etc. と何種類かの意味合いがあるようだ。

 統治領域を規定する領地的な国土を意味する”國”(state, country)が父権的な”くに”なら、故国を意味する”郷”(land?)が母権的な”くに”を意味する。

 ひとは、生まれ落ちた”くに”(=郷)に愛着や郷愁を抱き、成長するにつれ”くに”(=國)を意識してさまざまな営みを重ねていく。

Mishima_3 そしてもうひとつの”くに”が、日本には存在する。

 それが歴史的民族共同体としての”くに”であり、楠公が報いようとした”くに”でなかったのだろうか。

 それは第二の国歌ともいわれた『海ゆかば』〜の出典:万葉集にも歌われた”くに”の姿であり、領土という即物的な空間=”國”をも超える”くに”の概念だ。

 また個の故郷への憧憬をも超越する有機的な”くに”であり、更にいうなら、三島由紀夫の『憂国3部作」でも描かれたところのもの。

 恋にも似た、一方的な片思いのような不思議な感覚で結ばれた”クニ”であり、これは収斂してやがて”クニ”は、唯ひとつの”キミ”と同化する。

 そう、侍スピリッツ=武士道の原点とされる大楠公の精神とは、領地を功労の代償として結ばれた単なる、土地を媒介とした主従関係ではなかったんだろう。

”忠”とは、心の真ん中と綴る。
日本語の”国を愛する”の国という文字には、四角く囲んだ領土の真ん中に、玉が存在するのだ。

 玉とは何か、、、?

 問うまでもない。

玉の周囲をトミ(オミ)が囲む。トミ(オミ)の中心にキミが在る。

臣下と主君の関係とは、つまり”トミ・オミ(臣下)”が”キミ(玉)”を慕う、誠心誠意の私心のない”まごころ”〜忠の心を差し出すことなのではないのだろうか。

しかし、主が何故にそこまで尊いのかと問われれば、、、涙が出て来そうだ。

恩に報いる‥‥

この領地も故郷も”キミ”が与えしものならば...。
海に死すとも山に死すとも、朝な夕な、心は”キミ”の傍らで。

なんと信仰に似ているんだろう。
何度生まれ変わっても師弟の契りは永遠に、時空を超える。

Umi

◇◇◇

 さて尖閣問題。

 支那漁船船長の屈辱的な釈放に続き、日本人人質3人の解放。騒ぎの陰で支那のガス田の掘削開始、中露の連帯に北方領土に迫る露西亜の脅威、イランからの油田開発撤退。
どこもかしこも水漏れ状態、事態はますます混迷を極め、犬猫が空から大量に降ってきたかのような国難のど真ん中に置かれている。

 国を愛するとは、領土を守り故郷を守ることだけではない。
それはとどのつまり、日の丸を愛し、皇室を守ることでもあるとー。

我々の愛国心。日の丸を愛し、皇室を守るとは、、、。

現在の日本を守ろうと震い立つ心の源泉に、今ほど大楠公の精神が希求されることもないんだろうなと、つらつら考えこんでしまった。

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2010年3月12日 (金)

木の花咲けよと 弥生の空に・・・

3月3日のお雛さまも過ぎ、ぐんぐん気配も春めいて来た。

梅の季節が終わり、桃の節句、あとは桜の季節を待つばかり。
道すがらの沈丁花の匂いにふと足を止め、次々と蕾をつけては開花し移り行くさまに否応なく新しい季節の到来に気付かされる‥‥。
もしかしたらこの初春の木の花を愛でることにより、日本人が一年を通して一番優しくなれる季節かもしれない。

Sakura_2

桜といえば、日本神話に有名な話がある。
天孫ニニギノ尊(ミコト)の后となられた、桜のように美しい『コノハナサクヤ-ヒメ』(木花開耶・木花咲耶、当て字いろいろ)さま。

九州は日向の高千穂の峰に降臨したニニギノさまに見初められ、一夜で身籠ったはいいが、その胤の不実を疑われ、身の潔白を命を賭して証明されたという、あ・の、お話。
身重のヒメは自ら出口を塞いだ室屋(ムロヤ)にこもり、火を放つ。そして天に向かって誓願ー。

「もしも自分に非があるというなら、
このまま皆、炎にまかれ息絶えるであろう。
しかし、お腹の子がニニギノさまの子であるならー、、、、!!!」

ヒメはその時に三つ子をお産みになり、炎の中から、順次、おコらが這い出る。炎の中から生まれでた三つ子のうちのおふた方は、その後の海幸山幸‥‥と。(続く)

また、記紀に云う。

Ashituコノハナサクヤ-ヒメは、地元(火山地帯)の豪族”オオヤマツミ”(大山祇神)の次女。姉に正反対の容姿の(要するに醜女)、イワナガ-ヒメがおられた。
ニニギノさまとヒメは、ひと目で相愛になられたが、姉と妹をセットでーとのオオヤマツミの薦めを断る。よって、永遠の寿命を得られるイワナガ-ヒメを拒絶したがために、人間の寿命は花のようにはかなく有限になったという云々、、、。

う〜ん、、またぞろどこぞの外国の神話伝承からの借り物のような、とってつけたような説教付き。
ここからも当時の作者の、恣意的な意地悪な創作を感じてしまう。

だってこれ今風に読めば、高貴な身分の男にもてあそばれたオボコ女が、身重のまま捨てられそうになったので逆上し、赤ん坊まきぞえて狂言自殺ーで最後は、気迫と根性で勝利〜〜!?!
さらに天孫といえど色香を選び、その愚かな(?)選択故に人間味を帯びてしまったとー?

。。。。。。

ではこの神話のエピソードの歴史的真相をヲシテ文献に頼めばー、これまた、情緒たっぷりにアマカミ(スヘラギ)の意義と覚悟、ヤマトナデシコの雛型ともいうべき、一途で献身、清純、篤き信仰、そして毅然とした意志の強さと使命の自覚等、天(アメ)の徴しの不思議を肌理こまやかな伏線と正確な地理情報も携え伝えているのだ。

原文での忠実な味わいはヲシテ専門サイトでじっくりしていただくことにして、しばし、筋書きだけでもすべての日本人に知っておいていただきたい。日本人と桜を結ぶ、切っても切れないその縁しに感嘆せざるをえない、余りにも美しい、いち押しの歴史のエピソードであるからである。

◇◇◇

まずは予備知識として当時の背景を。

【時代背景】

◯ ニニギノさまのご本名は、ニニキネさま。
  コノハナサクヤ-ヒメは、アシツ-ヒメさま。(以後、こちらに統一)

◯ 時代は、8代アマカミ=アマテルさまがまだご存命の頃。
(おそらく3000年前、紀元前1000年頃?の縄文と弥生時代の端境期)

この時代のアマカミ(スヘラギ)は本拠地となる宮を開かれながらも、自ら各地に行幸され、民を直接啓蒙・技術指導(主に農耕)されている。いかに民を富ませ治安を守るかー政りごとによって聞こえ高く信任を得ていかれた。

◯ 稲作も低湿地での水田耕作の全国普及。人口増加が著しく社会構造にも劇的な変化。
それに伴いアマテルさまがなされたさまざまな社会改革には、税制の導入、刑法、暦の改良・水陸交通網の整備などなど。アマテルさまのご威光は列島全体に響きわたる絶大なものなり、中央集権国家がほぼ完成されていた。

◯ アマテルさまは現役時代の後半に政庁(宮)をハラミ(富士山)の宮から、志摩のイサワ(伊雑)に遷宮。ご引退後はイセの宮(現在の伊勢神宮)にて精神的導師としてご活躍。

◯ 息子の9代アマカミ=オシホミミさまは、ヒタカミ(宮城・東北地方)に宮を開かれている。
そして10代は、ご長男のホノアカリさまと、弟君のニニキネさまの、お二人のアマカミ時代である。

◯ アマカミふたりの擁立は、ニニキネさまのご威徳とご活躍が余りにも傑出されていたための異例の措置。ホノアカリさまは既に即位され、ナカクニ(奈良)に宮を開かれていた。(ニニキネさまは祖父であるアマテルさまから、特別に三種神器が授与)。以降、ニニキネさまに皇統が受け継がれていく。

◯ ニニキネさまは、まずは東国(つくば)のニイハリに宮を置き、高台での灌漑技術に成功。
その後、アマテルさまから八洲巡りのご許可が下り、新しい新田開発の技術を以て、春、梅の季節に全国御幸を開始。
(後にアマテルさま時代の前半に都のあった富士に再び、遷宮。富士裾野一帯を開墾される。富士のハラミ宮は、ホツマ(東国・関東〜東海地方)のクニの中心)

◯ 近畿〜北陸〜紀伊東海地方と廻られ、梅、桜、卯の花と季節も楽しまれる。この途中、ニニキネさまと、琵琶湖西岸にてサルタヒコさまとの出会いがある。
(サルタヒコさまは、琵琶湖周辺を本拠地とする初代アマカミ-クニトコタチさまからの別系統の直系)

サルタヒコ:天狗のモデル、ニニギ尊の道案内役とされた。
ニニギ尊の使いのウズメと恋仲になり、夫婦となる。

Saruta

◯ アシツ-ヒメさまは、伊豆の三島を本拠地とする名家・国守護オオヤマスミ(大山祇)の次女。姉上にイワナガ-ヒメさまがおられる。

おふたりの運命的な出会いは、大嘗祭(オオナメエ)のためにツクバのニイハリの宮にお戻りになる途中の、富士のハラミの宮での出来事である。

◇◇◇

オオヤマスミが取り仕切った富士山麓のサカオリの宮(酒折?)での、大々的な祝宴(ミアエ)。

前日、キミは信濃からハラミ山に登り国見をされ、裾野の湖に湛えられた豊富な水を用い、20年がかりでこの一帯を輝く瑞穂の田に変えようとと大いなる希望に満ちあふれていたそうな。
ニニキネさまとアシツ-ヒメの一夜の契りも、それはそれは運命的なものだったに違いない。

▼ハラミやま(富士山)
Sakura02

その後、ツクバの宮で無事、大嘗祭をすまされたニニキネさまは、ふたたびハラミの宮を訪れた折、アシツ-ヒメのご懐妊を知らされる。

アシツ-ヒメは后として、ご長老のアマテルさまがおわすイセ(伊勢)へ向かうことになるが、これに便乗し、こっそりイワナガ-ヒメをあしらったのは、オオヤマスミの妻(アシツの母)タキコさま。

アシツ-ヒメさまのご懐妊中を狙っての誘惑ー?(エロ、、)
姉妹セットで玉の輿〜というのも見え見え。

しかし、母上のタキコさま。
申し出をニニキネさまに拒絶された挙げ句、出過ぎた行為と夫からこっぴどく叱咤を受け、逆恨み。
そもそもこれが、アシツ-ヒメさま受難の発端だった。

「アマカミのお胤でないー」という、とんでも噂を流したのは、なんとあろうことか母上のタキコさまだったとは、、、、!!
この部分は一切、記紀では語られていない。

富士本宮浅間大社:ハラミ宮はこんな感じ?
Fujiasama

この噂をニニキネさまが耳にされたのは、お二人がイセに向かわれる道中の、シロコの舎でのことだった。

例えアマカミであろうと自分のコだと確信持てないのは男性のサガか?
いくらアマテルさまの御孫(天孫)とはいえ、たった一夜の契りで簡単にお子を授かるものかーとか、アマカミの后となる方に口さがない不埒な噂の穢れ、しかも生まれてくるのは皇子というお立場、もし心ない人々がそれを利用して将来、世の中の混乱を謀ることも、、、とかとか。

また、大尊敬する祖父のアマテルさまのご誕生は、それはそれは劇的なものだったことも思い起こされる。長くお子のできなかった7代アマカミのイサナギさまと、イサナミさま。
現在のご皇室を見てもわかりますが、次世代に皇統を繋ぐとはアマカミの神聖なる大きな仕事のひとつ。

時代の大変遷期の混乱の世を救う、民を幸福に導くアマキミの誕生を祈願し、ご老体の外祖父のトヨケさまが命を掛け8000日連続参拝をなさり、またイサナギさまご自身も、何日も何日もハラミ山(富士)に登り、血を流すような祈願の末に授かったアマキミが、アマテルさまだったとか。

一般民衆のお子だって、犬や猫がコを産むのとはワケが違う。
ましてやアマキミとなれば、”ヒ-ツギミコ”!!
初代アマカミ=クニトコタチさまの理念を受け継ぐ、民を富ませ幸福に導く大きな、それほど大きな使命と責任を背負う、無私なるヲヲヤケの、アマキミとなる存在ー。
授かる側も、それなりの気概と覚悟が必要とされるのだろう。

ニニキネさまは逡巡し、夜半にひとりイセに向かわれることを決意され出発。

Palace

目覚めてひとり残されたことに気付いた身重のヒメはすぐに後を追いかけるが、マツサカでお付きの者にせき止められ、シロコに戻される。

イセ入りの拒絶。何故ー?

理解不能の全くの晴天の霹靂。

ーが、ようやくすべてが母の謀り事だと悟ったヒメは愕然としながらも、己れににふりかかった恨みの穢れ(恥)をすすごうと、誓い(ウケイ)を立てる。だってお腹のコはアマキミーと、何がどう穢そうと、女性なら天地神妙に誓い100%の確信を持てるだろ。

ふと見ると、シロコの宿にはサクラの樹がある。
サクラは昔から、”メオト(イセ)のミチ”を映す力があり、祀りごとを占う橘の樹とともに宮にいつも植えられていたそうな。

ヒメはおもむろにその桜の樹から苗木を取りて植え、全身全霊をかけて、こう願掛けをされる。

▼ サクラ
Sakur3

◎frm.ホツマツタエ 地ノ巻24  コエクニ ハラミヤマノアヤ

●-----------------------------------------------

  サクラ イ アラバ  ワガ ハラミ

  アダタネ ナラバ   ハナ シホメ

  マサタネ ナラバ   ウム トキニ

  サケ ト チカヒテ  ココニ ウヱ

  サトニ カエマス

●-----------------------------------------------

 「サクラよ サクラ

  もしもアメ(天・宇宙の根源、摂理)のイ(意)あらば、聞いておくれ

  もしもお腹のコが、徒胤ならば、花 しぼめばいい 

  でもおまえも アマカミの御子だと この真実を知るのなら、

  サクラよ サクラ 産む時に

  めいいっぱいに花開き これを祝福しておくれ」(意訳)

▼梅(古名:ムメ)
Ume

数ヶ月後、月が満ちてヒメは、三島の実家にて三つ子をご出産。

それが不思議なことに、お子らの胞衣(エナ)には、梅・さくら・卯の花の模様が浮かび上がったという。これもまた、ニニキネさま縁りの花の吉祥ーと、喜びいさんですぐに使いを走らるが、、、。

ああ、、語るも涙のなんとも無情な。。。またしても梨のつぶて。

天は何故にこのような仕打ちをヒメに授けるのかー
御子らはニニキネさまの御子ーこれは否定しようもない真実なのに。
まだまだヒメがアマカミの后としての資格が授けられないというのか。。。?

しかし、屈することなく、ならばこれでもかとヒメはやおら、大胆にも果敢に生命を賭けた行動に打ってでられる。

それが記紀にもある一連の出来事ーと続くのだ。

◇◇◇

富士の裾野で空洞の室(ムロ)を作り、周囲を柴垣で囲む。
中からは土で隙間を埋め三つ子と共にこもり、火でもって恨みの穢れを祓おうとなさったのだろう。

ーパチパチ、炎が音を立て熱気とともにどんどん炎がムロヤを包む。
御子らの泣きわめく声?もがき苦しみ、必死で這い出そうとする。

まるで御子らを奪えるものならで奪ってみろーと、挑みかかるかのようなヒメの気迫。やがて、ひたすら直訴にも似た祈りは、天(アメ)に通じたのだろうか。ハラミ山(富士)の湖(コノシロイケ)のタツが現れ、水を吹きかけ火をなだめながら、御子らを順に出口に運んだとの不思議の記述もある。

騒ぎに気付いた人々が助けに来る。熱さで這い出してきた三人のお子ら、そして気を失うまでムロに居たアシツ-ヒメ。

もう、感服ー。

最早、いかなるものもヒメを穢すこともないだろう。アシツ-ヒメこそアマカミの后にふさわしいと、民々は祝福し喜びいさんで神輿に担ぎ、ハラミの宮へヒメを送り届けたという。

▼ 卯の花
Unohana1

アマテルさまとともに、一部始終の報告をうけられたニニキネさま。イセより海路でオキツまで、お迎えにこられる。
しかし、、あのような一連の騒動の後、はいーそうですかとそう易々とは問屋がおろさない。今度はヒメが、恋しいはずがいじけモードにスイッチ。男女の機微はまことにデリケート。じっくり時間を掛けた濃厚なお二人だけの時間ときっかけが必要か。

この辺りのにくいニニキネさまの演出とお心遣いが、見事な歌のやり取りに託され、ヤマトのひとの粋を感じます。そして、涙、涙のハッピーエンドのカタルシスとともに、原文を検証しながら、じっくり真名さんの解説で味わってくだされ。

そうそう、すっかり忘れていました、例のシロコのサクラ。

モチロン、三つ子の御子らが生まれた日から、ずっとずっと花が絶えることがないと人口に膾炙。この部分を真名さんのところから転載いたします。

この花よ咲けとシロコの櫻(7):『真名の日本巡礼』

サカオリ ミヤで、諸々の臣、タミを前にして、ニニキネ様のお話が始まりました。

▲ モロカミ キケヨ ワレ サキニ
  ハナオ カザシテ カゲ トホル
  コレ ヱナノ アヤ イミナ ナス ▲

「私は、コシクニで、梅の花を頭上にかざして旅をし、タカシマのササナミでは桜を手折りてかざし、ウカワで、卯の花をかざして通行した。

この時の、梅、櫻、卯の花が、アシツヒメ様の胞衣(ヱナ)に文様(アヤ)として写し出されたようだ。これこそ、三人の御子が真正のアマキミのヒツギである証明であろう。これにちなんで、三人の御子にイミナをつけよう。」

といったところでしょうか。
三人のお名前です。

▲ ハツニ テル ナハ ホノアカリ
  イミナ ムメヒト ▲

オキツ-ハマのウツムロで、最初に炎の中から這い出した子は、ホノアカリ様で、イミナをムメヒトとしました。

▲ ツキノ コ ハ ナモ ホノススミ
  サクラギ ゾ ▲

次子の名は、ホノススミとし、イミナをサクラギとしました。火が少し燃え進んでいたということですね。

▲ スエハ ナモヒコ ホオデミ ノ
  イミナ ウツギネ ▲

最後に這いだした子は、ヒコ ホオデミとし、イミナをウツギネとしました。「ヒコ」は「火子」でしょうし、ホオデミは、火がウツムロから出るのが見えたということでしょう。

▲ マタ ヒメハ コオ ウム ヒ ヨリ ハナ タエス
  ユエニ コノハナ サクヤヒメ ▲

これにちなんでアシツ-ヒメに、『コノハナサクヤ-ヒメ』という讃え名が送られたのだそうです。

●-----------------------------------------------

 子を産む日より 花 絶えず

 故に コノハナ サクヤ-ヒメ

●-----------------------------------------------

ヒメは、自らのお乳で御子を育てられ、コヤスカミ(子安カミ)とも称されました。

▼ 堂本印象『木華開耶媛』(1929年) 京都府立堂本印象美術館

1929_5

◇◇◇

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木の花咲けよと 弥生の空に・・・

3月3日のお雛さまも過ぎ、ぐんぐん気配も春めいて来た。

梅の季節が終わり、桃の節句、あとは桜の季節を待つばかり。
道すがらの沈丁花の匂いにふと足を止め、次々と蕾をつけては開花し移り行くさまに否応なく新しい季節の到来に気付かされる‥‥。
もしかしたらこの初春の木の花を愛でることにより、日本人が一年を通して一番優しくなれる季節かもしれない。

Sakura_2

桜といえば、日本神話に有名な話がある。
天孫ニニギノ尊(ミコト)の后となられた、桜のように美しい『コノハナサクヤ-ヒメ』(木花開耶・木花咲耶、当て字いろいろ)さま。

九州は日向の高千穂の峰に降臨したニニギノさまに見初められ、一夜で身籠ったはいいが、その胤の不実を疑われ、身の潔白を命を賭して証明されたという、あ・の、お話。
身重のヒメは自ら出口を塞いだ室屋(ムロヤ)にこもり、火を放つ。そして天に向かって誓願ー。

「もしも自分に非があるというなら、
このまま皆、炎にまかれ息絶えるであろう。
しかし、お腹の子がニニギノさまの子であるならー、、、、!!!」

ヒメはその時に三つ子をお産みになり、炎の中から、順次、おコらが這い出る。炎の中から生まれでた三つ子のうちのおふた方は、その後の海幸山幸‥‥と。(続く)

また、記紀に云う。

Ashituコノハナサクヤ-ヒメは、地元(火山地帯)の豪族”オオヤマツミ”(大山祇神)の次女。姉に正反対の容姿の(要するに醜女)、イワナガ-ヒメがおられた。
ニニギノさまとヒメは、ひと目で相愛になられたが、姉と妹をセットでーとのオオヤマツミの薦めを断る。よって、永遠の寿命を得られるイワナガ-ヒメを拒絶したがために、人間の寿命は花のようにはかなく有限になったという云々、、、。

う〜ん、、またぞろどこぞの外国の神話伝承からの借り物のような、とってつけたような説教付き。
ここからも当時の作者の、恣意的な意地悪な創作を感じてしまう。

だってこれ今風に読めば、高貴な身分の男にもてあそばれたオボコ女が、身重のまま捨てられそうになったので逆上し、赤ん坊まきぞえて狂言自殺ーで最後は、気迫と根性で勝利〜〜!?!
さらに天孫といえど色香を選び、その愚かな(?)選択故に人間味を帯びてしまったとー?

。。。。。。

ではこの神話のエピソードの歴史的真相をヲシテ文献に頼めばー、これまた、情緒たっぷりにアマカミ(スヘラギ)の意義と覚悟、ヤマトナデシコの雛型ともいうべき、一途で献身、清純、篤き信仰、そして毅然とした意志の強さと使命の自覚等、天(アメ)の徴しの不思議を肌理こまやかな伏線と正確な地理情報も携え伝えているのだ。

原文での忠実な味わいはヲシテ専門サイトでじっくりしていただくことにして、しばし、筋書きだけでもすべての日本人に知っておいていただきたい。日本人と桜を結ぶ、切っても切れないその縁しに感嘆せざるをえない、余りにも美しい、いち押しの歴史のエピソードであるからである。

◇◇◇

まずは予備知識として当時の背景を。

【時代背景】

◯ ニニギノさまのご本名は、ニニキネさま。
  コノハナサクヤ-ヒメは、アシツ-ヒメさま。(以後、こちらに統一)

◯ 時代は、8代アマカミ=アマテルさまがまだご存命の頃。
(おそらく3000年前、紀元前1000年頃?の縄文と弥生時代の端境期)

この時代のアマカミ(スヘラギ)は本拠地となる宮を開かれながらも、自ら各地に行幸され、民を直接啓蒙・技術指導(主に農耕)されている。いかに民を富ませ治安を守るかー政りごとによって聞こえ高く信任を得ていかれた。

◯ 稲作も低湿地での水田耕作の全国普及。人口増加が著しく社会構造にも劇的な変化。
それに伴いアマテルさまがなされたさまざまな社会改革には、税制の導入、刑法、暦の改良・水陸交通網の整備などなど。アマテルさまのご威光は列島全体に響きわたる絶大なものなり、中央集権国家がほぼ完成されていた。

◯ アマテルさまは現役時代の後半に政庁(宮)をハラミ(富士山)の宮から、志摩のイサワ(伊雑)に遷宮。ご引退後はイセの宮(現在の伊勢神宮)にて精神的導師としてご活躍。

◯ 息子の9代アマカミ=オシホミミさまは、ヒタカミ(宮城・東北地方)に宮を開かれている。
そして10代は、ご長男のホノアカリさまと、弟君のニニキネさまの、お二人のアマカミ時代である。

◯ アマカミふたりの擁立は、ニニキネさまのご威徳とご活躍が余りにも傑出されていたための異例の措置。ホノアカリさまは既に即位され、ナカクニ(奈良)に宮を開かれていた。(ニニキネさまは祖父であるアマテルさまから、特別に三種神器が授与)。以降、ニニキネさまに皇統が受け継がれていく。

◯ ニニキネさまは、まずは東国(つくば)のニイハリに宮を置き、高台での灌漑技術に成功。
その後、アマテルさまから八洲巡りのご許可が下り、新しい新田開発の技術を以て、春、梅の季節に全国御幸を開始。
(後にアマテルさま時代の前半に都のあった富士に再び、遷宮。富士裾野一帯を開墾される。富士のハラミ宮は、ホツマ(東国・関東〜東海地方)のクニの中心)

◯ 近畿〜北陸〜紀伊東海地方と廻られ、梅、桜、卯の花と季節も楽しまれる。この途中、ニニキネさまと、琵琶湖西岸にてサルタヒコさまとの出会いがある。
(サルタヒコさまは、琵琶湖周辺を本拠地とする初代アマカミ-クニトコタチさまからの別系統の直系)

サルタヒコ:天狗のモデル、ニニギ尊の道案内役とされた。
ニニギ尊の使いのウズメと恋仲になり、夫婦となる。

Saruta

◯ アシツ-ヒメさまは、伊豆の三島を本拠地とする名家・国守護オオヤマスミ(大山祇)の次女。姉上にイワナガ-ヒメさまがおられる。

おふたりの運命的な出会いは、大嘗祭(オオナメエ)のためにツクバのニイハリの宮にお戻りになる途中の、富士のハラミの宮での出来事である。

◇◇◇

オオヤマスミが取り仕切った富士山麓のサカオリの宮(酒折?)での、大々的な祝宴(ミアエ)。

前日、キミは信濃からハラミ山に登り国見をされ、裾野の湖に湛えられた豊富な水を用い、20年がかりでこの一帯を輝く瑞穂の田に変えようとと大いなる希望に満ちあふれていたそうな。
ニニキネさまとアシツ-ヒメの一夜の契りも、それはそれは運命的なものだったに違いない。

▼ハラミやま(富士山)
Sakura02

その後、ツクバの宮で無事、大嘗祭をすまされたニニキネさまは、ふたたびハラミの宮を訪れた折、アシツ-ヒメのご懐妊を知らされる。

アシツ-ヒメは后として、ご長老のアマテルさまがおわすイセ(伊勢)へ向かうことになるが、これに便乗し、こっそりイワナガ-ヒメをあしらったのは、オオヤマスミの妻(アシツの母)タキコさま。

アシツ-ヒメさまのご懐妊中を狙っての誘惑ー?(エロ、、)
姉妹セットで玉の輿〜というのも見え見え。

しかし、母上のタキコさま。
申し出をニニキネさまに拒絶された挙げ句、出過ぎた行為と夫からこっぴどく叱咤を受け、逆恨み。
そもそもこれが、アシツ-ヒメさま受難の発端だった。

「アマカミのお胤でないー」という、とんでも噂を流したのは、なんとあろうことか母上のタキコさまだったとは、、、、!!
この部分は一切、記紀では語られていない。

富士本宮浅間大社:ハラミ宮はこんな感じ?
Fujiasama

この噂をニニキネさまが耳にされたのは、お二人がイセに向かわれる道中の、シロコの舎でのことだった。

例えアマカミであろうと自分のコだと確信持てないのは男性のサガか?
いくらアマテルさまの御孫(天孫)とはいえ、たった一夜の契りで簡単にお子を授かるものかーとか、アマカミの后となる方に口さがない不埒な噂の穢れ、しかも生まれてくるのは皇子というお立場、もし心ない人々がそれを利用して将来、世の中の混乱を謀ることも、、、とかとか。

また、大尊敬する祖父のアマテルさまのご誕生は、それはそれは劇的なものだったことも思い起こされる。長くお子のできなかった7代アマカミのイサナギさまと、イサナミさま。
現在のご皇室を見てもわかりますが、次世代に皇統を繋ぐとはアマカミの神聖なる大きな仕事のひとつ。

時代の大変遷期の混乱の世を救う、民を幸福に導くアマキミの誕生を祈願し、ご老体の外祖父のトヨケさまが命を掛け8000日連続参拝をなさり、またイサナギさまご自身も、何日も何日もハラミ山(富士)に登り、血を流すような祈願の末に授かったアマキミが、アマテルさまだったとか。

一般民衆のお子だって、犬や猫がコを産むのとはワケが違う。
ましてやアマキミとなれば、”ヒ-ツギミコ”!!
初代アマカミ=クニトコタチさまの理念を受け継ぐ、民を富ませ幸福に導く大きな、それほど大きな使命と責任を背負う、無私なるヲヲヤケの、アマキミとなる存在ー。
授かる側も、それなりの気概と覚悟が必要とされるのだろう。

ニニキネさまは逡巡し、夜半にひとりイセに向かわれることを決意され出発。

Palace

目覚めてひとり残されたことに気付いた身重のヒメはすぐに後を追いかけるが、マツサカでお付きの者にせき止められ、シロコに戻される。

イセ入りの拒絶。何故ー?

理解不能の全くの晴天の霹靂。

ーが、ようやくすべてが母の謀り事だと悟ったヒメは愕然としながらも、己れににふりかかった恨みの穢れ(恥)をすすごうと、誓い(ウケイ)を立てる。だってお腹のコはアマキミーと、何がどう穢そうと、女性なら天地神妙に誓い100%の確信を持てるだろ。

ふと見ると、シロコの宿にはサクラの樹がある。
サクラは昔から、”メオト(イセ)のミチ”を映す力があり、祀りごとを占う橘の樹とともに宮にいつも植えられていたそうな。

ヒメはおもむろにその桜の樹から苗木を取りて植え、全身全霊をかけて、こう願掛けをされる。

▼ サクラ
Sakur3

◎frm.ホツマツタエ 地ノ巻24  コエクニ ハラミヤマノアヤ

●-----------------------------------------------

  サクラ イ アラバ  ワガ ハラミ

  アダタネ ナラバ   ハナ シホメ

  マサタネ ナラバ   ウム トキニ

  サケ ト チカヒテ  ココニ ウヱ

  サトニ カエマス

●-----------------------------------------------

 「サクラよ サクラ

  もしもアメ(天・宇宙の根源、摂理)のイ(意)あらば、聞いておくれ

  もしもお腹のコが、徒胤ならば、花 しぼめばいい 

  でもおまえも アマカミの御子だと この真実を知るのなら、

  サクラよ サクラ 産む時に

  めいいっぱいに花開き これを祝福しておくれ」(意訳)

▼梅(古名:ムメ)
Ume

数ヶ月後、月が満ちてヒメは、三島の実家にて三つ子をご出産。

それが不思議なことに、お子らの胞衣(エナ)には、梅・さくら・卯の花の模様が浮かび上がったという。これもまた、ニニキネさま縁りの花の吉祥ーと、喜びいさんですぐに使いを走らるが、、、。

ああ、、語るも涙のなんとも無情な。。。またしても梨のつぶて。

天は何故にこのような仕打ちをヒメに授けるのかー
御子らはニニキネさまの御子ーこれは否定しようもない真実なのに。
まだまだヒメがアマカミの后としての資格が授けられないというのか。。。?

しかし、屈することなく、ならばこれでもかとヒメはやおら、大胆にも果敢に生命を賭けた行動に打ってでられる。

それが記紀にもある一連の出来事ーと続くのだ。

◇◇◇

富士の裾野で空洞の室(ムロ)を作り、周囲を柴垣で囲む。
中からは土で隙間を埋め三つ子と共にこもり、火でもって恨みの穢れを祓おうとなさったのだろう。

ーパチパチ、炎が音を立て熱気とともにどんどん炎がムロヤを包む。
御子らの泣きわめく声?もがき苦しみ、必死で這い出そうとする。

まるで御子らを奪えるものならで奪ってみろーと、挑みかかるかのようなヒメの気迫。やがて、ひたすら直訴にも似た祈りは、天(アメ)に通じたのだろうか。ハラミ山(富士)の湖(コノシロイケ)のタツが現れ、水を吹きかけ火をなだめながら、御子らを順に出口に運んだとの不思議の記述もある。

騒ぎに気付いた人々が助けに来る。熱さで這い出してきた三人のお子ら、そして気を失うまでムロに居たアシツ-ヒメ。

もう、感服ー。

最早、いかなるものもヒメを穢すこともないだろう。アシツ-ヒメこそアマカミの后にふさわしいと、民々は祝福し喜びいさんで神輿に担ぎ、ハラミの宮へヒメを送り届けたという。

▼ 卯の花
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アマテルさまとともに、一部始終の報告をうけられたニニキネさま。イセより海路でオキツまで、お迎えにこられる。
しかし、、あのような一連の騒動の後、はいーそうですかとそう易々とは問屋がおろさない。今度はヒメが、恋しいはずがいじけモードにスイッチ。男女の機微はまことにデリケート。じっくり時間を掛けた濃厚なお二人だけの時間ときっかけが必要か。

この辺りのにくいニニキネさまの演出とお心遣いが、見事な歌のやり取りに託され、ヤマトのひとの粋を感じます。そして、涙、涙のハッピーエンドのカタルシスとともに、原文を検証しながら、じっくり真名さんの解説で味わってくだされ。

そうそう、すっかり忘れていました、例のシロコのサクラ。

モチロン、三つ子の御子らが生まれた日から、ずっとずっと花が絶えることがないと人口に膾炙。この部分を真名さんのところから転載いたします。

この花よ咲けとシロコの櫻(7):『真名の日本巡礼』

サカオリ ミヤで、諸々の臣、タミを前にして、ニニキネ様のお話が始まりました。

▲ モロカミ キケヨ ワレ サキニ
  ハナオ カザシテ カゲ トホル
  コレ ヱナノ アヤ イミナ ナス ▲

「私は、コシクニで、梅の花を頭上にかざして旅をし、タカシマのササナミでは桜を手折りてかざし、ウカワで、卯の花をかざして通行した。

この時の、梅、櫻、卯の花が、アシツヒメ様の胞衣(ヱナ)に文様(アヤ)として写し出されたようだ。これこそ、三人の御子が真正のアマキミのヒツギである証明であろう。これにちなんで、三人の御子にイミナをつけよう。」

といったところでしょうか。
三人のお名前です。

▲ ハツニ テル ナハ ホノアカリ
  イミナ ムメヒト ▲

オキツ-ハマのウツムロで、最初に炎の中から這い出した子は、ホノアカリ様で、イミナをムメヒトとしました。

▲ ツキノ コ ハ ナモ ホノススミ
  サクラギ ゾ ▲

次子の名は、ホノススミとし、イミナをサクラギとしました。火が少し燃え進んでいたということですね。

▲ スエハ ナモヒコ ホオデミ ノ
  イミナ ウツギネ ▲

最後に這いだした子は、ヒコ ホオデミとし、イミナをウツギネとしました。「ヒコ」は「火子」でしょうし、ホオデミは、火がウツムロから出るのが見えたということでしょう。

▲ マタ ヒメハ コオ ウム ヒ ヨリ ハナ タエス
  ユエニ コノハナ サクヤヒメ ▲

これにちなんでアシツ-ヒメに、『コノハナサクヤ-ヒメ』という讃え名が送られたのだそうです。

●-----------------------------------------------

 子を産む日より 花 絶えず

 故に コノハナ サクヤ-ヒメ

●-----------------------------------------------

ヒメは、自らのお乳で御子を育てられ、コヤスカミ(子安カミ)とも称されました。

▼ 堂本印象『木華開耶媛』(1929年) 京都府立堂本印象美術館

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◇◇◇

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2010年1月20日 (水)

つわものどもの夢のあと

いよいよ、大波乱必至の通常国会が始まった。
昨年秋以来、さんざん売国的日本解体工作を続けて来た現革命政府に対して、陛下はにおかれましては御心中はさぞかしーと思いきや、、、ちょっと安心しました。

平成22年歌会始お題「光」

755komore

御製(天皇陛下のお歌)

ー木漏れ日の 光を受けて 落ち葉敷く 

 小道の真中(まなか) 草青みたり

His Majesty the Emperor

Where rays of sunlight Filter through the trees I see In the middle of the path Carpeted with fallen leaves A clump of green grass growing.


皇后陛下御歌

ー君とゆく 道の果たての 遠白(とほしろ)く 

 夕暮れてなほ 光あるらし

Her Majesty the Empress

As I walk by your side The path stretches far ahead Though 'tis now evening Yonder in the distance A glow of a lingering light.

『‥‥青草みたり』『‥‥光あるらし』か。ふむ。。。
また、"召人歌"にはこんなのもあった。

●-------------------------------------
召人 武川忠一

ー夕空に 赤き光をたもちつつ 
 雲ゆつくりと 廣がりてゆく
 -------------------------------------

う、う〜ん、ん、ん。
広がりゆく雲って、、、?
夕陽にまとわりつく不穏な気配か、それとも、、、?

Kokkai

一方、革命政府に占領中なるも国会始め。

つい先日、検察に高らかに宣戦布告した、
崖っぷちの朝敵『オ縄くん』に対しても、
さすが陛下はやさしくご慈愛たっぷりの反省のススメ。

Kokkai2
Kokkai3

オ縄くん、
世論の風向きの強さに一応しおらしくして見せていたが、
着々ちゃっかり『オ縄帝国』も造営中らしい。。。

岩手県の「平泉」の文化遺産と東京都の「小笠原諸島」を世界遺産に推薦へ
 (01/19 01:00)

政府は18日、岩手県の「平泉」の文化遺産と東京都の「小笠原諸島」を世界遺産に推薦することを正式に決定した。 外務省や文化庁などから構成される世界遺産条約関係省庁連絡会議は18日、奥州藤原氏の中尊寺金色堂などで知られる岩手県の「平泉」の文化遺産と、東京都の「小笠原諸島」の一部を世界遺産に推薦し、ユネスコに申請することを正式に決定した。 「平泉」は、ユネスコが2008年に世界遺産登録を延期して以来、2回目の挑戦となる。 また「小笠原諸島」は、島固有の動植物が多い貴重な生態系などが評価された。 2010年夏から秋にかけて現地調査が行われ、2011年夏に世界遺産に登録されるかどうか決定する。
◇◇◇
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Hira1

奥州平泉といえば、古代より歴史的にも文化的にも朝廷、
中央政府と因縁深いところ。

アラハバキ信仰、蝦夷、小碓の東征、アテルイ、、、。

ヲシテ文献によれば、”タ”ノミコト=タカムスビ系のご一族が、
ずっと代々『ヒタカミ』奥州を治められ豊かな国を
築いていたともいいます。

なんかしら独立指向の強いお国柄のDNAが災いしたのか、
それが土蜘蛛ら盗賊、ちんぴら、まつろわぬ民々と結託すれば、
はからずも朝廷に弓引く謀反の相を呈するのか。

今よりずっと暖かかった古代なら、さぞかし住みやすかっただろう、
縄文の遺跡が東北地方に多く発見されているのも何をか語る。

豊かな自然と水源、米、水運、金鉱ーと、
自然の要塞を持つ、桃源郷かのごとき幻想。

京の都になぞられ人をして、
ミニチュア版の国家内国家の都の、
模倣に駆り立てたるのか。

まあ、、、現代の帝国は、金塊でも水源でもなく、
公共事業のバラマキが支配原理らしいが、、、。

「小沢帝国」誕生の足音
 2009.12.28 07:01

しかし、" たけき者も遂には滅びぬーで、
盛者必衰の理 "ってやつ 。

3代100年にわたり栄華を誇った奥州藤原氏が、
平安末期に、やはり、
ならず者認定された悲劇のヒーロー”義経 "
かばったことにより滅びていくさまは、、、
あわれ、涙なしでは語れない。

平泉から世界遺産を目指して

Hiraizumi02

平泉

「浄土思想や文化と平泉」

  • 奥州藤原氏の理想郷として作られた「要所に大寺院を配した都市平泉」
  • 三代で完成していった「中尊寺、毛越寺、無量光院」
  • 平安時代後期の建築物である「中尊寺金色堂」
  • 絶大な財力と権力を誇った、奥州藤原氏の100年史
  • 西行と平泉


「戦いの歴史」

  • 坂上田村麻呂とアテルイや蝦夷
  • 源義家を始めとする源氏と安倍氏・清原氏
  • 源義経と奥州藤原氏の滅亡の関係

「近世の平泉」

  • 松尾芭蕉と平泉
  • 伊達家と平泉

黄金の國、いわて。

松尾芭蕉は、この平泉にて
悲運の最後を遂げた義経の縁りの地を訪れ、
かつての奥州藤原氏の栄華を忍びこう記しています。

Basyo
◇◇◇

三代の栄耀(えよう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。

秀衡(ひでひら)が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。

先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。

衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。

泰衡(やすひら)らが旧跡は、衣が関を隔てて、

南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。

偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、巧妙一時の叢となる。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、

笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。

ー夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡
ー卯の花に 兼房(かねふさ)みゆる 白毛(しらが)かな
:曾良
◇◇◇
Hiraizumi04

兼て耳驚したる二堂開帳す。

経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。

七宝散うせて、珠の扉(とぼそ)風にやぶれ、金(こがね)の柱霜雪に朽て、

既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。

暫時(しばらく)千歳の記念(かたみ)とはなれり。

五月雨の 降のこしてや光堂
◇◇◇
Hiraizumi05

『奥の細道/平泉』:現代語訳

石巻から平泉へ

金鶏山は、三代目泰衡が富士を真似て、
黄金の二羽の鶏を山中に埋めて造った築山。

この泰衡、親族の確執に兄弟の不和、義経を裏切り、平泉に火を放ち逃走。
頼朝に命乞いにした挙げ句、家来にとどめをさされて、あえなくチーン。
奢者につきものの自業自得の自爆パターン。

芭蕉が涙したのは、義経を悼む中央政府の権力への抗議か、
それとも泰衡に見られる人間の愚かさか‥。

有名な「夏草や‥」は杜甫の詩を踏まえて読まれたという。
今一度、両陛下らのお歌とご一緒に、、、。

▷芭蕉 

ー国破れて 山河あり

 城 春にして 草青みたり
ー夏草や 兵どもが 夢のあと 

▷御製 皇后陛下御歌 

ー木漏れ日の 光を受けて 落ち葉敷く 

 小道の真中(まなか) 草青みたり
ー君とゆく 道の果たての 遠白(とほしろ)く 
 夕暮れてなほ 光あるらし
 -------------------------------------

あらら、、両陛下の御心は奥の小道を通って
どこぞの廃墟でもお散歩されていたのでしょうか。

大きな赤き夕陽の招命に。。。
お供も方もぞろぞろ連れ添います。

▷召人 

ー夕空に 赤き光をたもちつつ 

 雲ゆつくりと 廣がりてゆく
 -------------------------------------

更にホツマ(東)のくにでは赤富士の、
若くてちから強い大日霊の出現、、、。

▷皇太子殿下お歌 

ー雲の上(へ)に 太陽の光は いできたり 

 富士の山はだ 赤く照らせり
 -------------------------------------
Fujired

やはり、模造の偽せ富士とは訳が違うて。
何びともこの荘厳壮麗なる権威には自ずとひれ伏すだろう。

更に続きます。
親王、内親王殿下らは数多の星となって‥‥
オールスター総出演で水源を守る!

▷文仁親王殿下お歌 

ーイグアスの 蛍は数多(あまた) 光りつつ 

 散り交(か)ふ影は 星の如くに
 -------------------------------------

イグアス(アルゼンチンにある世界三大瀑布)、
北上川ともやはりスケールが、、。

ーなんてね。。。

◇◇◇

『日の丸』を引き裂いた上に『錦の御旗』を詐称するミンス党。
やってることはオー○真理教と同質、いやそのものか?
『オ縄王国』はもうひとつの上九一色村だ。

ポポやオザワ、若い頃、火炎瓶投げてたような党幹部の確信犯ならばいい。

だが、ー検察と闘う与党ーという、前代未聞のこの構図のいびつさ!
心あるミンス党議員は、早く逃げ出し投降した方がよかろう。

奴らが何を敵にまわし、何に抵抗しているのか、
その大きさとおそろしさに早く気付かれた方がよろしいぞ。

"夢のあと"には、屍拾うものもなし。
天の理りに逆らう、栄華もなしー。
赤い夕陽にいくばくかのご慈悲を感じとることができるなら。

芭蕉の涙は、
『朝敵』認定が、伊達や酔狂じゃないことを教えている。

王国 破れて 春来たりなば・・・

◇◇◇

Hiraizumi01

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2010年1月10日 (日)

国史『トコヨクニ』

日本にも過去にいろんな呼び名があった。
『大日本帝國』、、はまあ置いといて、、『やまと(大和)』『わ(倭)』とか。明治維新、大東亜戦争ー国名をリニューアルした背景には、やはりそれ相応の劇的な事件があったと考えるのは当然だろ。

対外的に『日本』と初めて名乗ったのは、7世紀の天武天皇の時代。
白村江の敗戦後、『ヤマト』から国号を『日本』と改め復興をはかった。

ちなみに『わ』や『やまと』に『倭』という漢字を当てるのは、支那・朝鮮から見た日本の蔑称。『倭』というのは、”背中が曲がっている小人”の意。古代から中華思想バリバリで、匈奴とか南蛮とかと同じで、東夷として日本を格下位置づけ。
日本人が「チョ○」とか、「チャン○○」とか「ロス○」、鬼畜米英、とか言うのと同じ感覚かな。

漢字表記の「日本書記」「古事記」を正史として編纂されたのも、この時期8世紀初旬。なのに、今でも『倭』とか『倭人』とかの表記を新聞雑誌等で見ると、こいつらわざとやってるな〜としか思えない。

で、さすが売国電波犬HK、朝鮮向けにラブラブアンコールか?
番組中でも『倭』『倭人』の大連発!日韓歴史共同プロジェクトとやらの一環で、お正月から再放送を数夜連続でやってくれてた。他国へはあれほど気を使うのに、自虐を通り越し○チガイ度ばりばり全開。
リポーターの女の子まで調子こいて

「〜で、倭はそこでどうしたんですか?」

バカか、おまえらは、、、。

あれで一応、日韓の良好関係を築くのが目的ってんだから、ヘソが茶を沸かすってもん。
広開土王碑改ざん説で任那(ミナマ)や加羅国否定の企てに失敗するや、元寇は棚上げ、倭冦や秀吉の「朝鮮侵略」の過度の強調!これまた更なる謝罪と賠償の伏線かと勘ぐりたくなる。クワバラクワバラ〜。

Etv
◇◇◇

また、古代支那の文献では、『倭』の他に『蓬莱(ほうらい)』とか『扶桑(ふそう)』かの呼称もある。

Jyohuku『蓬莱』は、秦の始皇帝の命を受け、仙人(方士)-徐福が不老不死の霊薬を求めて『蓬莱国(日本)』に数千人の大船団で渡来、そのまま帰化したとある。
徐福の足跡は現在でも日本の各地に残ってるし、大陸との往来はかなり古くからあったんだね。

、、といっても、紀元前2〜3世紀の、ほんの2300年前のできごとですが。

司馬遷の『史記』には、日本は海の彼方に蜃気楼のように存在する、不老不死の桃源郷(仙郷)として描かれていた。うふふん、、、。
『蓬莱山』とは支那がつけた富士山の別名、徐福が終の住処とした地でもある。

そういえば、昨昨年春、コキントウが不自然な笑顔ふりまき来日した時、ちらっと徐福にも触れていたっけ。支那人の中には、徐福が富士王朝を立て神武天皇となったと吹聴し、古代から日本は支那人が入植して造った国だと大法螺吹いてる学者もおります、、、。(宮下文書っつーのもある)

、、、ンとにもぉ、天皇朝鮮渡来説やら、どこの国にも妄想好きが跋扈してますな。。。

『扶桑』というのも支那の『山海経』にある”東方の桑の神木伝説”が元。エデンの園の、生命の樹と知恵なる樹のイメージにも似た、太陽が宿る神木が東の国にあるという。歴史書には自虐な「倭」よりも「扶桑」を好んで使っていた日本人の記録もある。現代でも社名にもよく使われている日本の別名。
魔除けのおまじない、”〜クワバラクワバラ〜”も、桑の樹には雷が落ちないという云いづたえから。
桑は上質な絹を得るために、それはそれは貴重な神木だっただろう。(『扶桑国記』っつーのもある)

日本の絹は上質で、、、確か古代の大昔に皇族のお姫さまが支那の南部に嫁がれ、そこで養蚕業を起こされたとも読んだ記憶がある。シルクロードとか、呉の絹産業とかも、発端はこれだったりしたら面白い。

徐福東渡2200周年に「徐福号」が日韓に出航
中日韓によるテレビドラマ「徐福」を制作
 2009年9月29日 人民日報

大昔、日本海は内海だった。
日本列島が大陸から完全分離したのは、約一万年前の洪積世の時代とか。
しかも自由に行き来できたものが、国家の概念が固まるにつれ、不自由になる。
日本に渡ってきた帰化人が、中央で重宝されていたのを見ると、祖国を追われた一種の頭脳流出だったのか。日本の朝廷に忠誠を誓って初めて帰化を許されたともいう。さぞかし土産も嵩んだことだろうな、かつてのソロモン王にシバの女王が謁見したように。

◇◇◇

さて時代をもっと遡ります。

「蓬莱」も「扶桑」も、、そして「日本」も所詮、漢字の洗礼を受けてからの呼び名。
漢字ファミリー家の支那というゴッドファーザーの軛は逃れられない。
じゃあそれ以前の、自らを自らが名乗った、純粋な”やまとことば”で記されていた日本は何だったのかというと、ハイー、もちろんありました。
ヲシテ文献では『ヤマト』ーより以前の、日本初の国名を

『トコヨクニ』

と記している。

『トコヨクニ』

これを『常世国』と、脊髄反射で漢字変換して納得するのは悲しき漢字脳。表意文字特有のサガか、翻訳時のロスト-イン-トランスレーションだけでなく、夾雑物が入ってしまうのが難。文節を区切るなら、『ト・コ・ヨ・クニ』かもしれない。

あえて言うなら、「のヲシエにより造られたくに」っつーところ。
「コ」は”凝る、固まる、引き締まる、集まって固くなる」とかの意味。
ああ、漢字ってめんどくさいね。要するに『ト』という理念に従い指導者を慕いて人々がまとまった国、、ってとこかな‥‥?

近年、三内丸遺跡など、我らの想像をも絶する高度な精神文明と文化があったとして、縄文時代が注目を浴びている。稲作の開始時期も千年は早まり、従来の時代区分も見直されつつある。
これまでのまるで前時代を否定したいがための否定、弥生マンセーが覆される!

  • 縄文=原始時代のような狩猟採集生活、呪術的
  • 弥生=定住型水稲耕作、文明的
従来の、半島より移住してきた弥生人が青銅器、鉄器、稲作など優れた文明をもたらし、暗黒の縄文時代から原始日本を解放したーとか、優れたものは何もかも半島大陸由来という定説には、以前から何かしらの意図的なものを感じて仕方がなかった。

縄文人or弥生人?
ーなどと <縄文vs弥生> の二項対立を煽ってきたのも、オザワの例の不敬演説@半島南と同様、現代の”渡来人”を肯定したいが故の工作っぽいと思うのだが、、、。

しかし、遺跡は語る。
気候や食物の大変化による縄文と弥生の共存と緩やかな移行。かつての縄文ー弥生の対立構図では全く、時代を計れなくなってしまったのだ。
そしてまさしくヲシテ文献とは、その縄文時代に起点を置く、日本の、日本人の、日本語の、一環した”ヤマト”の視点で記した、縄文〜弥生〜古代を貫く我が国の一大歴史叙事詩なのだ。

ヲシテ文献は伝えます。

日本は、今から6000年〜前ほどの縄文前期に、初代アマカミ『クニトコタチ』さまが、崇高なる理念『』ノヲシテ(ヲシエ・憲法)に沿ってと建国された『トコヨクニ』だと。
。。。

、、、6000年前〜?

えー、、っと。
6000年前と言えば、メソポタミア、シューメールの楔形文字が使われてた頃かな、、、?
モーゼが紀元前13〜4世紀、古代ギリシャがせいぜい紀元前2500年、古代ローマは紀元前600年建国。支那でも殷より前の幻の夏とか兎以前の、、、漢字の”カ”の字も生まれていない時代に『トコヨクニ』が建国されたと、、、、。

ド・ヒャ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!

皇紀2670数年がいかに控えめか、、、!!アヘアヘ〜。(それでも世界最古だけど)

Jyomon

かつて記紀を原文で読もうと試みたけど、難解な漢文と当て字だらけーであえなく挫折。
特に神代は、宙船は飛ぶわ〜汚物は舞うわ〜ワニ人はでてくるわ〜モノノケは徘徊するわ、、、まるで漫画のオカルト・SFファンタジー。(楽しむにはいいけどね)
累々と漢字漢字の羅列を見れば、これ一体どこの書物か〜?って投げ出したくなる。「日本書紀」が異説を含めとりあえず諸説を列記した国史なら、「古事記」は筋に一貫性を持たせようとした壮大な創作神話と申しましょうか、、。

しかし『ヲシテ』は、違います。
より詳細でよりリアルで、格調が高く叙情的表現にあふれ、宇宙観、死生観、哲学的要素もバッチシ。特に神代、摩訶不思議な世界に閉じ込められた神々たちが人格を持ち血液がかよう、過去に実在した偉大な『トコヨ』の指導者たちの、感動の叙事詩なのだ!

国の始まりを知るとは、出生の秘密を知るにも似ている。
天孫という響きの、一歩間違えば狂気にも連なる神話ファンタジーに逃げ込むことなく、今までヴェールに隠されていた本当の我が国の歴史を伺い知ることができる。
自分の生が祝福の中で生まれたのか、略奪の果てに生まれたのか、そして産んでくれた親の気持ちを推し計ることにより、子孫のその後の人生に、多大なる影響を及ぼすに違いない。

◇◇◇

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ところで『ヲシテ文献』とは漢字以前の、日本固有の文字『ヲシテ(伊予文字)』で書かれた書物、正確には

  • 『ホツマツタエ』
  • 『ミカサフミ』
  • 『フトマニ』
の三冊を指します。

時代区分的には、初代『クニトコタチ』さまから、大和武尊(やまとたけ)さまのお父様である景行天皇(12代)の時代(大体2〜3世紀?)をカバー。全文七五調で書かれている。

この時代、大陸情勢も異常に騒々しい。
後漢滅亡から6世紀末の隋ができるまで、もうしっちゃかめっちゃか。政変が起こるたびに半島状勢も揺れる、人の出入りもやたら激しい。

渡来人が頻繁に往来しているのを見ると、仏典のためにしっかり漢字がインポートされたのも容易に想像できる。進取気取りのインテリ層には異国文化はさぞかし魅力的だったろうし、仏教を信望する者、朝廷にたてつくものも出てくる。

一方、寂しく脇に追いやられたのが『ヲシテ』。
ヲシテ時代の終焉がこの時期4世紀前後と重なるのは何とも、、、。(涙)

また、物部氏(排仏派)vs蘇我氏(崇仏派)の対立で象徴された仏教の国教化は、支那が混乱から隋〜唐の超大国化していくさなか、日本がかつてない国難に瀕していたからこそ成し遂げられたんだろう。
日本が国として生存していくためには、強力な中央集権国家システムと、仏教による理論武装、加護は必須。
秦河勝(始皇帝の末裔、ユダヤ人説もあり)、鞍作鳥(半島系)とか、聖徳太子の周囲にも渡来系がわんさか。今でいう太子は、かなりの親支那派だったのかな。(坂上田村麻呂も後漢の末裔だっけ)
太子亡き後も、大化の改新〜壬申の乱と、蘇我氏中心の支那寄り体制を天皇中心に揺り戻そうとし内乱状態は続き、最終章はやはり白村江、、、勝敗の結果はご存知の通り。

なんだか現在の日本の立ち位置が、明治維新というより、この古代の時代に重なって見えるのは、気のせいでしょうかね・・・。

国名を『日本』と改めた後、まもなくして新しく国史が漢字で編纂された。それ以降、代々天皇には漢風の諡号があてがわれ、過去のスメラミコトににまで遡り、漢字の冠も戴かせる。(淡海三船)我々にはそちらの方が馴染みあるから、これまた厄介だが、、、。

ちなみに(frm.WIKI)

天武天皇は、
◎天渟中原瀛真人天皇
(あまの・ぬなはら・おきの・まひとの・すめらみこと)

聖徳太子だって、
◎上宮之厩戸豊聡耳命
(かみつみやの・うまやど・とよさとみみの・みこと)

▼病弱な夫(仲哀天皇)の代わりに身重の身体で三韓征伐された神功皇后さま(3世紀)

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◇◇◇

今から60数年前、GHQにより焚書坑儒され国家の仕組みをめちゃくちゃいじくられ、メイドby U.S.Aの憲法を与えられた。
ーならば、古代の敗戦時も何かしらの政治的力学が働き、黒髪黒い目の傀儡師が暗躍してたって、、、まあ不思議ではない。

だって勝者の都合の悪いものはデリートする、そしてこっそり書き換える、焚書坑儒は古今東西、万国共通”世のトコ(常)”ってとこ。

しかし、困ったことにこの時、漢字と引き換えに植え付けられたのが、強烈なシナ・コンプレックス。書き文字をすべて漢字に依拠するとは、庶民の文盲化を推進し、知の独占階級も生じたことだろう。
しかもこれ、敗戦により植え付けられたアメリカ・コンプレックスより、よっぽどたちが悪く、今も日本人を呪縛している。

文字や文化、慣習、宗教、、すべてのルーツが借り物で、挙げ句、所詮、半島や大陸通じて渡ってきた移民の征服王朝の末裔だなんて言われた日にゃあ、、、。

”日本人はどこから来たのか?”という民族のルーツ探しに囚われ、永遠のラビリンスで遊ぶハツカネズミのよう。

だって、過去の漢字文献に求める限り、決してそこに解はないのだ。

*大化の改新で蘇我入鹿邸にて焼失したという「国記(くにつふみ)」と「天皇記」(聖徳太子が作らせた)が記紀以前の歴史書といわれる。

*9世紀初のという都の姓氏の出自を見ると、渡来系が1182氏中326氏の27%。
これって国会に例えれば衆議院議員の500人のうち、135人が帰化人ということになる。

氏姓は古い順に‥‥

ニニギノ尊以前=天神>〜3代以内 天孫 神武天皇>皇別
地祇(ニニギノ以前の土着)

なんだ、、天津と国津の対立構図は、単なる本家と分家の旧家自慢のお家騒動だったんですね。

『新撰姓氏録』

皇別

筆頭にあげられた「皇別」の姓氏とは、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族のことで、335氏が挙げられている。代表的なものは、清原、橘、源などがある。皇別氏族は、さらに、皇親(「真人」の姓(カバネ)をもつ氏族)とそれ以外の姓をもつ氏族に分かれる。

神別

「神別」の姓氏とは、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族のことで、404氏が挙げられている。神別姓氏は、さらに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した際に付き随った神々の子孫を「天神」とし、瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫を「天孫」とし、天孫降臨以前から土着していた神々の子孫を「地祇」として3分類している。
「天神」に分類された姓氏は藤原、大中臣など246氏、「天孫」は尾張、出雲など128氏(隼人系の氏族は天孫に分類される。)、「地祇」は安曇、弓削など30氏がある。

諸蕃

「諸蕃」の姓氏とは、渡来人系の氏族で、秦、大蔵など326氏が挙げられている。諸蕃氏族は、さらに5分類され、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。

また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。

◇◇◇

さてこの『ヲシテ文献』、再び日の目を見たのは実に1500年以上も経てからもことであった。

伝聞は支配者らの目をかすめながらも連綿と語り継がれていたんだろうか、あの、平田篤胤が遭遇を切望したが叶わなかったという「幻の書」としても有名。
写本が見つかったのは偶然にも、昭和40年代の古本屋だったとか。

もちろん、他の神代文字や古文書と同様に、しばし、偽書扱いのそしりは免れなかった。
だが、記紀やその他の歴史文献と内容を比較検討するにつれ、身震いするほどの詳細さと圧倒的な情報量とその裏付けに、この『ヲシテ』こそが日本古来の文字で綴られた『記紀』ら歴史書の原資料であると、現在、第一『ヲシテ』研究者の池田満氏は確信を持って語っておられる。

しかもその奥深さ、、、、。

ここ数十年、『ナグ・ハマディ写本』『死海文書」など世紀の古書古文書の発見が続いた。つい最近では『ユダの福音書』とか。
真贋はさておき、この手の偶然も何かしら神の采配と、大きな時代の地層の蠢きを感じて仕方がない。
そして、『ヲシテ』が広く広く人々の関心を集め、考古学的裏付けをも得た時、それはシュリーマンのトロイ遺跡発見以来の驚嘆をもって、世界は溜め息つくだろうな。

日本は列島そのものが大英博物館のごとき歴史の揺籃のよう。至るところに1000年以上の由縁のある生き証人のような神社が存在する。
当時の(権力=傀儡師)にとって異端や外典とされ、闇に葬られた書物の封印が解かれる時、ようやく日本探しの旅が終わり、自らの根の確かさと深さに気づく。

そうすれば、高天原が朝鮮半島とか、天津と国津とか、邪馬台国論争とか、卑弥呼とか、騎馬民族襲来とか、日ユ同祖論とかの、、タワケ論争にもきっと終止符が打たれる。

その日を楽しみにして、余生、『ヲシテ』をじっくり学び味わっていきたいと思う。
ヤマトことばで綴られた『トコヨクニ』の歴史、建国の理念『ト』の示すところを実現するために。

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きっと、これが将来、日本再生の核となる。
うん、間違いない!?

◎8代アマテルさまがお若い頃に宮を構えられたハラミやま(富士)
:別名(かくやま・みかさやま)

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2009年11月23日 (月)

新嘗祭 〜「神さまバクバク」の祭事

本日は『 新 嘗 祭

▼出雲の神在膳
A4304211a天皇がその年に取れた収穫を神に捧げ、それを共食し、新たなに神のエネルギーを自己の内に取り込む儀式。
即位され初めてのこの日を大嘗祭、翌年以降は新嘗祭と呼ぶ。天皇は大嘗祭を経て初めて本当の、神々から認定された、天皇霊が宿る完全無欠な天皇となることができるという。

年輪が刻まれるように、新嘗祭を重ねれば重ねるほど天皇の霊威が増す。霊力が増せば増す程、天下は泰平、五穀は豊穣となり民も潤う。これまた、大和民族が農耕民族と云われる由縁。

一方、キリスト教では赤いワインと聖餅がイエスの血と肉。イエスの聖体を食することによってイエスと一体になり、彼らはキリスト者となる。ならば米を常食とする日本人は、米を食べる度に天照さまと合体しているんだろう。
加工食品が多くなりその原型をなかなか意識することは難しいけど、食とはまさに神を肉体に取り込む行為だったんだな〜とつくづく思う日が、今日だったりする。

「いただきま〜す♪」(合掌)は、それこそ

〜”神さまバクバク”〜

、、、だったりする。。。

米だけでない。野菜も木の実も魚も肉も、、、我れらを生かす全ての食材が神の営み、神そのものの七変化。天の恵みに感謝して、、とか、作ってくれたお百姓さんたちに感謝ー、、程度で済まないのだ。

さてその昔、神話の時代。我らの天孫さまが、天照さまから仰せつかった五穀の種を携え、高天原から降臨された。その時のご様子は、天孫さまは胞衣(エナ)であるモミガラに何重にも包まれた、五穀の穂種として比喩される。

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天皇陛下は皇居で稲穂を育て、皇后陛下は天照さまのお仕事であった機織りー繭を育てる。
イザナギとイザナミのお仕事。現在も連綿と続く祭事と儀式。

例えNHKが、「ご即位20年」のイベントを途中でちょん切ろうと、例えその後に200人足らずのチンケな天皇制反対のデモを取り上げたり、天皇制に関するアンケートやらを行おうと、例えNHKで地方色豊かな日本のお祭り事情を放送しなくなっても、例え民法が天皇皇后両陛下より、「亡命者・謀反」という名のゴロツキミュージシャングループをフューチュアしようとも、、、例え雑誌が外来のハロウィーンやクリスマスを特集しようとも、例え戦争に負け国土が焼け野原になろうとも、例え、ホリディ(HOLIDAY=祭日) がバケーション(VACATION=祝日)になろうとも、、、、何千年と連綿と続いてきた人々の儀式やお祭り、慣習は続く、、いや、伝え守って来た人々がここにいる。

日本ってすごい国だ!
日本人ってすごい民族だ!!

だてに2600年以上、続いて来たわけではない。
神さま大好きな民族で、ずっと神さまと、こうやってじゃれ合って生きてきたんだ。

さあ、神さまバクバクしてエネルギーいっぱい充電したら、冬の大寒波に備える準備に取りかかろう。
これから太陽は死を迎える。
目に見える太陽の転生輪廻。
冬至は完全なる死。、、、

そして復活の日。

そう、例え社会主義政府になろうとも、、、、。

黄泉帰れ、はやぶさよ!!
【事業仕分け】「スパコン予算は慎重検討」仙谷氏、削減意見も尊重 2009.11.23 18:18
仙谷由人行政刷新担当相は23日、菅直人副総理・国家戦略担当相が維持すべきだとの考えを示した次世代スーパーコンピューター開発予算に関し、行政刷新会議の事業仕分けで大幅削減とされた結果も尊重しつつ慎重に検討して結論を出す方針を表明した。訪問先の島根県隠岐の島町で記者団の質問に答えた。 仙谷氏は「見直しが必要だという問題提起があったわけだから、今のやり方で技術水準を高めることになるかという観点で検討しなければならない」と述べた。これに関し菅氏は22日に「政策判断は政治的に行う。科学技術分野は見直すことになるだろう」と述べ、仕分け結果通りの結論は避けたい考えを示した。

伊勢神宮

神話の国「出雲」を訪れる

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◇◇◇

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2006年3月12日 (日)

天皇に祭祀王としての復権を(2)

アマテラスさまはいかにして皇祖神となりしか?

縦糸とは、時間軸における「ご先祖さま信仰」であるとした。
これは、そのルーツの気高さが誇りともなる反面、血の優位性は、えてして、排他、選民思想に陥りがちだ。

横糸を空間軸の「村社会」とした。
これは共同作業優先の農耕型民族だったら当然持っている調和の原理。しかし、これもすぎると、日本人お得意の「なあなあ」の慣れあい社会、怠惰な停滞をもたらすこともある。

排他と調和、進歩と停滞、この相矛盾する両糸で、しっかり織り物をなすよう”ハタ織り機”の役割をしてきたのが、日本という、森と水に富み海に抱かれた美しい国土だったのだろう。
その美しさゆえか、我々は太古の昔から、森羅万象にカミが宿るとして、畏れ、敬った。

この”畏れ”と”敬い”から、原初的な神のふたつの属性として、『荒魂』と『和魂』がある。
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『荒魂』(アラミタマ)とは、旧約聖書の神ヤハウエや、厳父の怒りのイメージ。
たたりや、血なまぐさい闘争や、天変地異をもたらすし、ヒトを善導する。云わば、一徹とうちゃんの卓袱台返し、のようなものか....?
古代より供物を捧げ、供儀、祭りを行ってきたのは、神の怒りを畏れ鎮めるためである。

『和魂』(ニギミタマ)とは、逆に母のような慈愛に満ちた、新約の神のイメージ。
ヒトはまた、神より授かった恵みに感謝し、更なる祝福を願ってやはり祭りを施してきた。
さらにこの和魂には、幸運をもたらす『幸魂』(サキミタマ)と、奇跡をもたらす『奇魂』(クシミタマ)があるという。
人智を超えた自然の脅威と恵みが、そもそも、ヒトと神を結ぶ、縦と横の糸を吐き出す繭だったのだろう。

八百万(ヤオヨロズ)の神々が住む、万華鏡のような多神教世界。
自然の営みは神の営み、その中で神の意思にそうようにヒトも生きる。山や泉、岩や樹木、自然界のいたるものが聖別され、特別な霊力が宿る、神の依り代、ご神体として崇められていた。

この、神々と共に生きることを神道では、『カンナガラ(惟神)』と、言うそうな。。。
”神のように””神を心に常に抱いて”、、、そういう意味であろうか?

また、全ての生命は神から分かれた『ワケミタマ(分霊)』とする。
ヒトは、土地の『ウブスナガミ(産土神)』の働きにより誕生しては祖霊の世界に還る。そのうち個性も失い自然の一部になり、また新たな生命を生み出す母体となる。
すべてが、生成流転の自然の法則の中に存在する。

しばしば、神は、神の胎のような大きな森の中の奥に鎮座し、村里を守る鎮守の神として各地で崇拝されていた。これが神社の始まりだ。

ここには、此岸と彼岸、あの世とこの世のような、対峙する世界観がない。ただ、神=自然の世界の中でエネルギーが循環するだけ。
リサイクル、リユース、リプロダクト、なんと、現在のエコロジー観にかなっているんだろう!
”死ねば、みな神さま”ーこの土地と結びついたシャーマニズム的宇宙観が、我々の無意識の根底にどっかっと、横たわっている。

これが稲作文化の始まりとともに、私有財産の格差が生じ、縦糸が芽生え、北方的父権社会へ移行する。
競争の原理が導入され、フラットな生者、死者、自然霊も、ヒエラルキーの中に編成されていく。

死者(先祖)、神々の世界でも、勇者、英雄の魂が、個性を持ち人格化され、祖霊の中でも特別なポジションを持ち、名も持たぬ自然の産土神を凌駕するようになる。

しかも、農耕作業は何よりも太陽のご機嫌に左右される。
One of spiritsだった太陽が、King of godsにへと、フラットな自然崇拝が、次第に階級を伴った太陽信仰に一元化されていく。

よくよく考えれば、平等と格差、社会主義と自由主義、これらふたつの概念は、殊更、人間が近年思いついたものでもなく、自然界の横糸と縦糸として、アプリオリに包含されていたんだろう。
大木があれば、小さな花や地を覆う苔もある。肉食動物もいれば、蟻もいる。

要は、完全循環し完成された姿が、神の芸術としての”森”の中にあったのではないかということだ。
森の生命たちは、森の外にある太陽の存在にはぼんやり気付いていたけど、はっきり、その存在に気付いた人間が縦糸の牽引役となり、森から飛び出そうとした。
そして、、、逸脱しすぎてしまったのが現在の姿か。

ところで、太陽信仰は世界各地で見られるように、天孫族オリジナルのものではない。
現に日本の至る聖所に太陽祭祀の遺跡があるように、大和朝廷成立以前にも各豪族らは、それぞれに日の神(原アマテラス)を祀っていたのだ。
みなが森の中で銘々に太陽を祀る、、、小さな太陽が何個もあるかのよう。

一方、記紀によれば、生者の世界では、高天原出身の天津族(アマツ)と、土着の国津族(クニツ)の戦い。
国津族の各豪族たちの神宝、呪物が天津族に徴発され、産土神的国津神と英雄的天津神が、しのぎを削っては、次第に融合されていく。
土地の産土神や祖霊が、日の神の秩序に組み込まれる過程は、まさしく横糸が縦糸に編まれていく瞬間ともいえるだろう。

さらに、自然界における神々の頂点、日の神の祭祀をめぐる覇権争い。

いくつもあった森の中から見ていたオラの小さな太陽が、森の外にある巨大なひとつの太陽に、統合されていく。
そして、天皇はこの世の王となると同時に、天皇の祖先を天界=高天原を統べる太陽神”アマテラス”とすることによって、地も、天をも統べる、日嗣ぎの皇子(ヒツギノミコ)となったのだ!

では、どのように天孫は日嗣ぎ皇子となったのか....?

武力、、、それもある。
祈りや夢、占いを解く呪術的な霊力の強さもある。
特に祭政一致の時代には、神の心によく通ずるものが、王となるのだろう。
しかし、世界の例にもれず、農耕に欠かせない陽の道をよく知るもの、、、つまり冬至、夏至など、暦の秘密に通じたものが、この世の王としても、祭祀王としても、覇権を握ったのだ。

話はずれるが、聖地は、何かしら「太陽祭祀」と関与している。
日本にも、聖地を結ぶライン(レイラインと呼ばれる)が、太陽の通り道と、とても深い関係があることをご存知であろうか?
コレ、『ダビンチコード』も真っ青の鳥肌モンだ。。。!

例えば、国津神「大国主命」(オオクニヌシノミコト)の総本山「出雲大社」と、「富士山」は、同じ緯度上(北緯35度21〜23分)にあり、このラインは、『ご来光の道』と呼ばれる。
春分、秋分には、富士山の頂上から昇った太陽が天をわたり、富士山の真西にある出雲大社に沈むということだ。

さらに、このご来光ライン上には、日本列島の目印となる古い神社が並ぶ。
太陽が房総に上陸する場所に、「上総一宮=玉藻前神社」(千葉)、相模川と交わる場所に「寒川神社」(神奈川)、富士山頂の浅間神社などなど、一の宮と呼ばれる神社が多い。。。

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とどめが、やはり同じ「ご来光の道」上にある、伊吹山(滋賀)と、元伊勢の大江山(兵庫)!
春分秋分の日の神は、これらの地点を次々と訪れ、出雲に達し、日本海に抜ける。

伊吹山は、ヤマトタケルが神の化身である白イノシシと戦った山。
国津神系の荒神がひそんでいそうだ。

元伊勢とは、今から2000年程前の数年間、天津神の主神「天照大神」が現在の伊勢に鎮座される以前に、仮住まいをされた場所。
崇神天皇のご神託により、大和地方の笠縫邑(カサヌイムラ)を始めとし、京都は酒天童子で有名な大江山〜近辺と、点々と転居された場所だ。

特に元伊勢の丹波地方は伊勢のひな型といわれ、神秘のヴェールに包まれた、一の宮、吉佐宮(ヨサノミヤ)籠(コモ)神社がある。
しかもこの神社の神宝である神鏡、『オキツ鏡』と『ヘツ鏡』は、日本最古の伝世鏡といわれ、2000年前以上の前漢から後漢時代のものと鑑定されている。

天孫より先に天下ったニギハヤヒの末裔、物部氏ともゆかり深いとされ、宮司の日本最古の海部氏の系図など、古代にまつわる謎の丹波王国伝説に満ちあふれている。

*物部氏の祖先、ニギハヤヒ尊は、天孫ニニギ尊の兄。 ニニギ尊に先立ち、天津神の命を受け「十種(トクサ)の神宝」を授けられ、天の磐舟(アマノイワフネ)に乗ってイカルガの峰に天降ったとされる。 この、死者をも蘇らせる霊験を持つ「十種の神宝」のうちのふたつが、「オキツ鏡」と「ヘツ鏡」である。

さて、この真東と真西を結ぶ春分、秋分の日の道に加え、さらにアマテラスさまのパワー全開の夏至のラインは、どうか?ーというと、、、アッと驚くのが、伊勢ー元伊勢ライン!

『レイラインプロジェクト』の内田一成さんによると、夏至には伊勢の海の彼方から昇った太陽が、元伊勢の日室岳の頂上に沈むという。
伊勢ー元伊勢ラインは、それこそ、一年中でも最強のパワーを持つアマテラスさまの通り道だというのだ!

しかも、伊勢の聖地『二見が浦』海岸にある自然の鳥居であるご神体夫婦岩の間には、遥か富士を望め、夏至の日、その頂上から昇る朝日は、まるで絵に描いたような「天孫降臨の構図」そのものだという!

夏至には、伊勢のから海を臨む鳥居の遥か富士の頂きより陽が昇り、元伊勢では人工のピラミッドのような日室山の頂上に日が沈む。。。。
なんと、幻想的で神秘に満ちあふれた絵であろうか?!
古代の先人たちは、現代の我々が計り知れないような天の知恵に満たされていたということか?!

ムムム、、、、鳥居って単なる聖地を聖別する神の領域への門だと思っていたけど、三角錐のピラミッドのような山、男神女神、太陽、、、と連想すれば、何やら、エジプトのイシス-オシリス-ホルスの神話を思い起こすではないかっ!!
注連縄をはられた天然の鳥居”夫婦岩”は、イザナギとイザナミの結合、つまり、オシリスとイシスの結合。鳥居の両柱は、男性原理と女性原理の象徴か?
ーとすれば、不気味なドル紙幣でも有名な、全知全能の目『ホルス』は、アマテラスさま=天孫ニニギノミコトってとこか!

さらに〜っ!!

神社の鳥居にも一の鳥居、二の鳥居とあるが、これらの縦柱を結ぶ、夫婦岩の注連縄である水平ラインに注目。
想像してみてみよう!
陽の光を真っ正面から受け止めた鳥居が、神社にアマテラスさまを導くようにその影を落として行く。。。
そう、鳥居の2本の水平ライン何かというと、日の神が高天原から降りてこられるための梯子、階段、、だったのだ!
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日の神は、高天原からこの階段を降り、富士山のてっぺんより、地上に降臨される。
しかも富士山頂にあるのが、天孫現人神ニニギノミコトの妻となった「木乃花咲耶媛(コノハナサクヤヒメ)」を祀る浅間神社だ。
この、名もうるわしい「コノハナサクヤ媛」は、山の神「オオヤマツミ」(大山津見神)の娘。火山である富士山と、「オオヤマツミ」が結びつけられるのも納得できる。
そしてニニギノミコトから不義を疑われ、炎の中で命を賭けて産んだ子が、ホデリ(海幸彦)、ホスセリ、ホオリ(山幸彦)の三人。
カインとアベルの兄弟争いのような、海幸、山幸の有名な物語の後、今度は海神「ワタツミ」の娘「豊玉崑売」(トヨタマヒメ)と、山幸彦の子が神武天皇の父となられた「ウガヤフキアエズノミコト」(鵜葺草葺不合)だ。

天津族がこのように山神「オオヤマツミ』と、海神「ワタツミ」の一族らと婚姻を重ね、後、国津神と天津神の両極を保ちながら、アマテラスさまの下に統合されていく。
縄文vs弥生の図式に比喩されることもあるが、我らの神話は、なんとも示唆に満ちているではないか。。。!

神話的要素を他民族の神話の中に類似性を探すと、何かしらの我ら民族のルーツが伺い知れる。
例えば、男女神による国生み神話は、南方系海洋民族の伝承を根に、大陸南方系と北方系内陸アジアの農耕民族型の伝承が複雑に絡み合っているという。

母権集団的な縄文式価値観から、父権集団的な弥生式価値観。
ふたつが対峙して結果、弥生が勝ち、縄文に取って代わったというよりも、いくつかのルーツの異なる民族伝承が、根底に縄文的な神の概念を抱きながら、多彩な重奏をなしてきたのだろう。

本来、太陽信仰は海洋民族のものであるという。
しかも太陽神は、世界的にも男神であるのが普通だ。
また、天津族の皇室は、父権的北方シャーマニズ文化に属し、その主宰神はもともとは、タカミムスビ神(高皇産霊神)とする学者さんもいる。
その説に立ちまとめると、以下のようになる。

アマテラス>母権的村落共同体、祖先崇拝、アニミズム、人身供儀

タカミムスビ>父権的氏族社会、英雄神祖先信仰、軍隊組織

ーともあれ、紆余曲折の果てに7世紀、天武天皇の治世に国名を”ヤマト”から”日本”と改め、皇祖神を太陽神とし日の本の国として、部族国家から民族国家として統一されたことは事実だ。

これ、父権的縦糸が、母権的縄文的な日神アマテラスとすることで、ひとつの編み目が完成したと見てもいいのではないだろうか。

そして、その後(おそらく持統天皇の世)に、世紀の大発明(ーとワタクシは思っている!)、この男神アマテルを女神アマテラスーと、神の性転換ともいうべきノーベル賞的大事業をなしとげたことによって、権威と権力の住み分けがスムーズになされ、その後の時代、再び、繭は横糸を紡ぎ始めることができたのだ。

国が安定した中世以降、天皇は、我らが住む里のはずれにある鎮守の森の大きなお社で、神=太陽を祀る祭司として、また民族の産土神をも祀る祭司として、ずっとつい最近まで千数百年にわたり、祭祀王としてのお役目を果たされてきたのだ。

我々も、無意識であれ意識的であれ、しっかりとその恵みを享受し、それこそ”カムナガラ(惟神)”に日本という大きな繭の中で生きてきた。
まさに、これが、民とともにあった天皇、天皇とともにあった民の姿なのではないだろうか?

そう考えれば、戦後”国民とともに歩む皇室”とか、”開かれた皇室”などの耳障りのいい謳い文句は、いかに馬鹿げたものであるかとわかる。

祭司の衣装を脱ぎ捨てた天皇が、神を失い森を捨てた馬鹿国民にすり寄ることに、何の価値があるというのか?
さらに言うなら、鳥居をただのコンクリートの柱とし、車で境内に乗り込んだ上に、神社のご神体を暴くような真似を「開かれた」と勘違いしている畏れを知らぬ我らに、いつまでも神の『荒魂』が作用しないわけないだろう。

我々が今方向転換すべきなのは、我ら自身が、神々の住まう森に還ることであり、神の社に集う共同体を築き直すことである。
それがすなわち、本来の天皇の在り方、祭祀王としての復権をなすことになると思うし、そのお姿は、日本のみならず、地球規模で自然破壊が進む現在、自然との共生に立脚した発展という、世界で最も必要とされる規範にもなりえるはずだ。

ひとえに『和魂』(ミギミタマ)を象徴する〜女神である太陽=アマテラス〜を戴く国。。。
これが世界でも稀な、長い歴史を持つ日本民族を特徴づけてきたのだと、思う。(〜続く〜)

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2006年3月 5日 (日)

天皇に祭祀王としての復権を(1)

フェミと女系推進論

sizukaNHK、またやってくれましたナ〜。(怒!)
よりによって、アマテラスさまに祝福されたかのような金色の太陽をまとった氷上の女神、”荒川選手”の、一番、神々しいウイニングランの中継をカットするとは!
しかも、表彰台で『君が代』を口ずさむ荒川選手も、軽くスルー!

許せませぬネ、、、!
皆さまと同様、不遜なNHKにそのうち、天誅下されることを願ってやまぬ。

話は再び、皇位継承問題。
先月末(2月)の「朝生」、テーマが「天皇」とあれば、田原、今度は何を企んでるのかと、注意深く見ていらっしゃった方も多いのではないかと思う。
メンバーを一見するだけであらかた筋は読めていたけど、それにしてもダントツに無知と無教養のオーラを発散してたのは、小沢遼子と、小宮山洋子(民主党議員)のバカオバ代表2名だった。

昨年夏の「旧帝国軍人」を扱った時の出演者、ナニワ芸人『遥洋子』といい、パネラーの質の低下はそのまま、番組の質と比例。もはや、番組の存在価値そのものを疑うが、この危機感、、、番組スタッフは気付いていないのだろうか?
そう、、、知識、認識レベルにおいて、完全に、視聴者とパネラーの逆転現象が起こっているのだ!

リョウコオバ(小沢氏)は、
「三年、子なきは(皇室から)去れ!」の『石女(ウマズメ)追放令』を発射。
明治〜昭和初期の小説に出てくる、鬼姑役を買ってでる。

小沢:「だからネ、そういうのカワイソウでしょ〜?そんなこと、できないでしょ〜?」
「アナタもね、時代が変わったの。もっとお嫁さんにかわいがられる、ものワカリのいい姑にならなくっちゃ!
同じ孫なのに、女孫に家を継がせてどうして悪いのヨ〜?デショ?デショ?
男の子にこだわる必要ないのよ!ホラ、あんなに息子にそっくりじゃない〜?カワイイじゃない〜?
あなたの血も流れているのよ〜っ!」

まあ、昔ながらの近所には必ずひとりいる、”ご意見番”タイプだが、昨年の総選挙工作秘密文書になぞれば、”B層-高齢オバサン”担当だ。
この手は、言うだけ言えば本人的には満足するので無視して放っておけるが、一番タチの悪いのが、 ”B層-共働き中年オバサン”担当の小宮山オバ!。ミズホ(福島)、バイブ辻本、アベトモらも、背後霊として控えてソウロウ〜。
このオバ、皇位継承を長男次男の、しかも嫁対決に貶める、悪質なタイプだ。紀子妃殿下のご懐妊に対しても、、、

「雅子さまがカワイソ〜!」

。。。「今時、アエラを読むバカオンナ」丸出し、思わず座ったままイナバウアーしたくなる。
同じ女性でありながら、何故、紀子妃のご懐妊を素直に祝福できないのか〜?
あんな記事(アエラ)を持ち出して、まるですべての女性の総意であるかのように話す小宮山オバ、しかもコイツ、確信犯で紀子さまのご懐妊にイチャモンつけてるぞ〜!

コミュニズム「フェミ担当」の彼女ら=『♀プロレタリアート』にとって、ホントの打倒すべき対象は『♀ブルジョワジー』なのだ。
つまり、夫の給料だけで優雅に暮らせる、今や特権階級と化した「専業主婦」を撲滅し、いかに多く新たな”労働力”を ”家庭”というお城から市場へと調達するかが、彼女らの至上使命。

一見、華やかな女性の社会進出を応援するふりをして、その分、男の手足を法で縛り、男の自由度を奪う。ゼロサム市場では女の取り分が増えた分、男の取り分が減る。
ー結果、それが男の所帯の収入減となり、妻が取り分を取り返すべく、戦場に赴かざるを得ない。

80年代中頃が、いわゆる、専業主婦にとっては最高に幸せな時期だったんだろう。
しかし、あの頃、余裕こいた主婦らが「わたしの生き甲斐って何?」ーと、ブラブラ”自分探し”のお散歩してる間にバブルがはじけ、「小遣い稼ぎ」が、いつのまにか生涯マラソン「家計を支える」になっちゃった。
こうして、かっての”良妻賢母”は、フェミの目論み通り、見事、パートだ正規雇用だと武装して、続々、戦場の”女奴隷募集”の門に下ったのだ。

このフェミ軍団にとって、最後の打倒すべき砦が『ご皇室』。
ならば、「雅子さま派」vs「紀子さま派」の構図を利用しないってワケはない!

環境に順応し、つつがなくお勤めを果たされる紀子妃殿下を目の敵にし、彼女らの憧れ=輝かしいキャリアを持つ”雅子妃殿下を神輿に乗せ”かわいそうな雅子妃”をフェミの楯として利用する。

「紀子さま派」とは、日本古来の伝統的な、先祖と土地に結びついた縦横、両方の糸で編まれた強固な共同体。我々、民草も、つい数十年前までは、ご皇室と同じ、世代を超えた大家族構成で先祖を代々祀るという共同体をずっとなしてきた。

「雅子さま派」は、言うまでもなく、縦糸がぶち切れ、かろうじてつながる”フェミ系横糸核家族共同体”。この横糸も、離婚、母子家庭、シングルマザー、ニート、パラサイト、、、昨今のマスコミの煽りようによっては、かなり危なさそうであるが。。。

よって、”雅子さまカワイソウ論”とは、

”家庭(皇室)とは、
オンナに家事や子産み、子育ての強制労働(ご公務、祭祀)を強く監獄”

ーの最大なるイメージ工作であると共に、宮中行事より発生した文化、儀式、伝統をも破壊できるし、一石二鳥だ。

ご皇室に対する解体工作は、実は美智子皇后、妃殿下時代のバッシング時代から始まっていたのだろう。
そしてワンパターンを繰り返す。名前だけ入れ替えた「雅子妃バッシング」から、「雅子さまカワイソ〜」への世論の形成。かつての「美智子さまカワイソ〜」は、皇后となられた今では「美智子さま、ヒッド〜イ!」に姿も変える。

我々は、決してこのような記事のご皇族方の分断工作に、乗せられてはならない!
すべては、いつものアレ!マスコミ自作自演のマッチポンプなのだ!

雅子さまも、紀子さまも、そして美智子皇后も、貴い使命を背負われた同じ女性皇族。我々が、どなたかを贔屓、批判したり、カワイソウ〜になればなるほど、皇室批判、非難に役立つってわけナンだから。

しかも今回の、”時を得た”かのような皇位継承問題。

彼らのアジェンダは、とっくに次なる段階、現在進行中の「東宮孤立化作戦」に入っていると見る。
天皇皇后と東宮という世代の縦糸をぶちきり、秋篠宮さまやその他のご皇族との横糸も、ぶち切る。
孤立化させられた後の、皇太子殿下から愛子内親王へと女系の流れは、皇太神やご皇族方とも、完全に縦糸横糸の切れた別モノとなり、仕上げの最終段階へと移行する。

そこでは、女系天皇がもたらす果実が熟し落ちるのを寝て待つだけ。。。
なんともラクチンである。
女系容認の行く末は、皇室解体、皇統廃絶、土地と先祖にとつながる”伝統的な日本的精神の完全破壊”。
何度も繰り返すが、日本神話の終焉であり、我々、大和の民族解体である、、、!

今更ながら、天皇とご皇室が、日本を日本、日本人を日本人として、精神的特色ある共同体たらしめた核なる存在であったと、感嘆する。
そして、我々と先祖とをつなぐ縦糸も、皇統とずっとシンクロして紡がれてきた。

結論から、いこう!

我々の民族幻想は、”縦糸と横糸の大調和=大和”である。
縦糸は、”ご先祖さま信仰”である。
横糸は、”村社会”である。


sizuka2そして、この両糸は、大地=自然という繭から、生まれたものである。つまり、

”生者と死者が自然の中で共存する社会”

これが、我々、大和の民がずっと抱いて来た民族幻想ではないかと思うのだ。(続く)

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